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38.不穏

「アジャーロに、近衛兵長に気をつけよ」


 直属政務官フルガスの執務室。多種多様な書類に埋もれた机の隣に、休憩及び歓談用に丸い机と椅子が二組置かれている。

 イシュランディルは魔王への報告を終えてアジャーロへ警護を引き継いだ後、フルガスの執務室へと足を運んでいた。

 執務中だったフルガスが休憩ついでに茶を飲むためにイシュランディルを誘い、最初の一言が先の言葉だった。


「気をつけろ、とはどういう意味だ?」

「最近の奴には不穏な動きがある」


 苦々しげに呟くフルガスは、老犬めいた犬の顔で唸り声を上げる。


「巧妙に偽装しておったが、北から入ってくる武具の数が大きく増加しておる。その数は近衛兵団全ての装備を一新できるどころか、予備の分まであるときてる。そして都にいる猟兵共の数まで増しておる。まるで何らかの争いに備えた準備に思えてならん」

「武具だけではなく、猟兵も、か」


 大森林よりも数は少ないが、平原や山地にも魔獣が生息している。凶暴な魔獣は小さな村を襲うなどして時折被害をもたらしていた。その対処に当たるのが猟兵であり、通常は国全体へ散って魔獣討伐の任に就いている。

 その猟兵が都で数を増やしているのは確かにおかしなことだ。


「魔獣の数が減ったという報告はどうだ?」

「それは無い。大まかではあるが討伐や被害報告である程度の予測は立てられる。多少変化はあれど魔獣たちの大規模な増減は無い」

「猟兵に都にいる理由は問いただしたのか?」

「猟兵それぞれに聞くことは出来ん。直属政務官とはいえ、権限の外だ。一度猟兵団長に問いただしてみたが、配置変換のための一時的なものだと言われた。だが、どうも信用できん」

「……猟兵団長の名は?」

「ヘンドリクだ。過去にアジャーロが猟兵団に所属していた時期に同じ隊にいた記録がある。何らかの繋がりがあるのは確実だろう」

「……ふむ」


 猟兵とは魔獣との戦闘が主な任務である以上、死亡率もそれなりにある。だが同時に、猟兵の実力は魔族の誰もが認めている。その猟兵の中でも最精鋭が近衛兵団へと配属される。そんな二つの兵団の長が、同じ部隊に所属していた経験があるというのは、確かに何らかの繋がりを感じざるを得ない。長く国を離れていたイシュランディルでもそこは理解できた。


「だが確証はないのだろう?」

「……そうだ」


 フルガスは再び唸り声を漏らし、怒りを収めるようにカップを手に取り茶を飲み干す。


「増えた武具と不自然に集中する猟兵だけでは、ただの偶然と言われても仕方あるまい。お主の取り越し苦労かもしれぬぞ?」

「そうかも知れぬが、この大事な時期にあるからこそ不審に思えてならんのだ」


 イシュランディルはその言葉を聞いて確かに、と思わずにいられなかった。

 新たなる魔王が生まれるという大事な時期に、武具を集め、猟兵を都へ集中させるのは不審に過ぎる。


「儂が次期魔王候補を連れてきたとお主が知ったのはいつだ?」

「一月ほど前のことだ。儂が陛下へ政務の相談に行った折に、突然告げられたのだ。友が後継を連れてくる、とな」

「ならば、武具の増加と猟兵の集中はその後か?」

「そうだ。だからこそ疑っておるのだ」


 フルガスを真似するかのようにイシュランディルも唸る。

 こうまで条件が揃ってしまうと、疑わないという選択肢はなくなってしまう。だが如何せん、イシュランディルは長く国を離れていた身であり、しっかりと監視されているだろう。下手に動くことは出来ない。


「今は気にかけておくしか無い、か」

「口惜しいが仕方あるまいな。イシュランディルよ、もしもの時はお主を頼ることになるかもしれぬ」

「かまわんよ。八年も留守にしておったのだ、それぐらいはさせてもらおう」


 フルガスの言葉に応え、イシュランディルはカップに入った茶を飲み干した。







 城の中の一室で、ニトローナは一人寝台に寝転がっていた。髪は僅かに湿っており、肌に付いていた旅の汚れは綺麗に落とされている。服も旅装から簡素な上下の服に着替えられていた。部屋にある机には茶が入ったポットとカップがあり、傍には色鮮やかな果実が小さな山となって置かれている。

 それらは全て世話役の侍女が準備したものだった。

 

 イシュランディルと離れたニトローナ達はそれぞれが個室へ案内されたうえに、世話役の侍女がつけられた。ニトローナの世話役は門から城の中まで案内したあの無表情な侍女であり、プルトン付きになった別の侍女へと無表情ながら呪い殺しそうなほどの凄まじい眼光を放っていた事が、印象に強く残っている。念の為にセルロゥをプルトンと一緒にしてもらった。

