兄様には、鷹司様として出場していただくことになります
「お前なあ……ちょっとでいいから、寝たらどうなんだよ。授業中のちょっとした時間でもいいから」
授業中に寝ることを勧められたのは人生で初めてだ。
「何か眠れない理由でもあるのか? まあ確かに、美少女たちとの暮らしが毎晩楽しくて眠れないのは分かるが……」
「俺は楽しくて眠れないわけじゃないんだがな」
黒瀬は完全に誤解している。俺が眠れないのは、もっと深刻な理由からだ。
かといって、なぜか授業中に眠れるわけでもない。
決して教師の話に集中しているわけではないが、この教室の中に姫ヶ崎がいると思うと、うとうともできないのだ。
姫ヶ崎が自分の気持ちをもっとストレートに表現する娘だったら、俺もこんなことにはならなかったのかもしれない。
面と向かって嫌ってくれれば、こちらとしても腹が決まる。
でも、姫ヶ崎が俺のことをどう思っているのかなんて、俺には分からないままで。
多分俺が姫ヶ崎のことばかり考えてしまうのはそのせいだ。
でもそれを一番言ってはいけない相手は目の前にいる。
鷹司と黒瀬。
こいつら妙なところでは同類だったりする。普段は似ても似つかない二人なのに。
「しかもよりによって化学の教科書忘れるしさ……お前一体どうしちまったんだよ」
黒瀬が心底心配そうに言う。
化学の教科書を忘れて、一時限目からあの蜥蜴女に「教科書がないのなら文章を暗唱しろ」と言われて、当然ながらそんなことができるわけもなく授業の間はずっとパシリとしてチョークを拾わされたり黒板を消させられたりした。
「お前も教科書くらいロッカーに置くようにしろよな」
「ああ、そうだな……検討しとく」
「お前……やっぱり相当疲れてるな」
いつもならそんな気のない返事はしないぞ、と黒瀬は言う。
黒瀬が言うのだったらそうなのだろう。
まあ――当たり前の話だろう。
俺は、この一週間一睡もしていないのだから――。
八日目の練習。
いよいよ体育祭まで二週間だ。
紗那もかなり無理な練習メニューを俺たちに課しているが、こいつの身体は大丈夫なのだろうか。俺ほどではないにしても、そろそろ疲れが出て来るはずだ。
でも、紗那のことだから大丈夫なのだろう。
小さいころから、不思議と病気をしたことはあまりなかった。
その風貌に限って言えば「深窓の令嬢」という言葉で表現するのがふさわしく、一見身体が弱そうに見える紗那だが、こう見えて俺よりもずっと体力はあると思う。
それに紗那は、疲れたら自分で休むだろう。
九日目と十日目。
今まで練習の中心となっていた紗那が休み。全部の練習に出ているのは俺だけ。
十一日目、十二日目、十三日目、十四日目。
結局、鷹司が練習に参加することはなかった。
その代わり、道明寺が時々訪れて、風呂まで入っていった。道明寺とうちの寮メンバーで風呂に入って、一時間以上かからなかったためしがない。俺はその度に、部屋から出なければいけない羽目になる。
寮の再建は、俺にとっては切実な問題だ。
そして。
相変わらず、姫ヶ崎とは十秒以上の会話は出来ていない。
俺が夜きちんと眠れた日もない。
そんな微妙な状態のまま、とうとう十五日目――体育祭まで後一週間となった日である。
今日練習に来たのは、俺と紗那、姫ヶ崎に道明寺、そして甲賀沼の五人。あとの二人は、部活や生徒会が終わってから来ると言っていた。
鷹司の参加は、もう皆諦めたようだった。
「兄様には、これまで道明寺様として練習に参加していただきました」
紗那が、俺たち四人を前にして切り出す。
「しかし、鷹司様が一向に練習に参加されるご様子がないので、急遽本物の道明寺様に出場していただくことに致します」
「では、杉内少年はどうするのですかな?」
道明寺が訊くと、紗那は「よくぞ聞いてくれました!」と言わんばかりに鼻息を荒くして答える。
「兄様には、鷹司様として出場していただくことになります」
「おいちょっと待て……」
俺が?
鷹司に?
冗談ではない。
「途中交代しなければ、騎馬を作れる人数は十分集まってるんじゃないのか? 今いるだけでも騎馬は十分組めるだろ」
「ところがですね兄様。体育祭の実行委員を捕まえて問いただしたところ、一度この騎馬戦にこの寮の全員の名前を書いてエントリーしてしまったが最後、よほどの事情がない限りは出場者を減らしたり、変更したりすることはできないのです」
どうしてそれを嬉しそうに言うんだよ――と言うのはさておき。
今までは、相手が道明寺だから仮装しても許してもらえたという節はあった。
でも、あの鷹司がそれを許すだろうか?
あの、蕭条の新女王と呼ばれた鷹司知紗季が。
下手したら、口を利いてもらえなくなる可能性もある――。




