40.人魔2
虹賢者は先を語ることを躊躇するように、口を閉じた。
ニトローナはその間に語られた過去の話を脳内で反芻する。
建国王手動による開拓、東の地、北の鉱山、変異の病、大森林の壁。五百年前に起きた出来事が今の王国と東の地を形作っているようだ。
そしてイシュランディル弟子。この男が最も重大な鍵を握っているのだろう。同時に、イシュランディルが口を噤むほどの何かがあったのだ。
イシュランディルは冷めた茶を飲み干し、複雑な感情を込めた息を吐いた。
「すまんの。あやつのことを考えると、どうもな」
陰りのある笑みを浮かべる虹賢者の言葉は、懐かしむような声色だ。
「その弟子は、どんな男だったんだ?」
「ふむ…………一言で言うのならば、魔術に関する天才だ。特に魔術を利用した道具を作ることにかけては異常な才を持っておった。あやつならいずれ、儂を超える功績を残すことが出来る。そう思っておった」
「……ちょっと待て、お前を超えるほどだと? 王国の記録ではそんな男はいないはずだ。何よりお前に弟子がいることすら初めて知ったぞ。それほどの天才ならどこかに記録が残るはずだ」
「それはそうだろう。儂が弟子の記録を欠片も残さず消し去ったのだからな」
ニトローナは大きく目を見開いて絶句した。
「な……なぜそこまで、しなければならない}
「あやつはそれほどの事を起こしたのだ。何より、あやつ自身が望んだことでもある」
イシュランディルは空になったカップに再度茶を注いだ。
「さて、続きといこうかの」
虹賢者は顔から笑みを消し去り、過去の続きを再び語りだした。
「変異に飲み込まれた大森林を抜け、東の都へと儂は辿り着いた。開拓が始まって十年以上が経ち、都には開拓民やその二世、王国からの移民たちが数多く住んでいた。彼らは王国にいる者達と変わらない生活をしておったよ。朝起きて朝食を食べ、黄昏時まで働き夕食を食べて酒を飲み、明日に備えて眠りにつく。何も変わらなかった。だが外見だけが違った。
瞳がまるで蛇のように縦に線が入った者、頭部の左右から小さな突起物を生やした者、腕の皮膚から鱗が生え揃っている者。それらは小さな変異ではあったが、確実に通常の人間の枠から外れかけていた。
だが彼らは、いつもどおりの生活を送ろうとしていたのだ。治療法が存在しない病に冒されていると思いながらも、自分たちで切り開いた土地から離れるつもりなど無かったのだ。変異しようと見た目以外に異常は見られなかったことが拍車をかけたのだろう。彼らは強かに生きていた。まあ、一部の変異してない移民は怯えていた者もおった。そういう奴らは大抵、開拓が軌道に乗ったことを確かめて利益を貪ろうとしたケダモノどもだったがの。
そんな彼らを横目に儂は弟子の元へと急いだ。あの時代の都には小さいながらも城があり、儂と弟子は城の一室を間借りして研究していた。儂はそこに弟子がいると考えていたが、そこにいたのは弟子だけではない。開拓地である東の地の領主、王弟もいたのだ。二人して儂を待っておった。
儂がいない間に決めたこと、行ったこと。魔術を扱うものとしての、人の上に立つものとしての決断を、聞かせるためにな。
頭部から二本の角を生やし、全身の皮膚を鱗に覆われ、獣毛を纏う尾を生やした弟子は言った。自分にしか溢れ出る魔力を止めることは出来ない。だから東の地に漂う膨大な量の濃い魔力を体内に取り込み、王国との間に魔力魔力で変異した存在を通さない壁を作ったとな。あやつは全身が変異することを知りながらも、人に戻ることは出来ないという決断をしていた。
そしてあの馬鹿弟子は、自身の創りだした魔術具が争いに使われないか危惧していた。五百年前でも魔術師はそう多くはなかったが、才あるものが見れば作り手が考えられないような恐ろしい使い方をするかもしれん。故に自分が作った魔術具の破壊と記録の抹消を頼んで来た。記録が残るだけでも危険だと考えておったのだ。
樹皮のような皮膚に左半身を覆われた王弟は弟子の考えを実行に移させ、その上で王国との断絶を考えていた。そのために建国王には、東の地を禁足地として定めるようにという内容の手紙を用意し、王国へ戻らないという決断を語った。
