はいはい、二人は熱々ですよー
「兄様!」
紗那は、俺に会って早々、全身から憤怒のオーラを放って叫んだ。
「なぜ来てくれなかったのですか!?」
俺の胸を両の拳で叩く紗那。
「わたくしが一番走者だというのに……兄様がどこかでご覧になっていることを思いながら、走りましたのに……!」
「分かった、分かったから泣くなって、紗那……」
俺が紗那の頭を撫でると、紗那は「えへへ」と笑みを浮かべて泣き止んだ。
現金な奴だな、こいつも。
さっきまでの憤怒のオーラはどこへやったのか、俺は本気で知りたいと思う。
「でも、姫ヶ崎様といい雰囲気だったようですね」
紗那は、一転して厳しい表情を浮かべて言う。
怒りのオーラ復活――。
でも。
俺は、最初自分の耳を疑った。
そして、次に紗那が適当なことを言っているのではないかと考えた。
なぜ紗那が、俺が姫ヶ崎と二人でいたことを知っているのか――?
そして、悪い雰囲気ではなかったことも。
紗那の徒競走の観戦をすっぽかして、姫ヶ崎と話していたのだから、当然紗那はそのことは知らないはずだ――。
そう考えて、思い当たった。
今日は体育祭。珍しく、この蕭条学園の校地内に保護者が立ち入れる日だ。高校の体育祭とは言え、校内には保護者の姿も多い。
妙子さんが来ていないなんて、どうして思ってたんだ――。
紗那に俺の日常生活の監視を任せているような相手だ。合法的に校内に立ち入れる日に、姿を見せないなんてありえないことだった。
いや――来ても姿は見せない。
その可能性を、考えておくべきだったのだ。
「母様から聞きましたよ。姫ヶ崎様、兄様を前にして真っ赤になっていたとか」
「いや、それは……暑かったから、じゃないか?」
「はいはい、二人は熱々ですよー」
口をとがらせて言う紗那。しかし、一転して真剣な表情になる。
「やはり、姫ヶ崎様は鬼門院の家には……」
「俺の婚約者にはできない、ってか」
妙子さんから言われたのだろう。または、鬼門院家の周辺の誰かから。
「姫ヶ崎様が、とても性根の真っすぐな、素晴らしいお方だというのは、鬼門院の家も理解しています。でも、今のままでは家のことなど、とても任せられないと――」
「そうか――」
やはり――。
鬼門院の家の人間の考えることは、俺の思いとは正反対のものだ。
きっと鬼門院の人間の理屈に従うなら、俺のことを思って料理なんて作らなくてもいい、技術があって家を回すことが上手く出来さえすればそれでいい、そういうことになるのだろう。
鬼門院の嫁は、家を次代に回していく歯車でしかないのだから。
鬼門院家は、お家が大事。
その他のことなんて、二の次だ。
なら――俺にも考えがある。
誰が姫ヶ崎みたいな奴を、みすみす鬼門院の家なんかに放り込んだりするものか。
俺が意を決していることは、紗那にも伝わったらしく、彼女は心配そうな表情を浮かべて俺を見つめていた。
紗那だって、姫ヶ崎のことは良く知っている。
でも紗那は、鬼門院の人間だ。
紗那も――きっと、紗那なりに懊悩しているのだろう。
俺だって、そのくらいのことは理解しているつもりだ。
理解しているつもりだけど――。
俺と紗那は時が過ぎるのも忘れて、その場に静止していた。
「あ、ちょっとあんたこんなところで何ぼさっと突っ立ってんのよ」
俺を現実に引き戻したのは、霧ヶ峰の声だった。
「そこ、仕出しのトラックが通るんだから道開けておきなさい」
そうだ――。
蕭条学園の体育祭では、普通の高校とは違って昼休みに仕出し弁当が振る舞われる。さすがの資金力、といったところだ。
でも、こちらとしては生徒に振る舞ってもらえるとありがたいのだが。
仕出し弁当が振る舞われるのは、来賓と教職員だけだ。
あの蜥蜴がそんな豪勢なものを食べると思うと無性に腹が立ってくる。
「それとも、あんたも手伝ってくれるの?」
霧ヶ峰がそう言うので、俺は慌ててその場から下がった。
「それに、一般生徒は運動場で観戦してなさい。何が楽しくてこの炎天下の中、こんなところに突っ立ってんだか」
「あのなあ、そこまで言うこと……」
俺がそう抗議する間もなく、霧ヶ峰は俺に何かを投げてよこす。
慌てて受け取ったけれど――。
「これ爆発物とかじゃないだろうな」
「あんたは私が何だと思ってるわけ!?」
両手で掴んだ、ひんやりとした物体を見ると、それは缶ジュースだった。
「……悪いな」
「……その、なんと言うか……今日はあんたも頑張ってくれたし、今日のあんた、なんか……」
って。
「ジュースついでに何言わせようとしてんのよあんたはっ!?」
「ちょ、ちょっと待て俺は何も……!」
霧ヶ峰の鉄拳制裁が飛ぶ。
こいつ――今からこんなに全力出し切って大丈夫なのか。
霧ヶ峰も確か、午後から徒競走だったはずだぞ。
でも殴られて忠告する義理なんてないので、それは黙っておいた。
「ほら、あんたもこんなところにいないで、先輩たちの競技でも見てきなさい」
彼女はそう言うと、忙しそうにその場を立ち去った。




