9.夜会 ③
その言葉には殺意が込められていた。
「私の妹に何か御用ですか? ヴェルト・カザル殿」
ニトローナはセリンを背に、眼前のヴェルトへ問いかける。
「おや、これはこれは。お久しぶりです。ニトローナ嬢。相変わらずお美しい」
「世辞は結構。それで、妹が何やら困っているようだったのですが、また無理なお誘いでも?」
「いえ、我が領地へお誘いしたのですが、断られただけですよ。何も困らせるようなことは」
「そうですか。相変わらずですね、ヴェルト殿は」
「相変わらず、とは?」
「まだ長子という立場だけの存在でありながら『我が領地』などと口にできるところが、相変わらずだと申しました」
ニトローナが言葉に加えて嘲笑を浮かべると、ヴェルトの笑顔が崩れ、怒りが顔を出した。
立場だけ、という言葉は無能だと告げているに等しい。プライドが高いヴェルトには笑顔を保つことが出来なかった。
「相変わらずなのはそちらも同じなのでは? 未だによく噂で聞くのですよ。ヴィルブランド伯爵令嬢は豚鬼狩りに熱心で、令嬢らしさがまるで無いと。下賤な者らと共に豚狩り結構ですが、少しは妹君を見習ったらどうかな?」
反撃するように嘲笑を浮かべたヴェルトを、ニトローナは睨むに留める。
戦友たちを下賤と称されることは頭に来るが、後ろにいるセリンのためにも怒りに身を任せる訳にはいかない。
「ヴィルブランド領はあなたが考えるほど楽に治めることは出来ないのですよ、ヴェルト殿。ああ、もしや商人から税を搾り取ることしか考えないからそう思うのでしょうか? 視野の狭いことです」
少しずつではあるが、殺気立った雰囲気に周囲の目が集まり始めている。しかし怒りに染まった舌戦を続ける二人は、周囲のことになど目に写っていない。
争いになった原因、ニトローナの後ろで困惑しているセリンにすら気づいていない。
二人して怒りのままに言葉を吐きつづけ、言葉遣いも荒々しく変化していた。
「視野が狭いのはそちらだろう。僅かな隙も見逃さない強欲な商人たちを相手にするには、豚を狩るしか能のない下賤な者達には出来ないことだ。単純思考は楽でいい」
「おやおや、豚鬼との戦いが単純とはな。まさに表に出ずに裏で金をむしり取る寄生虫の如き思考だ。ヴェルト殿、金にばかりかまけて戦えない男は情けないと思わないか?」
ヴェルトの表情が怒りのあまり無表情に変化する。
彼はニトローナに顔を近づけると、今までの溜めた怒りを吐き出すように小声で告げる。
「そろそろ口を閉じろ雌犬。貴様の領地に食料や武器を運ぶ商人を制限してもいいんだぞ。飢えて苦しむ領民が豚鬼に食われる光景を見たいか?」
ニトローナの目が見開かれてヴェルトへ向けられる。驚愕に揺れる瞳を見たヴェルトは満足そうに笑顔の仮面を被り、言葉を続ける。
「それが嫌なら俺の視界から失せろ。邪魔をしないなら商人は今までどおり訪れるだろうな」
ニトローナは目を閉じて軽く俯いてしまう。それを目にしたヴェルトは勝利を確信したのか、笑顔を深めた。
しかし俯いていた顔を上げたニトローナを視界に捉えると、ヴェルトの笑顔は固まる。
燃えるような赤髪の下にあったのは、嘲りだった。そして小声で言葉が返ってくる。
「少しは歴史を学べ、欲深い無能者。魔族との争いのせいで戦費が嵩むヴィルブランド伯爵領が、林檎という特産品だけで郎池を維持できると思っているのか?」
ヴェルトの目に思考の色が宿る。確かに特産品一つ程度で領地を維持するなど出来るわけがない。だがヴィルブランド産の林檎は王族の嗜好品という最高の実績があり、それだけで価値が跳ね上がる。その上加工品として国中に輸出されているのだから、輸出量はかなりのものだ。それだけでもヴィルブランド領が林檎の生産に広大な土地と人員に力を注いでいることが分かる。