あやつらは王国と、東の地を故郷にしようと奮闘している開拓民のために、王国と東の地の交わりを断たなければならないと考えていた。その上で東の地に関する物事を、王国の歴史から抹消する必要があった。
日々深刻化する変異が王国まで及べば、開拓を行わせた建国王の統治は崩壊へ向かう。そうなれば建国王が勝利したはずの統一戦争が再び始まるだろう。その最悪の結果を避けるために、東の地を閉鎖された国家にするのだと、あやつらは決断して行動に移した。
都から南の地は肥沃であり、作物がよく実ったことも関係しているのだろうな。家畜も多少変異していたが、食料にならないわけではなかったからの。
東の地は王国と交わらずとも生きていける場所だった故の決断と行動だったのだ。
それから五百年。東の地に住む者達は逞しくと生きている。あやつらの決断はしっかりと結果を残しているのだ」
イシュランディルは重労働をしたような様子で、大きくため息を漏らした。その顔はどこか陰りが薄れているようにニトローナには感じられる。最後に軽く告げていたが、彼は五百年も生きて東の地を見てきたのだろう。犬と人の時間を合わせても三十年分も経験していないニトローナには、想像できないほど途方も無い長さだ。
「これがこの地が始まった歴史だ。む、ポットまで温くなってしまったようだの。サラマンデル」
ポットを手にするイシュランディルの手に、久しぶりに見た赤蜥蜴が這っている。虹賢者の手からポットへと這いよると僅かに赤く輝いた。すると、ポットから薄く湯気が漏れはじめる。
「うむ、ありがとう」
サラマンデルは虹賢者へと小さく「キィ」と鳴くとポットから離れて宙に浮かび、ニトローナの眼前へとふわりと流れてくる。ニトローナが赤蜥蜴の頭を指で優しく撫でると、赤蜥蜴は犬猫のように指へと体を擦り付けてきた。近衛兵長アジャーロの刺々しい蜥蜴の皮膚とは違い、サラマンデルの皮膚は滑らかで光沢がある。つるつるとした感触は気持ちのいいものであった。
「話を聞いた限りでは、私が空気中の魔力を取り込まなければ問題ないのか?」
「うむ、その通りだ。自身の魔力が枯渇し、外部から魔力を取り込まなければ短期間で変異することはないだろう。とはいえ、お主の魔力量では変異を完全に防ぐことは出来ん。出来るならば東の地では二度と魔術を使わぬことだ。これで少しは疑問が晴れたかの?」
「いや、もう一つある。お前の弟子が変異した存在を通さない壁を作ったのなら、直属政務官のフルガスが王国で第二王子殿下に会えないはずじゃないのか?」
「あれは、壁を維持し続けている現魔王の意志次第で通す者と通さぬ者を区別できる。それでフルガスが通れたというわけだ」
「待て、ならばセルロゥはどうして王国にくることが出来たんだ? 過去に母上がセルロゥを連れ去ったのなら、壁を突破したということか?」
「そこは儂も疑問に思っている。もし壁が破られたのなら魔王が必ず気づくが、壁が破られたということは一度もなかった。今回の件が終わったらセルロゥに問い質さねばならん。とはいえ、人の言葉を喋れないあの姿では難儀しそうだがの」
「……まあいい。私が人としてヴィルブランド領に帰ることができて、妹に魔力による変異が及ばないことは理解できた」
「お主は相変わらず妹に関することばかりか」
「当然だ。この旅もセリンと故郷を戦火から守るために同行していたんだ。あの娘の命と平穏を守れて、その上で傍にいられるなら、問題はない」
赤蜥蜴を撫でつつニトローナは薄い笑みを浮かべる。旅の目的の大半は既に終え、後は帰るだけである。妹との再会が近づいていることに対する嬉しさが表情に表れていた。
赤蜥蜴は撫でられることに満足したのか、小さく鳴くと姿を消す。指には柔らかな暖かさの残滓があった。
「魔王になるという事の影響を、二人は納得しているのか?」
「プルトンと、ラギスか」
イシュランディルの顔が渋面一色になる。
「魔王の役目が魔力を通さない壁を作るということは理解した。だがプルトンに今の魔王のように変異することを受け入れられるのか? そしてラギスだ。彼女はまるで実の姉弟のようにプルトンに接している。そんな弟のように思っているプルトンが人でなくなることに納得できるのか?」
