甲賀沼様、お止めくださいね……?兄様を籠絡しようなどと……
「わたくしの手で、女子バスケ部を潰すことが叶わなかったことは悔しいですが……」
最終的に、最も多くの帽子を取ったのは、意外にも園芸部の騎馬だったという。
多分、道明寺が参加したおかげだ。
それが園芸部にとって良かったのか悪かったのかは分からないけれど。
女子バスケ部の騎馬は、結局二位に収まった。
俺たちの騎馬に手間取っていて、出足が遅れたようだ。
そして――。
「杉内」
俺は、あの蜥蜴に呼び止められた。
「私は杉内が女子だなんて知りませんでした」
「いや、これはその……」
「明日から女子として扱うことにしますね。あ、そうだ。再来週からプールが始まりますが、杉内はどこの更衣室を使うんでしょうかね」
爬虫類的な目線を俺に投げる賀茂川。
毎度ながら同じような言葉だが、そうとしか言いようがない。
俺が蜥蜴とか蛇が嫌いだから、そう思っているだけかもしれないけれど。
ともかくこのまま女子扱いされてはたまったものではない。
「だ、男子更衣室です……」
「賀茂川先生! これには深い事情があったのです!」
賀茂川に嘆願するように言う紗那。
「私はあなたたちの事情なんて知ったことではありませんよ。実行委員とも、お話合いが必要ですね……」
「ちょ、ちょっと待ってください……」
あまり話を大きくされると、かなり困る――。
「……でも厄介ですねえ」
賀茂川が、ぐしゃぐしゃの頭を掻いて言う。
「うちのクラスの生徒たちのこんな顔を見たら、杉内を理事会に掛けられなくなってしまいますね……」
そう言って、賀茂川は俺たちの後ろにいる五人を指す。
その表情、その度合いは違えど。
皆、とても達成感に溢れた表情で。
「良かったわね」
甲賀沼が、こちらに視線を送って言う。
「……お兄ちゃん」
だからその変な上目遣いを止めろ――。
「……杉内が自分の欲望に任せて、騎馬戦の練習と称してあんなことやこんなことをしていたということも、合わせてホームルームでお話しますね。あ、言っておくと、あなたに拒否権はありませんので」
「いや――それは止めてください」
土下座しろと言われたら、俺はこの蜥蜴に土下座することも辞さない。
この爬虫類教師――お前のせいでせっかくの感動シーンがぶち壊しなんだよ。
「ああ、はいはい」
俺の心を見透かしたのか、蜥蜴女はそう冷たくあしらうと、俺たちのもとを去って行った。
「甲賀沼様、お止めくださいね……? 兄様を籠絡しようなどと……」
後ろから、紗那の聴く者に恐怖感と絶望感しか与えない笑い声が聞こえてくる。
どうして――。
どうしていつもこうなるんだよ。
「ありがとう」
騎馬戦が終わって、水飲み場に移動する最中。
俺と紗那は、突然姫ヶ崎からそんなことを言われた。
「何の……ことでしょうか」
本当に分からない、と言った調子で問いかける紗那。
俺も実を言うと、姫ヶ崎の言っていることが分からない。
「紗那ちゃんと杉内君が言い出してくれなかったら、こんなこと、できなかったから――」
そうか――騎馬戦のことだ。
確かに、紗那があそこまで強引にことを進めなければ、あの五人が集まってこんなことをするなんて考えられないことだっただろう。
「今日の二人……とっても、格好良かったよ」
少し照れたようにいう姫ヶ崎。
「バスケ部に負けたのは、残念だったけど……」
「でも、一回戦では倒すことが出来ました」
そう言って、紗那は姫ヶ崎の手を握る。
「それに、今日はまだ終わりではありませんよ。あ、そうだ。この次一年生の徒競走があるのでした、わたくしとしたことが……」
紗那は、そう言うが早いか蛇口から水を飲み、口を拭って運動場へと立ち去る。
「兄様も、必ずや応援にいらしてくださいね! 約束ですよ!」
「ああ、分かった」
俺は、手を振って紗那を見送った。
この場所にいるのは、俺と姫ヶ崎の二人きり。
「それに――私、杉内君のおかげで、すごく気持ちが楽になったの。私が、杉内君のことを思って――それだけでいいんだって、言ってくれて」
話している間にも、姫ヶ崎の顔はみるみる真っ赤になっていく。
今思えば、恥ずかしいセリフだったかもしれない。
でも、それを言った俺に後悔はないし、今だって気持ちは変わっていない。
「だから――本当に、杉内君には感謝してるんだ」
姫ヶ崎は、少し頬を染めたまま微笑して言う。
でも――。
でも、俺にしてみれば。
俺なんて、姫ヶ崎に何もしちゃいない。何もできちゃいない――。
俺は、それを姫ヶ崎に言った。
「そんなことないよ」
姫ヶ崎はその言葉を否定する。
「杉内君は、私にたくさんのことをしてくれたと思ってる。私にとっては、すごくたくさんのことだよ」
姫ヶ崎がそう言うなら――。
姫ヶ崎が、そう否定するのなら。
俺にだって、言いたいことがある。
「じゃあ、そんなことないついでに言わせてもらうが――」
俺は、姫ヶ崎の眼を直視して切り出す。
「姫ヶ崎――いつだったか、紗那が騎馬戦にお前を誘った時だったと思うが、言ってたよな。それくらいしか、できないって」
そんなことはない――俺はそう思う。
俺は、それを姫ヶ崎に告げた。
「俺にたくさんのことをしてくれたのは、姫ヶ崎の方だ。感謝しないといけないのは、俺の方だよ」
姫ヶ崎をあれだけ傷つけておいて――。
間違っても、俺は感謝される相手ではないのかもしれない。
「お前に世話かけっぱなしだったな、俺」
「杉内君……いいんだよ。私が、好きでやってたことだし」
でも間違いなく、それは俺のことを思ってやってくれたことだ。
勘違いだと言われようが、俺の中では揺るがない事実だ。
「でも嬉しい……杉内君にそんなこと言ってもらえて」
姫ヶ崎は、照れたように前髪を触りながら言う。
いや――。
俺は、本当のことを言っただけだ。
俺にとっては、ごく当たり前のことを。
「こんなところにいても、仕方ないし……」
姫ヶ崎が照れ隠しのように、話題を転換する。
「紗那ちゃんの徒競走、見に行こうよ。応援してあげないとね、お兄ちゃんとして」
そう言って、俺の背中を押す姫ヶ崎。
「私にも、杉内君みたいなお兄ちゃんがいればいいのにな……」
ふとそんな声が聞こえて来た気がするが、きっと聞き間違いだろう。




