兄様がもう二度とお目覚めにならないかと、わたくし気が気ではなく……
俺が目を開くと、そこには紗那の心配そうな顔があった。
「兄様‼ お目覚めになられたのですね」
まるで俺が車にでもぶつかって意識を失っていたかのように、大袈裟に言う紗那。
俺が意識を失っていたというところまでは合っているが。
そして、俺の背中には何やら柔らかい感触が。
どうやら俺は運動場で倒れて、そのまま紗那に保健室のベッドに運ばれたらしい。
保健室と言っても、そこは蕭条学園。ごく一般的な高校の保健室に比べれば、かなり広い部類に入るだろう。そして、ベッドの数も多い。
俺はその一つに寝かされているというわけだ。
「あんたが倒れたって聞いたから、聖花たちが保健室まで運んでくれたのよ」
霧ヶ峰が、わざわざご丁寧に状況を説明してくれた。
俺の身に異変が起こったことを聞きつけて、わざわざ生徒会室から飛び出してきたのだという。
「わ、悪いな……」
「聖花はもう行ったわよ」
あんたが、なかなか目を覚まさなかったからね――と霧ヶ峰は言う。
俺の体感時間にしてみれば一瞬。
そんなに眠り込んでいたつもりはなかったのだが。
それに、悪いなという言葉は何も姫ヶ崎だけに言ったものではない。
霧ヶ峰は誤解していたようだが、俺はそれを正すことはせず、窓の外に視線を移した。
「あ――」
姫ヶ崎たちも帰るわけだ。
運動場にいた時は、まだ陽が高かったのに、保健室の窓を通して見る空はすっかり暗くなっていた。
壁にかかった時計を見る。九時十三分――。
「兄様がもう二度とお目覚めにならないかと、わたくし気が気ではなく……」
瞳に涙さえ浮かべる紗那。
そんな彼女を見て霧ヶ峰もちょっと引いているように見えるが、「あんたをこんなに心配してくれるのなんて、この娘くらいじゃないの……」と言う。
そりゃ悪かったな――。
どうせ他に心配してくれる人なんていない。というか、お前がもっと心配しろ。
いや――でも紗那が本気で心配してくれているのは事実だ。それこそ、大袈裟なくらい。
俺がそんなことを考えていると、引き戸が開く音が聞こえた。
「おお、起きたか」
その声を聞いて、俺はドアの方に視線を動かす。寝ているので全身を見ることはかなわなかったが、ベッドに身体を横たえながらでもあの位置で頭頂部が見える。
こんなに背が高い知り合いは、御影しかいない。
「貴殿には熱があるようだな」
頭がボーっとしているのは、そのせいか。
「最初は熱中症ではないかと思ったのだが、保健室に連れ込んでもなかなか熱が取れなくてな。おそらく、風邪ではないかと思うのだが」
熱が取れなくて――それをどういう手段で知ったのかは気になるところだが。
「とにかく、貴殿はゆっくり休まれるとよい」
「でも、ずっと保健室で寝かせとくわけにもいかないでしょう」
確かに霧ヶ峰の言う通りだ。このまま夜通し保健室にいるわけにもいかない。
「兄様、立てますか?」
そう言って、紗那が俺に手を差し伸べる。
「ああ」
俺は紗那の助けを借りないで、ベッドから立ち上がった。まだ少し、足がふらつく。
「兄様‼」
紗那が慌てて俺の身体を支える。
「思ったより、深刻そうね……」
「紗那殿だけでは重いだろう。私も手伝うぞ」
そう言って、御影が俺の腕を肩に回そうとする。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……」
一人手持無沙汰になった霧ヶ峰が言う。
「ああ、霧ヶ峰殿は須甲先生に鍵を返してきてくれ」
「……分かったわよ」
霧ヶ峰は、なぜか嫌々ながら、という表情を浮かべて返答する。
さすがの須甲先生も、この時間になると校内には残っていない。校地の中にある教職員寮に住んでいるので、今なら直接行って鍵を返せるだろう。
でも、確かにここから教職員寮まで行くのは面倒ではある。
「では頼んだぞ、霧ヶ峰殿」
保健室に一人残った霧ヶ峰にそう言い残し、「では、参るか」と言って御影は俺の身体を支えながら一歩踏み出す。
今の俺は相当情けない恰好だろうな、という考えだけが、俺の朦朧とした頭に浮かんでは消えていった。




