これからはずっと一緒ですね、兄様!
鬼門院紗那。
「わたくしもようやく、兄様と同じ学校に入学することが出来ました! これからはずっと一緒ですね、兄様!」
そう語る彼女と俺は、苗字が違う。
だから、時々義妹か何かだと思われることもある。
でも正真正銘、れっきとした血の繋がりのある兄妹だ。
ただ、少し俺の生まれに複雑な事情があるだけの話。
俺と紗那の父親は同一人物である。鬼門院家の当主、鬼門院偉明。
しかし、母親が違う。
紗那の母親は、偉明の妻・妙子。
そして、俺の母親は鬼門院家の使用人夫婦の妻・広見。
ずっと俺は使用人夫婦の、広見とその夫伊之の息子だと思われていたし、俺もそう思っていた。しかし、偉明の死後、それは明らかになった。
偉明が、使用人に手を出したことがすべての始まり。
妙子さんは、最後の最後に裏切られた。そんな気持ちだっただろう。
だから、一応は鬼門院家の一員として扱われてはいたが、妙子さんの俺に対する態度には、反感と言うよりは腫物に触るようなものだった。仕方がない。俺は、間違いによって生まれた子供なのだから。
紗那が俺を溺愛しているのも、そのせいなのかもしれない。
正直、紗那が俺を嫌っていたら俺は鬼門院の家には入れてもらえなかったと思う。
そういう意味では、紗那には感謝すべきなのかもしれない。
でも――紗那の愛情表現はいくらなんでもやり過ぎだ。やっと、解放されると思っていたのに……。
昔から、紗那はずっと俺の後ろを追いかけまわしていた。
それこそ、俺が彼女の兄でもなんでもない、ただの一使用人の息子、杉内鳳明だった時から。
俺のどこが良かったのかは分からない。
ただ、遊び相手がいなかったから、必然的にそうなってしまったのだろう。
今は、執事の息子の神栖という奴も鬼門院家で一緒に暮らしているが、その時はまだいなかった。神栖の父親の神栖泰全が執事になったのは、前任者の工藤周策が死んでからだ。
だから、結局大人たちの他には、紗那と俺しかいなかったわけだ。
紗那が俺に興味を持つのはほとんど必然だった。
まあ、こうなるのも仕方ないのだろう。
全寮制の蕭条学園高校に入って、休みに鬼門院家に帰るたびに、今みたいな激しいタックルをくらうのも。
紗那を連れ立っていかなければ、外出することを許してくれないのも。
それに文句を述べることを、妙子さんが許してくれているのは幸いである。というか、妙子さんは俺にはあまり干渉したくないのだ。
ただ、紗那が俺を溺愛しているというよりは、単におもちゃにされているという方が合っている気がしなくもないように、時々思えるのだが……。
「ん? 兄様、どうされました?」
紗那は、俺の顔を覗き込んで、首をかしげる。綺麗な顔をしているのに、全く心が動かされないのは、俺がこの顔を飽きるほどに見慣れているからだ。
「ああ……うん。何でもない」
俺は、アスファルトの路面に手をついて立ち上がった。
鬼門院家は、日本国内では一応名家とされている。
このあたりでは、まず知らない人はいないだろう。
戦前の財閥の流れを汲んだ企業集団、「鬼門院グループ」の祖、鬼門院崇叡の家系に連なる、鬼門院家。
偉明の兄、啓明が本家筋であり、鬼門院グループの中枢、鬼門院商事の社長に任じられている。
偉明は鬼門院グループの一企業、鬼門院製薬の社長であったが、四十五歳の若さで急死。妙子さんとの間には男子が生まれず、紗那もまだ当時は小学生と若かったため、後継ぎが問題となった。
結局は、妙子さんが社長となることで決着がついたが、それも暫定的なもので、これからどうなるかはちょっと分からない。
そんな中、使用人の息子だと思われてきた俺が、偉明の実の息子であるということが明らかになって、俺は俄然注目を集めるようになった。
使用人の息子に、鬼門院家の本家ではないにせよ、その傍流を継ぐことは許されないとする意見もある。しかし、鬼門院家が基本的には男系相続であるということと、他に偉明の筋に男子がいないということで、俺が後を継ぐという方向に話が進みつつある。
素質に問題がないことが認められれば、という条件付きで。
でも、鬼門院の家の中には、当然男子を余らせている――こんな言い方はよくないのだが、あの人たちにとってはそういう感覚なのだろう――家もある。
そういう家は、うちの子が鬼門院製薬を継ぐべきだ、という意見を表明するようになった。よくわからん使用人の子よりは、と言うことだろう。俺が後継ぎに決まりそうになってから言い出すのだから、何というか……という感じだ。
つまり、偉明の後継ぎ争いはいまだ決着がつかず、予断を許さないということ。
でも、俺には正直に言って、そんなこと興味はないのだが。
世継ぎになったら就職に困らないよ、という程度の話。
大体、幼少期を杉内家という一使用人の家庭で育った俺には、家というものに対してそこまで執着はない。鬼門院製薬も、そんなに欲しければくれてやる、という思いだ。
でも、紗那や妙子さんはそれを許してくれない。
彼女たちは、鬼門院の家に対する考え方自体が俺とは根本的に違っている。
彼女たちの思いは、基本的に家が第一。鬼門院家の圧倒的多数を占める考え方でもある。
そういう意味では、彼女たちもほかならぬ鬼門院家の一員だ。
それに入れない俺は、鬼門院のつまはじき者。
それが分かって来たということも、偉明の後継者としての資質が問われるという意見が出るようになったことの一つの原因には違いない。
一般的に良家と言われているようなところは、どこもこんな感じなのだろうか。
例えば、黒瀬はこう見えても貿易会社の社長の御曹司である。
黒瀬にも、こんな苦労があるというのだろうか。
とても、そうは見えない――単にそう見えていないだけかもしれないが。
やはり、俺の生まれの問題なのだ。
そして、鬼門院家が特に封建的な思想に支配されているのが、俺にとっての不幸だった、ということだ。
戦前の財閥に連なる鬼門院家。その考え方も、戦前からの伝統。
俺は、一つ大きなため息をついた。