43.油断
彼の胸に会ったのはただ一つ、主への忠誠だった。
偉大なる主の為に身命を賭することは、彼の誇りであった。
だからこそ、主が犠牲になることだけは許せなかった。自分たちを捨て去り、忘れ去った者達のための犠牲など、彼には到底受け入れられなかった。
彼は友の命すら犠牲にして罪過に身を浸す。
全ては偉大なる主と、同胞のために。
爬虫類には、表皮の色から質感まで変化させて擬態する種族がいる。
継承の間でプルトンを害しようとした者は、その爬虫類と同質の皮膚を持っていたのだろう。プルトンへと落下し始めた者の表皮は色は石材のままでも、明らかに硬質さは消えて光沢のある鱗が垣間見えた。
ニトローナは天井に潜む者の匂いが濃くなった瞬間には腰を落としており、プルトンの頭上に変化が見られた時にはドレスの裾を邪魔だとばかりに極小の爆轟で吹き飛ばし、生足をさらけ出して走りだしている。僅かに遅れてラギス、その隣にセルロゥが続く。
視線の先では石の短剣を手に落下する暗殺者。もはや言葉を交わして意思疎通する暇もない。
三者は祭壇に続く階段へと足をかけた直後、全身の力を振り絞るように跳ぶ。
奇跡的にか、三者の性格が出たのか、それぞれが別の目標を持っていた。
ラギスは凶刃からプルトンを守るために。セルロゥは凶刃を握る凶手へと目標を定め、ニトローナは凶刃を破壊するために魔力を練り上げた右手を伸ばす。それぞれが別の目標へと跳びかかった。
そしてそれぞれが結果を出した。
ラギスはむき出しになっていた肩を裂かれながらもプルトンの盾になり、セルロゥは体重と勢いを載せた体当たりで暗殺者を吹き飛ばし、ニトローナはラギスの肩を裂いた短剣を素手で掴みとり、爆轟で粉々に砕く。
儀式の最終段階で頭上から迫る暗殺者。そして暗殺を防ぐために乱入した三者。儀式から一転して命をかけた修羅場への変化に、継承の間に整列していた者達は理解が追いつかない。
一瞬の無音。
直後には怒号と悲鳴が場を満たした。
ある者は扉へ、ある者は近衛兵へと、戦う力のない者たちはそれぞれに安全を求めて動き出す。整列していた数十人がそれぞれの考えで動き出したのなら、当然の如く衝突が起こる。
悲鳴と混乱が広がった。
混乱を横目にニトローナは粉々に砕いた石の短剣を床に捨て去り、吹き飛ばされた暗殺者へと警戒の視線を向ける。その隣ではセルロゥが唸り声を上げ、背後では肩の痛みに呻くラギスがプルトンを背に庇っている。
イシュランディルはその様子を苦々しげに見つめ、プルトンを守るようにラギスの隣に立った。
「すまぬ。まさかこの瞬間を狙われるとは……」
「……師父、武器はないの?」
「武器の持ち込みは近衛兵団しか許可されておらぬ」
「ならその近衛兵団からーーいや、奴らも敵なのか?」
「わからぬ、未だ動きはないようだが」
イシュランディルは部屋全体を見下ろせる位置から近衛兵団へ視線を向けるが、彼らは剣を手を掛けながらもどこか困惑しているように見える。その彼らの視線は整列していた者達の最前列付近へ注がれていた。
部下たちからの視線を向けられている近衛兵団長アジャーロは酷く険しい表情で、吹き飛ばされた衝撃から回復した暗殺者を見つめている。アジャーロの近くにいた直属政務官フルガスも、体を痙攣させるように震わせつつ、暗殺者へと視線を向けていた。
「なん、と……いうことを」
声を震わせるフルガスの言葉は暗殺者へ向けられている。視線には怒りと困惑があった。
「継承の儀で暗殺など、貴様正気か?」
フルガスから向けられた問いかけに暗殺者は答えず、視線をニトローナ達へと向ける。その際に石材の擬態が解け、緑色の鱗に覆われた皮膚が姿を表した。暗殺者は唯一身につけていたズボンの後ろからもう一本の短剣を取り出して構える。
「やめぬかヘンドリク! 貴様陛下の意志を踏みにじるつもりかぁ!」
暗殺者ーー猟兵団長ヘンドリクはフルガスの言葉を無きものとして扱うように、ニトローナ達へと向けた視線を動かさない。
その様子を見てニトローナはヘンドリクの意志は揺るがないと判断し、階段を降るために足を動かす。
「イシュランディル、ラギス、セルロゥ。後ろは任せる」
返事を待つこと無く、ニトローナは一メートルほどの高さしか無い段差を降りきり、ヘンドリクと対峙する。
