それで、その妹を二人で籠絡してたってこと?
「兄様、本当に大丈夫なのですか?」
俺と並んで歩いている紗那が訊ねてくる。
「先ほど頭を打って、何か心配事を思いだされたとか……」
「杉内はいつもこんな感じだよ」
黒瀬が、俺の代わりに紗那に答える。
「そうなのですか?」
紗那は目を丸くして答え、「それはそれで問題ですね……」と拳を顎に当てて考え込む。
「まあ、心配することもないだろ」
黒瀬が快活に言う。
「それよりさ、杉内。早く、新しいクラス確認しようぜ。紗那ちゃん、悪いが俺たちは教室に行くから」
また霧ヶ峰に怒られちまうよ、おお怖い怖いと、全く怖がっているそぶりも見せずに、黒瀬は笑いながら肩を竦める。
「あ、そうだな……」
俺も頭を切り替えて、昇降口へ向かうことにした。
「勝ったぜ」
新しいクラスの発表を見て、黒瀬がガッツポーズをしながら口にする。
「何がだよ?」
「俺の作った美少女リストのトップ一〇〇から、俺たちのクラスに一二人も入ってる」
「トップ一〇〇って……」
確かにこの高校は顔面偏差値も高いと言われているが、そんなにトップがいると逆にその信憑性が心配になる。
顔面偏差値というのだって、見る人の主観だから信憑性なんてないわけだけど――。
「しかも一〇〇人中一二人って少ないんだか多いんだかわかんねえな」
全校生徒は一五〇〇人。
そして、一クラスは四三人。
「あ、多いか」
「だろ?」
黒瀬が嬉しそうに言う。
「しかも担任は賀茂川先生だし」
「化学の賀茂川か……」
新しい担任教師、賀茂川楓子は、俺たちが一年生の時に化学を受け持っていた。三七歳、独身。確かに美人ではあるが……。
「何だよ杉内、反応薄いな」
「いや……別に反応しろと言われてもな……」
大体俺に教師に対する思い入れはそれほどない。賀茂川とは授業以外でそれほど関わりがなかったし。
「剣道少女の御影千桂も、ミス蕭条コンテストに推薦で名前が挙がった姫ヶ崎聖花もいるぞ。あ、あと道明寺もいるな」
俺の知らない名前ばかり、黒瀬は列挙していく。その記憶力を他のところに使うことができないか、世のため人のために検討してみようと考えたが、すぐやめた。
蕭条の美少女ハンターがその能力を他のことに使うなどありえない話。考えるだけ無駄だ。
俺は、気を取り直して新たなクラスが記載された巨大な掲示物の上に目を滑らせ、そこに見慣れた名前があることに気づいた。
「でも霧ヶ峰もいるぞ」
「あ、本当だ」
またあいつか、という落胆というよりは呆れに近い表情を浮かべる黒瀬。
「もしかして、俺たちって霧ヶ峰に目つけられてるんじゃないか?」
俺が冗談交じりに言うと、黒瀬はそれを本気で受け取ったらしく、「なるほど、その可能性もあるな」と言う。
でも実際のところは、クラス編成をするのは担任団であって、生徒会ではない。
なんでこんなクラス分けになったのか謎なのだが。
黒瀬興太郎と道明寺ほかけを一緒のクラスに放り込むなど、正気の沙汰ではないと思う。しかも美少女トップ一〇〇と一緒に。
賀茂川にライオンとシマウマを一緒に飼育する趣味があるなら話は別だが。
そんな趣味ありそうな気もするが……。
あの賀茂川ならやりかねない。
「もしかしたら、三年も霧ヶ峰と一緒かもな」
黒瀬が言う。なかなかぞっとしない予測だ。
「恐ろしい事言うなよ」
「あ! こら!」
噂をすれば、霧ヶ峰の影……。
いつの間にか、霧ヶ峰が後ろに立っていた。
「早く行きなさいって言ったでしょ⁉ 今、何時だと思ってるの⁉」
八時五十四分よ、と霧ヶ峰は自分の腕時計を見せて怒鳴る。
「いや、俺にもいろいろあってさ……」
今日の体力と精神力の半分は、紗那との突然にして不本意な邂逅で使い果たしてしまった気分だ。
「こいつの妹が来たんだよ」
「そうそう、俺の妹が。今日入学式でもないのに……入学式って、確か明日だったよな」
その辺の記憶は曖昧だが。
「それで、その妹を二人で籠絡してたってこと?」
霧ヶ峰が腰を落として上目遣いに俺たちを睨み、呆れたような声を上げる。
「全くあんたら男子ってのは、年下の女の子を手練手管を弄してわが物にしようかとか、そういうことしか考えてないわけ? 言っておくけどね、そういう娘たちがあんたのものになることなんて、どんなに頑張っても一生ないから‼」
そこまで言われるようなことはしていないはずだ。と言うか霧ヶ峰に責められるようなことは何もしていない。
「私だって、何されようが私のものだし……ってそういう問題じゃない‼ 話をそらさないで頂戴!」
「いや……今のはそっちから話をそらしてたと思うんだが」
「そんなことはともかく‼」
女子の中でも身長が平均程度の霧ヶ峰が、精いっぱい俺の目線に顔を近づけて叫ぶ。
「どうせまたそんなことしてたんでしょ⁉ 信じらんないわ!」
「そんなわけないだろ?」
「じゃあなんでこんな時間までほっつき歩いてるのよ!」
「それは……」
妹と俺の数奇な宿命について考えを巡らせながら歩いていたら、つい歩みが遅くなってしまったなんて言っても、彼女は理解してくれないだろう。
「あと妹の入学式くらい覚えといてやりなさい」
霧ヶ峰は、今度は呆れたように言う。
「あんたのたった一人の妹でしょうが」
「そりゃそうだが……え? なんでお前がそんなこと知ってんだよ」
「あのねえ……あの妹ちゃんの態度を見てりゃ、他に兄妹がいないことなんて、誰でも想像できるでしょ」
妹が二人もいたらああはならない、と霧ヶ峰が言う。
「私にも兄貴がいるけど、倭香がいるから私は……」
これも霧ヶ峰自身の境遇に基づいた判断のようだ。
「って何言おうとしてんの私⁉ ってか何聞いてんのよあんたたち!」
「いや、お前が勝手に言っただけだし……」
「とにかく、この時間になっちゃしょうがないわね……式には間に合うから、一緒についてきなさい」
彼女の話によれば、生徒会は遅刻した生徒をせっついたり――それを霧ヶ峰は今しているわけだ――する必要があるので、入場が他の生徒たちと違って不規則なのだという。
これも、生徒会の特権、と言う奴か。
俺がそう言ったら、霧ヶ峰は猛然と反論した。
「私は別に好きで遅れて入場してるわけじゃないのよ。あんたらとは違ってね」
「はいはい、俺たちはどうせ好きで遅れて入場してますよ」
俺と妹の事情など、こいつが知るわけもない。
とにかく。
俺たちは、仕方なく霧ヶ峰の後ろについて、大講堂に向かうことにした。