53.反逆の矛先
魔族の都で行われた継承の儀。
他者にとっては三年前の出来事だが、三年もの間眠り続けていたニトローナにはつい最近のことだ。ニトローナの主観ではたった十日ほど前のこと。次代の魔王プルトンへと王位が継承される儀式で、二人の魔族が謀反を起こした。
一人は猟兵団長ヘンドリク。ニトローナはヘンドリクの名前すら知らないまま戦い、セルロゥが喉を食いちぎることでとどめを刺した。
もう一人はヘンドリクの死の直後にプルトンへと刃を向けた近衛兵団長アジャーロ。体が刺々しい鱗に覆われていた魔族は、自身の特性を十分に活かして鱗を変質させ、イシュランディルの魔術すら防いだ強者だった。
結果としてニトローナが相打ちに近い形に持ち込むことでプルトンを守ることが出来た。
最後の瞬間は今でも覚えている。
痛みと出血で赤く染まった視界の中でアジャーロの眼球を指で突き刺し、内部に爆轟の衝撃を送り込んで殺害した。
あの戦いに正当性を求めるのならニトローナの側にある。あのような儀式の場で叛逆行為を働いた二人に正当性など無い。ニトローナは功績を誇ることすら許されるだろう。
だが、殺した相手の肉親を前にして一体どうすればいいのか。
ニトローナにはわからない。
*****
現近衛兵団長ハジャールは、刺々しい鱗に覆われた顔をニトローナに近づけてくる。
魔族との関わりがまだ浅いニトローナには、蜥蜴のような顔に浮かぶ表情がどの感情を表しているのかわからない。怒りか、悲しみか。それとも殺意か。
豚鬼との戦いで出る戦死者の遺族から恨み言を言われたことはある。その時には遺族の言葉を真正面から受け止めていた。隊を収めるものとして、領地を治めるもの貴族の一員として、受け止める義務があった。勿論、そうするべきだと理解していたからこそ出来たことだ。
だが殺した相手の肉親と対面した場合は、どうすればいいのか。
言葉を粛々と受け止めるべきなのか。それともこちらに非はないと堂々としておけばいいのか。
ニトローナは一抹の不安を抱いていた。
だがーー
「何じゃぁ? 儂が恨み言でも言うと思ったか?」
顔をさらに近づけてきたハジャールの表情は凶悪に歪んで見えた。目の辺りにあまり変化がないので口元で判断するしか無いのだが、人の立場から見ればまるで凶相だ。しかし、言葉にはどこか喜色の響きがあった。
凶相に見えるハジャールの表情は恐らく笑顔なのだろう。
「まぁお前さんには多少恨みはある。息子を殺されたんだ、それは当然だ。だがのぉーー」
顔を引いたハジャールは悲しげなため息を漏らす。蜥蜴のような顔ではあるが、どこか父親らしい表情な気がした。
「お前さんには感謝のほうが大きいな」
「…………何だと?」
息子を殺されて感謝するとは一体どういう事なのか。
「王国人のお前さんにはわからんことだ。儂から話してもいいんだがーーイーシュ爺、余裕はあるか?」
蜥蜴のような長い首を巡らしたハジャールの視線を受けたイシュランディルは僅かに考えこみ、答えを出す。
「近辺に人家がないとはいえ、ここは領都が近い。話なら上でやるといいだろう」
イシュランディルは人差し指で夜空を指差し、ニヤリという言葉が似合いそうな笑みを浮かべた。
まるで悪ガキのような表情を見せる虹賢者に、ニトローナは嫌な予感を覚える。
「空だと? まさか私も……」
「勿論だ。今のお主では大森林を超えるどころか辿り着くことすら出来んだろうからな。それに何より、ハジャールは速いぞ」
「おぉよ、儂に任せれば明日には都に着いてみせようぞ。少し小細工はするがな」
またもや凶相を浮かべるハジャールだが、声にはいたずらを面白がる小僧のような響きがある。
二人の老人はどこか似た者同士のようだった。
*****
そして数分後。ニトローナは雲海を見下ろせるほどの上空で、東へと向かって夜空を飛んでいた。
正確には、飛翔するハジャールの腕の中に収まっていると言ったほうが正しい。
人よりも巨体なハジャールは体を前に倒した状態で飛翔し、何かを抱えるように両腕を曲げてそれぞれ片腕づつにニトローナとイシュランディルが腰を下ろしていた。
