血のにじむ夕焼けの街で
「やっとおさらばだ」
そう思いながら目の前に垂れ下げた輪に首をかけた
______スゥゥゥ....
そして高ぶる気持ちを落ち着かせるように、肺に空気をためた。
立ち位置を整えるたびに、足元の椅子がギシギシと揺れる。
ガコン!!
それから、この一ヶ月で一番の力を込めて足場になっていた椅子を蹴った
力なく椅子は ぱたり と倒れた
次にたどり着いたのはおそらく死後の世界と思われる場所だった。
木造の一軒家のような場所で、床には建築としてはちぐはぐなアルミ材のようなものが張られていて足の裏が冷たかったのが記憶に染み付いている
だが視界が妙にもやついていて、細部まではよくわからなかった
「ここは初めてですか?」
ふと声をした方を振り返ると気味が悪いほどに整った顔立ちをした黒いワンピースの女とその後ろにたくさんの人たちがギュウギュウに押し合っているのが目に入った
「人、多いですね」
とても久しぶりに声を出したせいか、会話としてよくわからない返答になってしまった
「最近急に増えたんですよ」
こちらの声に驚いたようにしたあと、少し苦笑いして女が言った。
女に意識をフォーカスしている少しのうちに、いつの間にか周りが人混みで囲まれていた。
本当に人が多いな...
線香のような匂いが鼻をくすぐる。
「初めての方ですよね?あちらの手水舎がありますのでお清めしてから戻ってきてください」
「ちょうずしゃ...」
手水舎が何のことかはわからなかったが、すぐ後に理解した。
あの建物...
神社にある...手を洗う...
なぜ家の中にまた建物があるんだろう。
ここまできて正しさを求めるのはなにか違う気がした。
意識が束ねられず、頭痛が収まらなかった。
しばらく人混みをかき分けていきやっと杓子を掴んだ 柄が金属製だ...
ざわざわとした人混みの音の中に鋭く水の流れる音が響く。
神社は嫌いではなかった。
死ぬ前に何度か行った記憶が蘇る。
思い出しながら、いつもどおり丁寧に手水の手順を踏んでいく。
まずは左手から、
右手...
昔から几帳面だった。
異常なまでに。
そのせいで社会から孤立してしまったんだと思う。
原因はわかっていたがどうしようもなかった。
ズレたことがあるたびに度々パニックを起こし、人間関係が立ちゆかなくなっていった。
味方は誰もいなかった。
口をゆすいで
左手...
ふと場違いなものが目に飛び込んできて、それに意識が惹きつけられてしまう。
...たらいだ...
向かいの男がたらいで水をくんでいる
背がちいさくて目つきが悪い
何かをしでかしそうな....
____バシャァァン!!!!
そう思った瞬間、男はたらいに貯めた大量の水をあたりに勢い良くかけた。
悪い予感は的中したみたいだった。
「冷たッッッ!!!」
避ける動作もままならず、そう思った瞬間、意識は遠く遠くへ。
気がつくと自分の首吊死体のまえに浮かんでいた。
「僕だ...」
現実世界に戻ってきてしまったのだろうか
よりによって自分の死体の前に......
気が動転している
冷たい汗が滝のように流れた
呼吸は次第に荒く、苦しくなってくる。
過呼吸になり手足がしびれてきた
目の前がチカチカする
「ハァ....ハァ....ハァ...」
しばらくして顔をあげる
確かにそれは月の光に照らされて黒くぶら下がっていた
僕は成仏できなかったのだろうか
目の前にあるソレのせいで、再び汗が出始める
ここから離れよう...現実を直視せずに...
高校生の頃、わけもなく学校をサボって電車で反対の方向へひたすら向かったことを思い出した。
窓から見える長く続く空色の海が綺麗だったことを覚えている。
どうやら現在の僕は霊体のようなものらしくふわふわと空中に浮かんでいた
そのまますーっとスライドして首吊り自殺が起きたマンションを離れた
いつも見る風景が空の色が反射して青暗く、全く変わって見えた
「死んだんだろうな僕は...」
ふわふわと浮かびながらポツリとつぶやいた
寝起きのような脳で、幽霊は実在したんだと場違いなことをぼーっとした頭で考えていた
このまま僕はずっとこの世界をさまようのだろうか
あるいはあの黒いワンピースを着た女性が僕の元を訪れて、正式に成仏できることを告げに来るのだろうか
不思議とこれ以上不安は浮かばなかった。外の景色を目の前にして、今日でもう社会から開放された安心が大きかったのだ。
これから僕はこの世をゆったりとさまようのだろう。
空を見上げた
空は灰色の雲が多い半分だけ水色だった
上を目指して昇っていこう。
そうすれば、いつか成仏できるかもしれない。
高く高く。
ゆっくりと空高く。夕の薄暗さが街を侵食しかけていた。
みるみるビルが遠のいていく。
何気なく見覚えのある無骨な灰色のビルが目に入った
あれはここに引っ越してからしばらくの間、住んでいたマンションにしつこく勧誘にきていた宗教団体が入っていたビルだ。
最近は全く気にしていなかったが、あの宗教に入信していたら僕は自殺せずにいたかもしれない
社会のことを思い返すのも、今になってはもう遅い話だった。
「今は何も考えず昇っていよう」
そうつぶやき、灰色の宗教団体のビルから目を逸らそうとしたその時だった
そのビルの隣のビルとの隙間に赤く蠢くものを感じた
あれはなんだろう
強烈に気をそらされ、一瞬で空っぽの頭の中がそれでうめつくされた
見に行ってみよう
見に行かなきゃダメだとさえ感じた
ゆっくりと吸い寄せられるようにビルの間めがけて近づいていく
赤い....夕焼けのせいだろうか
段々とその正体が明らかになっていく
血だ....
自分の目を疑った
制服を着た女の子が血まみれの男の上にまたがっていた。
精気なく首は力が抜け、死んでいるかのようにうなだれて、うなじの産毛が夕焼けに赤く照らされていた。
どうやら自分は大変なものを見てしまったようだ。
ゆっくりと女の子はこちらを振り返った
長い黒髪の美しい顔を彩るように右頬に真っ赤な返り値がひとつ。
瞬間ばっちりと目が合った。気がした。