52老いた赤錆
勇者とは。
遥か過去の伝説において、人の敵である魔族を統べる者を討ち果たした存在とされる。
教国の教えによれば不浄を祓う神の剣にして、人間の導き手であるらしい。
教えのとおりならば魔族との争いで先陣を切り、全軍へとやるべきことを示す導き手となるのは当然なのだろう。
だが、教国という存在の生まれた経緯を知ればそれがただの方便だと理解できる。
建国王とは、王国になる前の群雄割拠の時代を力で統べた存在だ。となれば当然、一人の勝者に対して数多くの敗者が生まれることになる。
敗者の中である者は建国王に従い、あるものは服従よりも死を選び、そしてまたある者はどす黒い復讐の誓いを胸に建国王へと頭を垂れた。
時は流れーー
面従腹背の者達は建国王の東部開拓に、皮肉にも希望を持った。王国より遠く離れた地でなら密かに再起を図れる。上手く行けば独立すら夢ではないという希望だ。
だが建国王の東部開拓は住民が異形へと変異することにより失敗となり、大森林は禁域に指定され、後にあらゆる記録の抹消へと至った。
面従腹背の者達は開拓がある程度進んだ時期に東部へと渡っていた御蔭で、変異すること無く王国へ帰還をすることができている。しかし彼らの執念はただ無駄に帰ることを許さなかった。
ゆえに彼らは、東の地から幾つかの物品を盗み出している。その中には現在の魔族継承に関わる物すら含まれていた。つまり、虹賢者イシュランディルの弟子が開発した品々を盗み出していたのだ。
さらに時は流れーー
建国王への復讐の誓いは建国王の没後も引き継がれ、数世代に渡った後に王国への復讐へと変化した。そして復讐を受け継いだ者達は教国を造り上げた。
表向きは神に従う敬虔なる者達の国家として。裏では王国への復讐を連綿と受け継ぐ黒き野望を持つ集団として。
そして現在ーー
王国の第一王子を取り込むことに成功した教国は王国への復讐のために動き出した。
今では前国王ヨハン・コルダイトの崩御から第一王子ルドルフが戴冠するまでの流れには不審な点がある。
普段から食生活に気を使っていた前国王ヨハンは体調を崩し始めてから、役一年かけて衰弱していき、息を引き取った。ヨハンは六十を超える高齢であり、医師の診断では老衰に何らかの病が重なったことが原因とされた。問題はその直後に起こった。
王の崩御が城内を駆け巡るとほぼ同時に、第一王子ルドルフの手勢が城内を制圧したのだ。そして第二王子グラウバーは捕らえられてしまい、王都カールスタットから各貴族へと崩御の知らせが届く頃には趨勢が決していた。
ルドルフが宗教へ傾倒していることは次期国王として不安材料でしか無い。だが、かと言ってグラウバーを担ごうにもルドルフの手に落ちて幽閉されてしまっている。多くの貴族にとって選択肢は無いに等しい状況となってしまっていた。
そしてルドルフは王となる。王城内には教国から派遣された者たちをよく見かけるようになり、王国は徐々に変貌していった。
表向きは従っていても宗教かぶれの王は認められず、裏で色々と画策していた貴族の当主達は不慮の事故や病気などで引退か死亡で数を減らしていき、次の当主となった嫡男達は恐怖からルドルフに忠誠を誓うしかなかった。
*****
ニトローナは爆轟で皮膚が弾けた右手と、頭部のちぎれかけた耳をイシュランディルに応急処置してもらいながら話を聴き続けていた。
教国に首輪をつけられた王国の現状はあまりよくない。
特に王が教国の教えに染まりきっているという事実が絶望的だ。よりにもよって国王が他国に操られるなどあってはならない。
これからの王国の未来はどう考えても悪くなる一方だろう。特に教国の者たちが遥か昔の恨みを受け継いでいるというのなら、最終的に王国は消滅する可能性すらある。
ニトローナの脳裏に疑問が浮かんだ。
「父上は、どうしているんだ?」
「お主の父は王都におるようだ」
聞けばヴィルブランド領主ヨーゼフ・ヴィルブランドは、勇者セリン・ヴィルブランドの父親ということで王都に留め置かれているらしい。だが二年以上もの間ヴィルブランド領に姿を見せていないらしく、ほぼ軟禁状態なのだろう。
「人質、ということか?」
「恐らくな。勇者の肉親を手が届く場所においておき、強大な力を持った勇者を縛っているということだろう」
あの父が素直に軟禁されるはずはないとニトローナは考えたが、逆の意味でも人質なのかもしれない。
娘に対しての父親だけではなく、父親に対しての娘というわけだ。大事な娘が王及び教国の影響下にあるのなら父ヨーゼフはおとなしくしておく他無い。下手に動けば領地にすら影響が波及するのだ。
「よし、今できることはこれくらいだろう。後は医師に任せるとしよう」
頭頂部の耳にはどす黒い軟膏が塗られて出血が止まっている。皮膚が弾けた右手にも軟膏が塗られ、上から布で巻かれている。布に血を滲ませる右手は痛みと熱に加えてビリビリとした痺れに覆われていた。
「痛いな」
「生きている証だ。我慢せい」
「……ああ、わかっている」
生きている証などと言われても、生きる理由を失ったニトローナの心には響かない。大切な存在から拒絶された絶望で深い穴が開いているような状態だ。だが今、その穴には一滴の怒りが注がれている。