武器の無い現状、ヘンドリクの体格と差が大きいラギスはプルトンの護衛に回る方がいい。唯一ニトローナと同等以上の嗅覚を持つセルロゥは次にあるかもしれない奇襲の警戒が必要。魔術がすさまじいイシュランディルはもしもの時に備えて後ろで全体を俯瞰してもらう。
そしてニトローナは剣がなくても多少は戦えるからこそ、前に出る。
ニトローナは視線に戦意を込めて、両手に魔力を練り上げる。手加減は出来ない。相手の命を奪うことを覚悟した。
対する暗殺者ヘンドリクの視線には熱がなく、戦意もない。それどころか意志すらも感じられない。まるで石像とでも対峙しているような気分にさせられる。
ニトローナは知らないことだったが、魔族において猟兵とは魔獣を狩る者だ。狩りとは正面から対峙するだけではなく、奇襲や待ち伏せなどのほうが多い。故に猟兵団を統率するヘンドリクは狩る者としての技術を身に着けている。獲物に気配を悟らせないために瞳から意志を消し去り、呼吸を悟らせず、どのような場面に遭遇しても動揺しないような鉄の精神力を持っている。
だからこそーー
「ぐっ!?」
正面からですら奇襲に近い攻撃を可能にした。
首を横に裂くように動いた短剣を、一歩下がらせることでニトローナは避ける。
あまりにも無造作に足を進めたと思ったら、視界の端から迫る石の短剣に首を刈られそうになった。まるで短剣が突然現れたような動きに、ニトローナは更にもう一歩下がる。
そこにヘンドリクはまたもや無造作に間合いを詰めて来た。辛うじて視界の端に捕らえた短剣の軌道から頭を下げて避けるが、無理な体勢になったせいで反撃が出来ず、追撃を警戒して下がるしかない。
眼前の相手はただの暗殺者ではない。
王国内の旅で襲撃してきた暗殺者とは比べ物にならないほどやっかいだ。
静か過ぎる一定の呼吸、相手の目に固定された視線、まるで蛇のように滑らかな筋肉の動き、そして匂い。相手の動きを読もうと五感を働かせても得られる情報が少ない。その少ない情報にすら欺瞞が混ざっている気配すらある。
本能的な動きが多い魔獣とは根本的に違った。
酷くやり辛い。
かといってこのまま避け続けても、背後の階段が近づくだけだ。後ろ向きで階段を登りながらの回避など不安定すぎて詰まれる恐れがある。時間も余裕もない。
戦いの流れを相手から引き剥がすしか無かった。
ニトローナは辛うじて捉えた短剣の軌道を予測し足を前に進める。心臓目掛けてくる短剣の突きが眼球へと狙いを変えて跳ね上がる。ニトローナは顔を逸らしながらも更に前へ。
左頬を縦に切られ、それでもさらに前進。短剣の間合いの内側へと踏み込んだ。
そしてーー
「噴!」
ヘンドリクの爬虫類の顔に勢いのまま頭突きを叩き込む。
「ごーーぉぉ」
呻き声を漏らして顔を仰け反らせるヘンドリクへ、ニトローナは隙を逃さずに接近し、相手の両手首を掴みとる。そして握った両手首はそのままに、ニトローナはヘンドリクへと飛びかかる。女性では長身のニトローナでもヘンドリクの体格には負けるが、勢いと体重を乗せれば多少の差があろうと、相手を押し倒すことが出来る。ニトローナはヘンドリクを押し倒す格好で床へ叩きつけた。ヘンドリクの握っていた短剣は音を立てて転がっていく。
「ぐぅ」
「動くな」
ニトローナの額からヘンドリクの額へと、ポツポツと血の雫が垂れる。先ほどの頭突きでニトローナの額は小さく裂けている。対してヘンドリクの額に傷は見られない。
少なからず理不尽なものを感じつつ、ニトローナは言葉を続ける。
「投稿しろ。私ならお前の両手を即座に消し飛ばせる」
そう言いつつも、ニトローナはヘンドリクが投稿するつもりは無いだろうと予測していた。プルトンを暗殺しようとしたヘンドリクはもはや死ぬ以外の道はないのだから。
ヘンドリクの罪は継承直前とはいえ事実上、王への反逆。その罪は国家にとって決して許されてはいけない罪だ。
だからこそヘンドリクは目的を達成するまで諦めないだろう。
しかしニトローナがただ処分するだけでは最良の結果とはならない。ヘンドリクを生け捕りにし、情報を吐き出させて初めて最良の結果となる。ただの反逆として終わらせてしまえば今後のプルトンの治世に何らかの凝りが残り、王国との関係にまで悪影響を及ぼしかねない。
ニトローナはそうした打算で投降を呼びかける。
そして暗殺者の答えを『掌』で感じ取った。
ヘンドリクの両手首を力強く押さえていた掌から、異様な感触が伝わってくる。
