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兄のアパート

貴樹の住む街から兄の住む街まで電車で約一時間程度で着く、それなのに帰ってこない兄は一体何を考えているのやら。溜め息を吐きながら貴樹は駅へと降り立った。冷房の効いていた車内と違って外は灼熱地獄で早くも汗がじわじわと全身から流れてくる。

駅から歩いて十分ほどのところに兄の住むアパートがある。家捜しの時に一緒に見たがなかなか綺麗なアパートで羨ましく思ったことを早くも暑さにやられた頭で思い出していた。

あの時はこんなことになるなんて思ってもいなかった。何だかんだ家族を大切にしていた兄のことだから帰省してくることなんて当たり前だと思っていたのだ、両親も弟である貴樹も。

そんなことを考えていると直ぐにアパートの近くまで辿り着いた。

ガチャリと控え目な音が聞こえて音の方向に顔を向けてみると、アパートの二階、遠くで不確かではあるが兄の姿らしきものが見えた。


「兄貴!」


つい大声で呼んでしまった。振り返った兄の顔は見物だった、ものすごく驚いているのがわかった。目を見開いて口を半開きにしている、してやったりと貴樹はニヤリと笑った。


「どうしてお前がここに……」

「どうしてじゃねぇよ、兄貴が帰ってこないから来たんだよ」


事情を説明しても今だ呆けた顔をしている兄に向かって貴樹は言い放った。


「しばらく泊めてくれ」

「ダメだ」


即答だった。貴樹は耳を疑った、仮にも弟が遥々とまでは行かないが遊びにやって来て宿泊を断るなんて、いや兄にもいろいろ事情はあるのかもしれない。


「何でだよ」

「ダメだったらダメ」

「……もしかして彼女がいるとか?」

「っ……ああ、そうだ」

「嘘だな」


兄は嘘が下手である。顔に出やすく嘘をつくときは必ず返答がワンテンポ遅くなる。


「何でだよ……そりゃいきなり来た俺も悪いけどさ、でも心配だったんだよ!」


三年ぶりに見た兄は変わってなかった。でも何故か家に寄り付かなくなった。

それに貴樹はあの日を覚えている。


「もしかしたら死にたいのかも」


もちろんあの時は本気にはしていなかった、それでも死にたいかもなんて言われたらこちらは堪ったものではない。


「だって兄貴が、帰ってこないし……あの日死にたいかもなんて言うし!」

「わ、わかった、取り合えず中入れ」

「うん」


取り合えず部屋の中に入ることには成功だ。


兄の部屋はがらんとしていた。物は最低限で少なく、何だろう生活感がなかった、言ってしまえばモデルルームのような感じだ。

兄は冷蔵庫から冷えたペットボトルの水を貴樹に渡した。


「こんなものしかなくて悪いな」

「いや、いただきます」


水が乾いた喉に染み渡る、一気に半分まで飲み干した貴樹は蓋を閉めて兄に向き直る、兄は貴樹から視線を逸らした。


「まずはどうして帰省を三年間もしてこなかったか白状してもらおうか」


何だか取り調べの刑事みたいだなと思った。兄も俯いていて自供を迫られている被疑者のようだ。


「兄貴?」

「別に……理由なんてないよ」

「はあ?」

「ただ、何か面倒でさ」

「理由あるじゃん」

「確かに」


そう言って兄は力なく笑う、その笑い方は投げやりでそれが貴樹に火を着けた。


「面倒くさくてもあれだけ母さんも父さんも俺も心配して何度も何度も帰ってこいって言ったら一度くらいは帰ってきてくれたっていいだろ?おかしいよ、兄貴、前はそんなんじゃ……」

「ああ、おかしいよ俺は」


兄は抑揚のない声で言った、静かな部屋に兄の溜め息が響く。貴樹はどうしていいか分からずにただ兄の出方を窺うしかなかった。

こんな自信のなさそうで余裕のない兄を見るのは初めてだった。


「だからもう帰ってくれ、家も何と言われようと帰らない」


兄はそう言って立ち上がって貴樹を見下ろした、冷たい視線に貴樹は怯んだ。

いくら喧嘩しても憎まれ口を叩いてもこんな目で兄に見られたことはない、自分が虫けらにでもなったような気がしてきて不快だった。


「お前がいなかったら帰れるよ」

「は……」


何だ、それ。自分のせいで兄は家に帰れないというのか。


「どうして……」

「ほらもう帰れ」

「なあ、兄貴……」


兄は無言で貴樹の手と荷物を取って玄関まで歩いていった。貴樹は今の兄の言葉に衝撃を受けて頭が真っ白だ。何か兄の気に障るようなことを自分は知らず知らずの内にしてしまったのだろうか。

それならば謝らなければ、謝って許してもらって帰ってきてもらわねば、もう両親に会わせる顔がない。


「兄貴、ごめんなさ……」


無情にも言い終わる前にドアは閉ざされてしまった。

覚束ない足取りで貴樹はドアに近付く、鉄の薄い扉をトントンと叩いてみるが返事はない。


「ごめんなさい、俺は自分が何をしたか分からない……」


兄が聞いているのかどうか分からない。それでも言わずにはいられない。


「ごめん、ごめん……兄貴」

「ちがう」


悲痛な否定の言葉が帰ってきて貴樹は驚きで声もでなかった。


「ちがうんだ、お前のせいじゃない、お前は悪くない……悪いのは」

「兄貴……?」

「悪いのは俺なんだよ」


もう貴樹には何がなんだか分からない、それでも扉の向こうで兄が苦しんでいることだけが理解できた。




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