「プルトンの声をおぬしも聞いたであろう? あやつの声はある意味、濃密な魔力の固まりを波動として周囲に撒き散らすものだ。あやつ自身、自分の声が危険な代物だと理解している。此処で魔力の制御を習得するしかないのだ。何よりも、時期的に受け入れるかどうかという話ではなくなっている。プルトン以外に魔王の代役を務めることは不可能だ。そうなって困るのはお主も一緒であろう?」
ニトローナは沈黙をもって肯定する。
虹賢者の言葉通り、後継がいない状態で魔王が没した場合、人を変異させる魔力の波にヴィルブランド領が飲み込まれてしまう。ニトローナにとって魔王がいない状況というのは都合が悪いのだ。
「気休めではあるが、プルトンは歴代の魔王よりも身の内に宿す魔力が多い。空気中の魔力を受け入れるのは最小限で済むはずだ。今代の魔王よりも変異は軽く済むだろう」
イシュランディルは諦観の表情になっている。それは五百年という歳月を費やして得た諦めだ。その十分の一も生きていないニトローナには何も言えなかった。
「ラギスの場合は、儂らが何も言わなくと納得しておるだろう」
「彼女の面倒見の良さから考えて、とてもそうは思えないが……」
「あやつの身の上は聞いておるか?」
「ああ、大森林に入る前に聞いている。なんでも帝国の貴族の血縁らしいな」
「あやつは血筋を恨んでも仕方がない経験をしておるが、貴族のように民衆を束ねる立場の必要性は理解している。反対はせんよ」
イシュランディルの眼には微塵の疑いも感じられない。
ラギスは幼いプルトンが王位につくことに感情では反対しても、理性で受け入れるということなのだろう。
「二人は、この地の歴史を知っているのか?」
「儂の予定では今日明日にでもお主も含めてあやつらに話す予定だったのだが、お主が先に来てしまった。全く困った娘子だ」
「それは済まないことをしたな、ご老体」
「やかましい」
虹賢者は憮然とした表情で二杯目の茶を飲み干すのだった。
東の地。魔族の都にある城の一室。
近衛兵長アジャーロは主である魔王の護衛を部下と交代し、自身の執務室にいた。向かい合うように置かれた二つのソファーの片方に腰掛けたアジャーロの表情は険しく、空気が震えるような緊張感を発している。
「手順は把握したな?」
アジャーロの重い言葉は、もう片方のソファーに腰掛ける者に向けられていた。
黒の上下に茶色のコートを羽織った魔族であり、頭部全体に刺々しい皮膚を持つアジャーロとは違って滑らかな鱗を生やしている。こちらは蜥蜴というよりも蛇に近い容貌であった。
彼はアジャーロの険しい瞳を真正面から見つめ返し、まるで儀式を行う神官のように厳かに口を開く。
「問題ない。未来のことはお前に任せる」
「……すまん」
アジャーロは謝罪の言葉とともに頭を下げた。
普段、アジャーロが頭を下げるとしたら主君である魔王だけだ。他の者に頭を下げるとしても直属政務官ぐらいだろう。それほどに近衛兵長という立場は重く、呪いのように責任が付き纏う。アジャーロが対面している相手とは頭を下げる価値のある相手なのだ。
「構わない。これは、俺にしか出来ないことだ」
薄く笑みを浮かべるその魔族はどこか誇らしげだ。その様子を見たアジャーロは内から溢れ出そうな激情を押さえこむように瞼を閉じた。
「アジャーロ。部下たちを、後のことを頼む」
「ああ、任せておけ。ヘンドリク」
ヘンドリク。
それは直属政務官フルガスが、不穏な動きをしている者としてイシュランディルへと警告した、猟兵団長の名であった。
魔王が統治する国の裏側で、近衛兵団と猟兵団という二つの武力を統べる二名は策謀を巡らせていく。
全ては魔族の未来の為に。
今回の過去話のまとめ
弟子が魔力で変異した存在を通さない壁を作った(5月25日に設定を変更しました)
開拓民の大半が変異したと知られれば建国王の統治に悪い影響をあたえるので、開拓の記録を抹消。
正直書いてる本人の頭が混乱してきてます、はい。でも過去話はこれで終わりなので一安心。多分……




