プロローグ
兄貴はとてつもなく馬鹿だと身内ではあるが弟の貴樹は思う。馬鹿だと思う要素その一、喫煙をしていること。
貴樹は学校の教えであるタバコなんて百害あって一利なしという教えを最もだと思っている、だからタバコを吸っている兄の事が理解できずにいる。何故兄はタバコを吸うのか、一度だけ聞いてみたことがあった。兄はベランダで夜空の月をぼんやりと眺めながら貴樹に言った。
「んー……美味しいからじゃない?」
何で自分のことなのに疑問形で答えるのか。そもそもタバコって美味しいのか、どんな味がするのかも貴樹は知らないが兄から漂う残り香からして苦いのではないかと考えている。コーヒーと似たようなものだろうか。
それだけならまだしも兄は貴樹に爆弾発言をしたのだった。
「もしかしたら死にたいのかも」
「はあ?」
呆気に取られて間抜けな声を出した弟を横目で見て笑う兄、その余裕たっぷりの態度が何とも忌々しい。
「いや、わけわからん!」
夜の町に自分の声がやけに響いて思わずびくりとした。兄のタバコの煙は夜空に溶けて消えていくのを眺めるのはまあ、好きだった。
「そんな大声出さんでも……すぐには死ぬ気はない」
「……そんな、悩みでもあるのか?」
兄のことは理解できないがいなくなってほしくはない。自分でも情けなくなるほどにその声は震えていた。兄はふっと笑って貴樹の頭を優しく撫でた。子供扱いされているようで腹が立った貴樹は兄の筋ばった、それでも華奢な手を払いのけた。
「子供扱いすんなよな」
「してないよ」
「してるだろ」
「してない」
そうこうしているうちに兄のタバコは新しいものに変わっていた。それに気づいた貴樹は止めるべきかどうか迷った。
兄はとても美味しそうに肺に煙を吸い込んでいる、その様子が何だか兄ではない別の誰かのような気がして焦った。
このまま煙と共に兄は溶けて消えていくんじゃないか、そんな気がした。
「タバコ、お前も吸ってみるか?」
「誰が吸うもんか」
「そーだよなーお前真面目くんだもんな」
「それ以前の問題だろ、健康とかさ」
「まあねぇ」
何故兄が死にたがっているのか、この日はまだ知らずにすんでいた。
兄が馬鹿だと思うことその二、ピアスをしていること。一つ二つくらいならまだしも兄は両耳にいくつもピアスをあけている、見ているこちらが痛々しいほどに。いくらピアスがお洒落でもこんなには穴をあけたくないなと貴樹は常々思っている。
だって痛そうだし、親からもらった体に穴を開けるのもなと。人間なんてもとから穴だらけなのに。そう言うと兄はゲラゲラと笑った。
「考え方が昭和で止まってるよお前」
「……」
「でも、お前はそれでいいよ」
そう言って兄は俺の黒い髪の毛を弄りながら鼻唄を歌う。
「そのままでいてくれ、な?」
「……わかった」
どうしてそんなに悲しそうな顔をするのか、尋ねる勇気は何故か湧いてはこなかった。
兄のピアスの穴は炎症を起こしてほんのりと赤い。
痛そうだとこちらまで耳が痛くなった。
そしてこれが一番怒っていること。おバカシリーズその三、遠くの大学にいっても一度たりとも帰省してこないこと。
もう兄が出ていってから3年たつが一度も帰ってきていない。やれバイトが忙しいだの、課題があるだの、様々理由でのらりくらり帰省をしていない。そろそろこちらも我慢の限界である。
母さんは顔が見たいとさめざめ嘆く、父さんはバカ息子めと怒っている。今日も「そんなに帰りたくないのね」と母さんを悲しませている。そうまでして家に帰ってこないというなら上等だ。
こちらから乗り込んでやるまでだ。
貴樹はこの夏休みに兄のアパートに乗り込む計画を立て、それを親に伝え承諾を貰った。去年は来るなと言われて行かなかったが今回ばかりは無言で乗り込んでいってやる。
「待ってろよ、バカ兄貴ぃ……」
いろいろと言ってやりたいことがある。話し合いたいこともある。
電話じゃダメだ。こういうのは直接会って話すべきことだ。
貴樹は勇み足で家を出ていった。