本来これほどの高度なら空気が薄く、凍りつくような寒さのはずだが、ニトローナの体は暖炉の火に当っているかの如く温かく呼吸も乱れていない。なぜなら、ニトローナの腕に抱かれている赤蜥蜴のサラマンデルが周囲を温めているからだ。そしてハジャールの近くを同じ速度で飛翔する緑蜂鳥シルフィドが気流を操作し、地上と同程度の環境に整えている。
生命が命を維持することが難しい環境の中で、ニトローナは地上いる時とほとんど変わらない状態で夜空を見渡すことが出来た。
「雲の上は、随分と明るいんだな」
地上から見上げる月とは違って雲の上から眺める月は大きく見え、とても近く感じられる。障害物のない空の上は月の光に遍く照らしだされていた。
「おぉよ、雲の上だけは昼夜を問わずいつでも晴れているぞ。まあ同じ風景ばかりで飽き飽きするがのぉ」
ハジャールはゲラゲラと心底可笑しそうに笑った。
「さてと、では馬鹿息子の話でもしてやろうか」
「ハジャール。貴方は私に感謝すると、そう言っていたな。あれはどういう意味だ?」
「む? まあ待て。話には順番というものがある。結果を急ぐでないぞ若人よ。寂しい年寄りの楽しみを奪うでないわい」
「お主のどこが寂しい年寄りなのやら」
「やかましいわい。いつまでも現役のお前さんと違って、引退した年寄りは若人に語ることが唯一の楽しみなんじゃよ」
どこか愚痴話に逸れた話題を「いかんいかん」とハジャールが軌道修正した。
「あー、バカ息子のアジャーロは儂の跡を継げるほどには、先代陛下に対する忠誠心はあったんじゃ。それこそ陛下に近づく者は儂でさえ警戒するほどだ」
「だが叛逆しただろう?」
「そうだ。だがのぉ、あれもある意味忠誠の表れなんじゃよ」
ハジャールは呆れるように年老いたため息を吐いた。
「先代陛下は、初代魔王の意志を受け継いでおる。溢れ出る魔力を王国へ漏らしてはならんとな。そしてバカ息子もそれを理解しておった。だが同時にその意志に先代陛下が縛られておるということも理解しておったんじゃ。偉大なる初代陛下の意志とはいえ、もはや五百年前のことだ。今の魔族までが縛られてはならない、あのバカ息子は、アジャーロはそう決断した。考えてみるといい。今の魔王という存在は魔族の王でもあるが、それ以前に王国に魔力を漏らさないための生きた防壁となっておる。それも全身を変異に侵されながら、命まで削られる犠牲が必要になってようやく壁を維持できておる。アジャーロは、もはや王国のために魔王が犠牲になる必要はないと考えたようだ。その結果があの叛逆じゃ」
主のための叛逆。
父であるハジャールは息子の行いを、そう言葉にした。
「アジャーロは先代陛下への忠誠ゆえに、もはや呪いのような継承を終わらせようとしたのだ。プルトン陛下を継承前に殺せば次の魔王は生まれない。代替として緑の部族の娘が教育された時期もあったが、長くは保たんだろう。結果としてそう遠くないうちに先代は逝去し、魔王となる資格のある者はいなくなり、魔族と人間を隔てている壁は消え去る。そうしてようやく五百年前の意志から魔族は開放される。魔王が王国のために犠牲になることはなくなる」
五百年前から続けられてきた継承を終わらせ、魔王を開放する。
結果として、魔族は豊かではあるが行き場のない東の力開放され、自由になるだろう。
王国からすれば今まで知らず知らずのうちに自分たちを守っていた壁が消え、変異による大混乱を招くことになる。王国の人間からすれば最悪な未来だ。だが、五百年前から見返りを渡すこと無く守られていたツケが回ってきたとも言えるだろう。
「仮にお前さんが猟兵団長ヘンドリクが行った暗殺を阻止できなければ、アジャーロ自身がヘンドリクの首をはねて処刑していただろう。そして近衛兵団だけではなく、都に集めていた猟兵団までも指揮下に置いて、後に起こる混乱を防ごうとしていたようじゃ。近衛の連中は職務上先代陛下の御側にいることが多いゆえに、アジャーロの考えに賛同しておったらしい。猟兵団の方はヘンドリクが自分の死後のことをしっかりと部下に指示しておった」
「そこまで仕込んでいたのか」
