お前にもやっと分かってもらえたか、俺の性癖の素晴らしさが……!
結局、俺たちは職員室のゴミ当番をさせられることになった。勿論、鉄拳――ではなく鉄脚制裁付きで。
「本当に済まないことをした」
御影は「手伝わせてほしい」と言ってきたが、俺も黒瀬もそれは断った。彼女に手伝わせたことが賀茂川にバレたらさらに重い罰が課せられるだろうし、そもそもこの一件は御影のせいではない。
「しかし……」
「いいっていいって」
再三断ると強情な御影もさすがに「そうか……貴殿らがそう申されるのなら仕方がない」と言って、竹刀を携えたまま歩き去った。
「自分が罰を受けているという自覚がないようですね……」
その絡みつくような声に後ろを振り向くと、賀茂川が俺と黒瀬のすぐ後ろに腕を組んで立っていた。
「いえ、これは……」
俺の言い訳を封じるように、背中に脚の感触が当たる。
賀茂川の脚が俺と黒瀬の背中にクリーンヒットしたのだ。
「痛ったッ!」
俺は無様にも背中を抑えて前に倒れそうになり、すんでのところで体勢を立て直した。こいつ本気でやりやがった。
「何するんですか⁉」
「あなた方が早くゴミ出しに行けるように、背中を脚で押して差し上げたんですよ。生徒が立ち止まっている時に背中を押すのは、教師の役目ですからね」
もっと感謝してください、と賀茂川は言う。
またあのレトリックか――。
いや、レトリックにもなっていないような気もするぞ。
「はい、ありがとうございます……」
こいつ筋金入りの変態だ。俺は黒瀬の恍惚とした表情を見てそう思った。賀茂川はこいつに罰を与えることはできない。永遠に。せいぜいどんな罰則が効果的か悩みに悩みぬいて苦しみやがれ。
「さあ、早く行ってください。それとももっと強く背中を押した方がいいですか」
俺たちの背中を蹴り上げる準備をしながら賀茂川は言う。
俺はその場に踏みとどまろうとする黒瀬の背中を押して、職員室のドアを後ろ手に閉めた。賀茂川のため息が聞こえてくる。
それが俺たちの遅刻に対してのものなのか、黒瀬のマゾヒズム傾向を嘆いてのものなのか、俺には判別がつかなかった。
学校生活で出たゴミは、すべて教室棟の奥にある部室棟の東側、緑のフェンスで覆われた集積場に集められる。これとは別に、寮の集積所というものもあるが、この集積場に比べたら可愛いものだ。
「お前は本当にいい性癖してるよな……」
黒瀬への言葉は皮肉でも何でもない、俺の実感だ。
「罰が増える分、お前は得するってわけだ」
「得……っていうか、快楽だな」
生々しい言葉で黒瀬は返す。
「お前にもやっと分かってもらえたか、俺の性癖の素晴らしさが……!」
「いや……別に高尚とかそんな話はしてないんだが……」
こいつには性癖の話をした途端に、話が通じなくなる。普段はいい奴なんだが。
「でも俺だって、誰でもいいわけじゃないんだぜ。蕭条学園の美人教師ベスト三十七の五位にランクインしてる、賀茂川先生だからだな……」
「あの蜥蜴女がね……」
それに――。
三十七――何だか圧力を感じる、微妙な数字だ。
三十とかにしたら、角が立つようなことがあったのだろうか。
「しかも、あれで結婚してないってんだぜ。本人は結構気にしてるらしいけど、俺に言わせればみんなの楓子先生でいて欲しいところだな」
「楓子先生って……」
あの爬虫類が男子共にそんなに人気のある理由が分からない。
あの威圧感の割に背が低いからとかそんな理由か?
一般的に、男って身長の低い娘の方が好きだって言うし。
俺は自分と同じくらいがベストだと思っているから、分からないが。
「と言うか、その発言は美少女ハンター黒瀬興太郎としてどうなんだ? あいつは美少女というより、本物のおばさんだろうが」
賀茂川楓子。御年三十七歳。今度の誕生日には三十八歳。
お祝いしたら張り飛ばされそうだ。
「分かってないなあ、お前も」
黒瀬は、やれやれ、といったように肩を竦める。
「いいか。今日の朝、俺はお前に極意を伝えたはずだ。美少女は直感であるとな。俺は、賀茂川先生を一目見た時に直感したんだ。この人はかつて間違いなく美少女であったと! こうなったら元美少女として、俺に見逃せるわけがないよな」
「いや、よなって言われても俺には分からんが……」
元美少女だなんて俺の口から言ったら皮肉にしか聞こえない言葉だ。それをぬけぬけと言って、しかも悪口に聞こえないというのは、黒瀬の一種の才能だと思う。
「しかも賀茂川先生って、ぱっと見二十代くらいにしか見えないし」
「ああ、それはそうかもな」
確かにあのいで立ち、あの顔つきは二十代と言われても納得だ。
ただ責任感がないだけだと思うのだが。
「だから俺にとっては……」
黒瀬が滔々と語っている最中に、ふと言葉を止める。
こんなことは、こいつと一緒にいればいくらでも経験することだ。
「またかよ……」
黒瀬の視線は、ゴミ袋を抱えて集積場を徘徊している一人の小柄な女子生徒に注がれている。
ツインテールにまとめた紫がかった髪が、集積場に集まる五六人の生徒たちの中でひときわ目立っていた。
制服のサイズが合っていないのか、手がシャツの袖に隠れている。その上から、袋を持っている格好だ。
「あれ……」
「だよなあ」
俺が「あれ」と言ったのは、黒瀬の考えたような理由からではない。
何やってんだあいつ――?
手に持っているのは、うちのクラスのゴミ袋だ。
今日うちのクラスで、ゴミなんて出たか?
俺は、黒瀬が「おいちょっと待てよ、抜け駆けしようってか?」と冗談交じりに――本人にしてみれば真剣なのかもしれないが――制止するのを無視して、彼女に近づいていく。
こんなことがいちいち気になって声を掛けるのも、ひとえにプリントの運搬にゴミ出しと、賀茂川のパシリにいい加減飽きが来ていたからだ。
普段の俺なら絶対こんなことはしなかった。
普段の俺なら――。