そう考えれば不可能ではないが、魔族との争いによる戦費が打ち消すことは難しい。魔族との戦闘は不定期かつ規模が一定ではないからだ。
答えはニトローナから齎された。
「代々のヴィルブランド伯爵が爵位を継承する際、王命が下される。魔族の侵攻から領土と民を守れという命令だ。その見返りに王からの援助も約束されている。その御蔭でヴィルブランド伯爵領は維持できているというわけだ」
「……王の援助だと?」
「飢えて苦しむ民が豚鬼に食われるといったな? それはヴィルブランド伯爵が王命を果たせなかったという意味だ。王は王名を果たせなかったことを調査するだろう。そして遠因が隣領の貴族だとすればどうだ? お前が物資を輸送する商人を制限することは、例え領地間の問題だとしても利敵行為にしかならない。どう考えても反逆罪になるだろう」
ヴェルトの顔から完全に笑顔が崩れ落ちる。顔から血の気が引き、頬が引きつりだす。
反逆という恐ろしい言葉が混ざる会話など、どれほど小声だろうが安心できるものではない。第二王子主催の夜会なら、即座に捕らえられることもあり得た。それは身の破滅を意味する。
「幸いなことにお前の言葉を聞いたのは私一人だ。そして証拠もない。だが今の状況では私は妹を守る姉に見えるだろう。どちらの言葉が信を得るか賭けるのもいいが、お前の行動次第でお互いに夜会を楽しむことが出来るぞ。さあ、どうする?」
問われたヴェルトに逡巡はなかった。軽い舌打ちを響かせると踵を返し、若い貴族たちの中に消えていく。
ニトローナは深くため息を吐くことで緊張感を霧散させる。あの様子では諦めたわけではなさそうだった。今後も警戒を続けるべきだと決めたニトローナは、背後の妹へと振り返る。
「セリン、何か言質をとられるようなことはなかったか?」
「ありませんでしたけど……姉様、何か不穏な言葉が聞こえた気がしました。あの方と何かあったのですか?」
「ヴェルト・カザルにはもう近づくな。奴は他人を利用しての仕上がり、使い捨てるような輩だ。いいな、セリン」
「私だって貴族の娘です。そういう方とはできるだけ距離を置くようにしています。お誘いもきちんと断るので問題ありません」
えへん、と少々小さな胸を張るセリンの頬を撫でるニトローナ。撫でられたセリンは姉の手に嬉しそうな顔で頬ずりする。
「さすがセリンだ。だが、ああいう輩は利用できそうな獲物に進んで近づいてくる。もしもしつこく付き纏われたらこう言え。『貴方と話していると、怒りに身を任せた姉が睾丸を焼きに来ますが、それでもよろしいですか?』とな」
「ね、姉様、夜会なんですからそういう言葉は出来るだけ謹んでください」
「おっと、そういえばそうだったな。善処しよう」
「……もう少し、しっかりとした答えはないんですか」
セリンは姉を睨みつけるように目を細める。例え夜会に集まった若い貴族達が持つ権力は少なくても、迂闊な発言は問題になる可能性が高い。勿論ニトローナもそれは承知している。とはいえ、セリンが関わってくると自生する自信がないのだった。
「前向きに善処する」
「もうそれでいいです」
呆れたような視線を向けてくる妹の頬を再び撫でていると、背後に大きな存在感を感じた。
「相変わらず仲良し姉妹だな、ニトローナ、セリン嬢」
姉妹に向けられる親しげな声は、ニトローナにとっては数少ない友人のものだった。
遅くなって申し訳ありません。
会話や説明で何度もおかしな点を見つけて三回ほど全部書き直しました。若干ゲシュタルト崩壊気味なので修正する可能性高いです
とりあえず次で夜会は終わらせる予定です。そこからストーリーを大きく動かします。
……我ながら遅すぎ(´・ω・`)




