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47.帰郷1

 夜の森を巨大な四足獣の影が駆けていく。

 土草を蹴散らし枝葉をへし折り、木々の隙間を縫うように走り続ける。その速度は馬などと同等以上。しかも複雑な起伏に富んだ森の中での速度だ。獲物となった動物は不可避の絶望を味わうことになるだろう。


 影の背には小さな人影が跨っている。いや、正確には違う。人影の両手は布で繋がれ、布は獣の首に回っていた。

 人影は両手を繋いでいる布が獣の首に引っかかっているおかげで、振り落とされずに済んでいるということだ。それはつまり、獣の背にいる人影にはしがみつくだけの力がないことを示していた。


 森を駆けていた獣の鼻が小さく動き、進路が大きくズレていく。そして速度も徐々に落ちていき、襲歩から駈歩かけあし速歩はやあしへと速度が落ちていく。それにつれて背中に乗っている人影の姿勢もずれていき、危なげな姿勢になっていく。

 獣が向かう先には月の光りに照らされた川が見えてくる。森の闇から切りだされたようなその場所へと、巨大な獣ーーセルロゥは足を進めていく。そして川岸へとたどり着いた直後、セルロゥの背に跨っていた人影ーーニトローナは滑り落ちるように地に足を着けた。

 両手を布で縛ってセルロゥの首に引っ掛け、背に跨っていただけのニトローナだが、森を駆け抜けたセルロゥと同じくらい息が乱れ、全身から汗が吹き出していた。

 セルロゥが起用にも首を動かしてニトローナの腕と布で出来た輪から抜けると、ニトローナは支えを失って川岸で仰向けに倒れる。視線の先、直上には満月が上っていた。


「さすがに……辛い、な」

「だろうナ」


 荒々しく呼吸する二者だがセルロゥにはまだ余裕があり、ニトローナは疲労困憊といった様子だった。


「あと六割ホどだ。耐えろヨ」

「ああ、耐えてみせるさ」

「我が主二、死体を届けルノは御免だぞ」


 セルロゥの皮肉げな言葉にニトローナは小さく笑って返した。

 十分ほどかけて呼吸を整えたニトローナは、震える四肢でどうにか川まで這いより、流れる清流に口をつける。熱を持っていた体内が冷水で冷やされていく快感と、乾ききっていた喉に潤いが戻る充足感が全身を満たしていく。


「肉ヲ獲っテくる」


 乾きを潤いで満たしたニトローナが顔を上げると、巨大な狼は手頃な樹木にマーキングを済ませると森の闇へ消えていった。

 今のニトローナでは獲物を狩るどころか食草の採取すらままならない。三年の眠りはニトローナから鍛え上げた肉体を消し去っていた。


「まったく、酷いものだ」


 やせ細った手足は数日程度の食事で力が戻るものではない。三年前の肉体を取り戻すのにどれだけの時間がかかるのか。

 また一から始めるどころかマイナスからの始まりだ。

 まあそれも一興だと、前向きに考えることにしたニトローナであった。


 


 *****



 魔族の都を発って約四日が経過した。

 大森林に初めて足を踏み入れた時には猟犬サラ・シッカに追われ、次いで大猿グラ・セッロとの遭遇。そんな危機を緑の部族のセロに救い出され、その後には緑の里でプルトンが呼び寄せてしまった大猿との戦いがあった。それから大森林を東西に区切っている大河を渡り、セルロゥの弟であるザニンギルに襲撃される。そこから十数日かけてようやく魔族の都に辿り着いた。


 もはや詳しい日数は覚えていないが、数ヶ月掛かった旅の中で最も濃い期間を大森林で過ごした。そんな大森林をセルロゥは僅か四日で駆け抜けてみせた。

 ニトローナの視界を満たしていた木々は草の絨毯へと移り変わり、森の湿った空気は草原の清涼な風に変化した。

 ようやう戻ってきたのだ、王国に。


「良い風だ」


 頬を撫でる風が心地よく、ニトローナは薄い笑みを浮かべる。

 視界は大きく広がり、右手には王国と帝国を分ける大山脈がそびえ立っていた。位置的には王国の東端なのだが、若干北寄りの位置だったらしい。だとするなら、ここはヴィルブランド領ではなく、その北に位置するセルディル領だろう。


 ここからは南下しつつ、少しづつ西寄りに行くことになった。ヴィルブランド領どころか領都へ直進することも出来たが、未だ歩くことに精一杯のニトローナは巨大化したセルロゥに背負わせてもらう他無い。だがここからは魔族がいない王国領だ。牛よりも巨体な犬など完全に化け物扱いされて大騒ぎになる。それを避けるために人里や巡回の兵士に遭遇しないよう、王国の東端に沿ってヴィルブランド領に向かう。


 人目を避けるために夜間に移動し、日の出ているうちは人の手が入っていない森に隠れつつ川で服と身を清め、帰りの旅はゆっくりと順調に進んでいく。

 

 そしてとうとうヴィルブランド領へ入り、小さな灯りがいくつも灯っている領都トルエンを視界に収めた。


「あぁ、帰って、きたんだな」

「懐かシい、匂いダ」


 セルロゥの言葉にはニトローナも同感だった。

 強化された嗅覚が収穫が近づいている林檎の甘い匂いを感じ取った。故郷の匂いだ。


「よし、さっさと行くか」

「待テ」

「どうした?」

「コこまで来たナら、俺は体ヲ戻すが、街まで歩けるカ?」

「……あ」

 

 ニトローナは未だセルロゥに跨がらなければ長時間の移動はできない。視界の先に小さく映る領都までは、到底歩いて辿り着くことは出来ない。かと言ってセルロゥに跨ったままでは、領都の門から入ることは出来ない。


「どうすル?」


 下から聞こえるセルロゥの問いかけに、ニトローナは暫し考えこむ。

 今すぐに家に帰りたいという欲求はある。だが自身の状態がそれを許さない。

 近くの農家に馬でも借りるか、領都へ迎えを寄越してもらうことも出来る。だが、その選択は朝まで待たないといけない。領都を目の前にして我慢できる自信はニトローナには無い。


 ならば選択肢は一つ。


「セルロゥ」

「決まっタか?」

「領都の壁を越えられるか?」

「ナに?」


 正面突破である。

暫くは速度を上げていきます。次は展開的に文字数多くなりそうだけど……

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