「あのバカ息子はなかなか責任感もあったからのぉ。魔族を開放するだけではなく、その後のことも責任を取ろうとしたのじゃろう」
自分が殺した者は想像以上に出来た男だったらしい。
殺したことに後悔も反省もない。だが、言葉を交わしてみたいという思いが生まれた。
昨日までのニトローナならそんな思いは抱かなかっただろう。叛逆など度し難い行為だと切って捨てたはずだ。だがこの世で一番大切な存在に拒絶された今なら、感情を挟まず冷静に聞くことが出来そうだった。
自分が忠誠を誓う存在を想っての叛逆にどのような覚悟があったのか。
聞くべき相手は既に亡い。この手で殺してしまった。
ニトローナは自分の胸の内に小さな後悔を感じた。
「……それで、何故私に感謝を?」
「うむ。仮にお前さんがアジャーロを殺せずに叛逆が成功したとしよう。そうなればもはや壁の消失は決定的になり、イーシュ爺がアジャーロを殺しておったはずだ。その場合、指揮官の消えた二つの兵団と王の後継者を失った都は大混乱に陥っておっただろう。お前さんがプルトン陛下を守りぬいたからこそ魔族は平穏でいられるんじゃ」
「……イシュランディルが、あの男を殺す?」
ニトローナの記憶が確かなら、イシュランディルはアジャーロに魔術を防がれた上で殴り飛ばされていたはずだ。どこをどすれば殺せるというのか。
「あぁ、先代陛下が在位中のイーシュ爺は壁の安定のために高度な魔術は使えんかったのじゃ。下手すると壁が歪むからのぉ」
「……そうなのか?」
ニトローナが虹賢者へ視線を向ければ、イシュランディルは頷いて肯定を示した。
「だからお主を旅に同行させたのだ。自衛程度の魔術しか使えぬ儂ではプルトンを守りきれなかっただろう」
「そんな理由もあったのか」
大木ごと敵を切断する緑の斬撃。
アジャーロには防がれたが大猿を退けた紫電の砲弾。
あれだけでも呪文に凄まじいものだったが、本来の力を発揮できるようになったイシュランディルはそれ以上のようだ。
ニトローナが旅の間で目にしたイシュランディルの魔法を思い返していると、前を向いていたハジャールの顔がニトローナへと向けられる。
「お前さんはニトロー、ナ……だったか?」
「ああ。ニトローナ・ヴィルブランド。私の名前だ」
「ではニトローナ・ヴィルブランドよ。お主にはもう一つ感謝していることがある」
「まだ、あるのか?」
「儂が何故これほどに馬鹿息子のことを語れると思う?」
ニトローナは腕の中にいる赤蜥蜴を撫でつつ考えるが、その問いかけに答えるには材料が少なかった。仕方なく無難な答えを返す。
「親子だからじゃないのか?」
「半分正解じゃの。あの馬鹿息子は叛逆が成功した後の準備を怠らなかったようだが、同時に失敗した後のことも準備しておった。まあ、ただの遺書であったがの。その中には魔族の現状と今後どうするべきかというあやつの考えが書かれておったよ。だからこそ、こうして話すことが出来るというわけだ。おかげであの叛逆の意味がしっかりと理解できた。もしもプルトン陛下が暗殺され、馬鹿息子がイーシュ爺に殺された後に遺書を読んだとしても、全てが悪い方向に進んだ後で息子の真意を知ろうと無意味だ。お前さんが馬鹿息子を止めてくれたから今だからこそ、意味があったんじゃよ」
「……意味、か」
プルトンを魔族の都へ届けた旅は、大切な存在からの拒絶によって全て無意味になったと思っていた。だが、他者にとっては意味があったようだ。その意味のおかげで聞けた話には、ニトローナの知らない真実があった。
そしてその真実を知ることでニトローナには得る物があった。
「ハジャール殿」
「ハジャールでいい。お前さんは恩人じゃからな」
「では、ハジャール。私からも貴方に感謝を」
「ぬ? 儂何かしたかの?」
「私が勝手に感謝しているだけだ。気にしないでくれ」
「そう言われると気になるんだが、まあよいか」
ニトローナは腕に抱える赤蜥蜴の頭を撫でて目を閉じ、ハジャールが語ったアジャーロの叛逆へと思考を向ける。
主を思っての叛逆。
そこに一つの道筋が見えたような気がしたのだ。