「それで、王国は、いや教国はいつ動くんだ?」
「さての。まずは情報待ちだが、そう遠くはないだろう。一年以内は確実だ」
「なら私は、この脆弱な体を鍛え直す。このままでは戦えない」
生きる理由は失われたが、新たに戦う理由が出来た。今はそれだけでいい。
「そうか。では東へ戻るとしよう」
窮屈そうに腰を上げて森の奥へと足を進めるイシュランディル。ニトローナはその背中を追った。
「そういえば、どうやってここまで来たんだ? 私はセルロゥのおかげで行きよりずいぶん早く辿りつけたが」
「なに、儂も古い友人に乗せてもらったのだ」
「古い、友人?」
イシュランディルはニトローナの疑問の声に答えずに森の奥へと足を進めていく。会ったほうが早いということなのかもしれない。
そして夜の森を歩くこと数分、視界の先が開けてきた。森を抜けたのだ。
酷く薄暗い森を抜けると、そこはやや起伏がある草原だった。周囲に民家は見えず、街道もない。
「暫し待て」
足を止めたイシュランディルは両手で何かを包み込むような姿勢を取り、その何かへと言葉を呟いた。するとイシュランディルの両手の間に緑の光が浮かび上がる。その直後に光が弾け、緑の羽毛に覆われた小さな鳥が現れた。
イシュランディルが同胞と呼ぶ七色の一色、緑蜂鳥のシルフィドだ。イシュランディルが両手を広げるとシルフィドは「チチッ」と小さく鳴き、その場から垂直に上昇していく。小さな緑蜂鳥は月が浮かぶ夜空に消えていった。
「何をしているんだ?」
「空にいる友人に合図を送った」
「……空?」
ニトローナは疑わしげに空を見上げる。月が上っているとはいえ夜空は暗く、先ほど飛翔していったシルフィドすら既に闇にまぎれて見えなくなっている。
一体何がいるのかと夜空を眺めていると、月の隣にある雲の中心が何かに突き破られるように穴を開けた。
「……何だ?」
雲に穴を開けたのは赤い物体であり、地面に突き進むように落下していた。落下の途中、赤い物体は左右に翼らしきものを広げて落下の勢いを殺しつつ、ニトローナ達へと向かって滑空をはじめた。ニトローナが鳥かと思って目を凝らすと、鳥ではありえない物が目に入る。
「鱗?」
鳥かと思った赤い飛翔体の表面は羽毛ではなく、赤錆色の鱗に覆われていた。
そして更に驚くべきことに、左右の翼の間にある胴体からは四肢と尾が見える。明らかに鳥ではない。
しかし、ならば何なのかと問われてもニトローナには答えられない。王国では勿論、大森林や魔族の都でもあのような生物は目にしたことがなかった。
赤い飛翔体は広げた翼で空気を掴んで減速し、滑空を終えて数十メートル先に着地した。着地点の土は大きく抉られ、それだけでも相当な重量があると判る。ニトローナの遠近感が狂っていないのならば、着地した赤い飛翔体は体高四メートルはあった。
ほぼ全身を赤錆色の鱗で覆われ、翼を生やした存在。見たことも聞いたこともない生物だった。
ニトローナは、恐らく魔族の一人なのだろうと考える。あの彼か彼女かはわからない存在がイシュランディルの旧い友人なのだろう。
事の推移を見守っていると、赤錆色の魔族は地面を抉るように歩きながら近づいてきた。
赤錆色の鱗に覆われた顔はどこか蜥蜴のようでもあるのだが、鱗が岩のような硬質さを漂わせているからか、蜥蜴とは別種の生物にも見える。
「おぉい、イーシュ爺。ようやっと呼びおったか。空は西も東もかわらんのぉ。退屈だったわ」
野太いその声はイシュランディルへと向けられていた。
「イーシュ……爺?」
「あー、儂のあだ名のようなものだ。あやつとは古い付き合いだからの」
そう言われてみれば、赤錆の魔族はどこか年老いた空気を纏っている。だが同時に油断ならない強者の気配が感じられた。
「お? そのちっこいのが件の娘か?」
数メートルの距離を開けて立ち止まった魔族は興味深そうにニトローナを見下ろしていた。
「そうだ。ハジャールよ、この娘がニトローナだ」
ハジャール。
どこかで聞いた名前だ。だがどこで聞いたものなのか、ニトローナは思い出せない。それほど前のことではなく、ここ最近聞いた名前だったが、思い出せなかった。
「ほうほう。しかし聞いていた話と違うのぉ、まるで捨てられた犬のような面ではないか」
ニトローナはその言葉に怒りで体が震える。だが今の状態では反論できない。ハジャールという魔族の言葉は的を射ている。
「では名乗らせてもらおうかの。儂はハジャール。少々くたびれてはおるが魔族の王、プルトン陛下の近衛を率いておる」
プルトンという東の地へ旅立つ原因となった者の名と、近衛という言葉を聞いたニトローナは目を見開く。
脳裏に大森林を抜ける旅と継承の儀で起こった反乱が一瞬の映像として流れた。そしてつい先程の妹からの拒絶も。
深い後悔に歯を食いしばって耐えるニトローナの耳に、ハジャールの続きの言葉が響く。
「お前さんのおかげで引退した儂がこき使われとるんじゃ。まったく、最近の若い奴らは生き急ぎすぎる」
「私が、なにかしたのか?」
何のことだと疑問の声を上げるニトローナに、ハジャールは淡々と重たい言葉を返した。
「お前さんが殺した前近衛兵団長アジャーロは、儂の息子だ」