蛇の鱗とは滑らかであり、どこか掴みづらい。ヘンドリクの皮膚はそれに近いからこそ、ニトローナは全力に近い状態で両手首を掴んでいた。だが伝わってくるのは手首が抜けていくようなズルリとした感触。さらに骨が外れるような鈍い振動。
皮膚の質感すら変えられるヘンドリクは、皮膚をさらに滑りやすいものへと変え、加えて手の関節まで外してニトローナの拘束から逃れようとしていた。
無論、それをやすやすと見逃すニトローナではない。
掌に練り上げた魔力を両方共爆轟へと変えて解き放つ。
親指以外の四本指、両手合わせて計八本の指の第二関節から先を吹き飛ばしたーーはずなのだが、ヘンドリクは呻き声を漏らすのみで拘束から脱出し、ニトローナの脇腹へと肘を突き入れる。
「かっーー」
呼吸が止まる一撃はニトローナの体を浮かせ、その僅かな隙にヘンドリクは更にもう一撃加える。ただし今度は右足による蹴りだ。
蹴り飛ばされたニトローナは、痛みを堪えながら転がる勢いを利用して立ち上がった。
苦痛に歪むニトローナの視界には、こちらに背を向けてプルトンへと突撃するヘンドリクの姿がある。彼は指の大半を欠損した状態でもプルトンを殺そうと動いていた。
爆轟で吹き飛ばされたヘンドリクの指先から血が滴り、骨が鋭利な状態で露出している。それだけでも首を裂くことは出来る。そういうことなのだろう
ニトローナは自身の欲が失敗に繋がったことを悟った。
ヘンドリクの背を追うために足を踏み出すが、左脇腹に呼吸が止まるほどの痛みが走った。痛みの後の呻き声すらも、さらなる痛みに変わる。
最悪折れていることを覚悟して、それでも足を進めようと顔を上げたニトローナの視界には、ヘンドリクが祭壇へ続く階段へ足をかけた姿があった。
ニトローナの内心が焦燥感で満たされた直後、ヘンドリクの体が何かに突き飛ばされたように背後へと飛ぶ。
何が起こったのかと疑問に思った直後、ヘンドリクの首筋に噛み付いているセルロゥの姿に疑問は氷解した。
セルロゥはヘンドリクに噛み付いたまま着地。そして牙を離すこと無く首を大きく左右へ振る。ヘンドリクの首筋に開けられた穴は広がり、吹き出す血液が床を赤く染め上げた。最後に壁へと放り投げることで、セルロゥはヘンドリクを開放する。
壁から床へと落下したヘンドリクは首に開けられた穴から更に血液を零す。目にはまだ光があるが、時期に消えるであろうことは明白だった。指の大半が消失した手を動かしているが、それが上げられることはない。
それから数秒後、ヘンドリクは動きを止める。
未だ混乱に包まれている継承の間。その中で数多くの視線を集めたヘンドリクは命を終えた。両手の指先の大半は骨が露出する形で千切り飛ばされ、首には指先ほどの穴を開けて血を流している。しかしその血も止まる。
次期国王暗殺未遂という大罪を犯した暗殺者は死んだ。
もはや動くことはない。そう確信が持ててようやくニトローナは床に膝をつく。左脇腹の痛みがそれほどに酷かった。呼吸の度に走る痛みに全身から汗が吹き出すほどだ。
口をヘンドリクの血で染めたセルロゥは痛みに表情を歪めるニトローナへと近づいてくる。ニトローナはそんなセルロゥの背を撫でた。
「助かった。よくやって、くれたな、セルロゥ」
痛みに途切れがちな礼の言葉。返答は切り裂かれて血を流している頬の一舐めだった。
とりあえず、危機は去った。
継承の儀を狙った暗殺は防がれ、プルトンは無事。惜しくも実行者であるヘンドリクは死亡したが、今後の調査は魔族がやるべきことだ。
後は継承の儀をもう一度行うのか、それともこのまま継承したことにするのか。暗殺が行われたことも含めて色々と話し合われることは多いだろう。どちらにしろ外様であるニトローナの出番はほぼ無い。後は怪我を治し、王国への帰路に着けばいい。
領地の象徴とも言える林檎の木の群れ。騒がしく荒々しくも、愛すべき部隊の部下たち。そして首を長くして待っているであろう、最愛の妹セリン。
ニトローナは自身の帰るべき場所を思い浮かべ、苦痛の中で小さな笑みを浮かべた。
今ではなく、未来を思い浮かべる。それは希望に満ち溢れたことなのだろう。
だが、今この時に限っては、隙の一つとなった。
ニトローナの視界の端で、大柄な影が素早く動く。手には剣。向かう先は祭壇ーーいや、次代の魔王プルトン。その者は表皮を刺々しい鱗に覆われ、触れるものを傷付けるような荒々しさを纏っている。
名をアジャーロ。王を守る近衛兵団の団長が今、次代の魔王に刃を向けようとしていた。




