かくかくしかじか、かれこれかような惚れた腫れたがありまして……
「ストップ」
不測の事態に、賀茂川もさすがにいつもは重い腰を上げる。
というか、何で今まで止めなかったんだよ――。
俺、一瞬本気で殺されるかと思ったぞ。
「とりあえず、危険ですからそれを仕舞ってください。あなたもせっかく斜陽の部活から本校を代表する部活動にまでのし上がった剣道部をみすみす潰したくはないでしょう?」
賀茂川が言うと、御影は渋々俺たちに向けていた竹刀の切っ先を下げる。
「御影さん、あなたは何か思い違いをしているようですね」
「そうです‼ 貴殿は重大な思い違いをしています!」
紗那が賀茂川の言葉を継ぐように、立ち上がって御影に言う。
こいつ――御影の口調が移ったな。
「わたくしから今までの経緯を説明させていただきますと――」
紗那は、携えているだけでかなりの迫力がある竹刀を手にした御影に正対して言う。
これに斬られたらひとたまりもないだろう――紗那も勇気がある奴だな。
「かくかくしかじか、かれこれかような惚れた腫れたがありまして……」
「何ッ⁉ 貴様らやはり娘を泣かせているなッ⁉」
御影が気色ばみ、一瞬の速さで竹刀を構える。
「わざわざ誤解を招くようなことを言うなよお前は! 俺を殺す気か⁉」
「兄様すみません‼ えーとこういうときは、切った張ったじゃなくて……」
「それは今から起こる事態だ‼」
「えー、えー、あ、そうでしたそうでした、かれこれかようなすったもんだが……」
紗那が言い直すと、御影も竹刀を収めた。
俺は、彼女が竹刀を制服の腰に差していることに初めて気づいた。とすると、あれは改造スカートだろうか。賀茂川が文句を言わないんだったら、別に俺の知ったことではないが。
ミニ風紀委員は何と言うか分からないけど。
紗那が今までの経緯を、自分が校内を物色していたという事実を巧みに伏せて御影に説明すると、それまで御影の全身から放たれていた殺気が消え失せた。
「貴殿ら、私の勘違いで非礼な真似をしてすまなかった」
御影は俺たちに頭を下げる。呼び方も変わっていた。
「いえ、そんなご丁寧に……」
黒瀬は恐縮しきって、頭を掻く。
こいつにとってはとんだとばっちりだったが――でも斬られても喜んだだろうからまあいい。
「でも私は貴殿らを斬ろうとした」
そうだったのかよ――今更ながら俺の額を冷や汗が伝う。
あの構えはやはり、俺たちを殺す気だったのだ。
「何かしなければ、私の気が済まない」
言って、御影は床に落ちていたプリントを拾い出す。
「こんなにたくさん……男手とは言え、二人では重かろう。私も持っていこう」
「おいおい、そんな別に」
「私の気が済まぬのだ」
御影の意思は変わらないらしい。見た目通り義理堅い奴だ。
御影がせっかくそう言ってくれるんだったら、そうしてもらおうと、俺は思った。
賀茂川も何も言わないみたいだし……。
俺は、賀茂川がさっきまで立っていた場所を振り向く。
誰もいない――。
「賀茂川先生なら先に教室行ったぞ」
黒瀬が腰を落としてプリントを拾いながら言う。
俺らが教室に着く前にホームルームを始めようってことか。そうしたらまた俺たちは遅刻確定――。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
御影が、俺の顔を覗き込んでくる。
「いや、何でもないんだが――」
あいつのことだから、「始業にも遅刻、ホームルームにも遅刻。そんなに私のパシリを望んでいるのですか。でしたら一生私に仕えてもらうこともやぶさかではありませんけれどね」と言って、また何か俺たちに面倒ごとを押し付けるはずだ。
黒瀬は喜ぶかもしれないが、こっちはたまったものではない。
とにかく、三人で散乱した配布物を早く回収しよう。
というか――。
紗那は何をやってるんだ。
俺が紗那に「お前もやれ」という視線を送ると、紗那が慌てて「は、はい」と言ってその場に腰を下ろした。もとはと言えば、こいつがぶつかって来たのがすべての原因だ。
「――御影千桂、さん……」
紗那が、傍らでそう呟いたような気がした。
御影は「近頃急速に力を伸ばし始めた、蕭条の剣道部の次期部長候補」として受験生たちの間でも有名だから、彼女のことは紗那も知っているのだろう。
だから俺は、あまり気に留めなかった。
紗那が彼女の名を知っていたという事実を。
この時の俺は、まだ知らなかったのだ。
紗那が校内を物色していたという、その真の理由を。
俺を取り巻く陰謀が、もう取返しのつかない地点まで進行していたということを――。