 とはいえ仕事はしっかりとこなせる優秀な侍女だったようで、ニトローナが湯浴みではなく濡れた布で拭く程度でいいと告げると、すぐさまお湯の入った桶と清潔な布を準備してくれた。

 侍女に体を拭くのを手伝ってもらった後。侍女が退室した一人の部屋で、ニトローナは寝台に寝転がり思考に耽っていた。


 王国のヴィルブランド領からここまでの道程を思い返し、言葉や出来事を脳裏に思い浮かべていく。

 暗殺者の襲撃、大森林の魔獣、緑の部族、獣の部族、そして魔族の都。それらの中でいくつか引っかかりを覚える。

 樹皮のような硬質を思わせる皮膚に枝葉の頭髪を生やした緑の部族。

 それぞれが別の部位を獣に変異させていた一貫性のない獣の部族。

 自分の四肢を気づかぬ内に犬へと変異させていたニトローナ自身。

 皮膚が鱗に覆われていた都の兵士たち。

 そして『先祖帰り』という言葉。


 どこか引っかかる。だが何が引っかかっているのか、ニトローナ自身にはわからなかった。

 何が、どこが、どうして違和感を感じたのか。

 唸り声を漏らすほど思考に耽る。


 違和感の原因が判別できない。

 暗殺者か、魔獣か、それとも緑の部族か、獣の部族なのか。言葉か、行為か、風景か。

 それぞれを頭に思い浮かべては、否定されていく。


 そこでニトローナは気がつく。

 王国からの道程一つ一つを確かめるから見つからないのではないか。全体を一つとして俯瞰してみれば違和感の正体がはっきりするのではないか、と考えた。


 焦点の合わない眼で天井を見つめながら、ニトローナは再び思考に耽る。


 王国から大森林へ。大森林から魔族の都へ。全てを一つとして俯瞰する。

 そう、全てを一つとして。

 そして、一つの推測に行き当たった。


 突如上体を跳ね上げるように寝台から起き上がった。旅の汚れを落として清潔になった顔は血の気が引き、額に薄く汗が浮かんでいた。


「……まさか」


 ニトローナは用意された簡素な靴を履いて部屋の扉へ向かった。

 扉を力強く開けると、右頬の一部と右手が鱗に覆われた侍女がいた。手にはポットとカップを載せたトレイを持ち、どこかの部屋へ運ぼうとしているようだった。


「どうかなさいましたか、ニトローナ様? 顔色が優れないように見受けられますが」


 無表情で問うてくる侍女の言葉に答えず、ニトローナは問いを口にする。


「イシュランディルは何処にいる」

「……虹賢者様でしたら、先ほど部屋に案内しましたが」

「それはイシュランディルへ持っていくのか?」

「はい」

「なら丁度いい、案内してくれ」

「……畏まりました」


 歩き出す侍女の後についてニトローナは城の廊下を進む。視界の最奥、廊下の先にはT字路になっていて警備兵が二人立っている。背後を見ると同じ光景が目に映る。これでは廊下に出たもの全てが警備兵の目に留まる。警備と同時に監視も兼ねているような配置だった。

 

 イシュランディルの部屋は案外近くにあったらしく、すぐに辿り着いた。

 侍女はトレイを左手で持ち、鱗に覆われた右手で作った拳で扉を軽く叩いた。


「虹賢者様。ニトローナ様がお見えになっております」

「ーー入ってもらえ」

「失礼します」


 侍女が扉を開ける。部屋の内部はニトローナが案内されたものと同じようで、イシュランディルは椅子に腰掛けて入室者を見ていた。服だけは多少違うようで、どこか貴族のような装飾が施されたシャツとズボンを着ている。

 侍女は部屋にはいると机にトレイを置き、イシュランディルが軽く手を振ると退室していった。ニトローナの背後で扉が閉じられ、部屋には二人が残される。


「何か話があるのか? あるのなら茶でも入れるかの」


 どこか好々爺といった印象を与えるその言葉と対極に、ニトローナは極度の緊張を持って立っていた。

 これから話すことは自分の未来に関わることであり、犬と人という二つの記憶を持つニトローナでも、一個人で抱えるには異質過ぎる問題だ。


 確かめなければならない。

 問いつめなければならない。

 自分が『どちら』なのか。


 ニトローナは部屋の奥へ進み、椅子に腰掛けたイシュランディルを見下ろすような位置に立つ。そして、訝しむように顔を上げたイシュランディルの胸ぐらを掴み上げた。


「何をーー」


 何もかも見透かすようなイシュランディルの瞳を、ニトローナは睨みつけるように覗きこんだ。すると案の定、虹賢者はニトローナの内心の乱れを悟ったかのように目を細める。


「どうしたニトローナ。何かあったのか?」

「何かあっただと? 違う、これから起こるんだ!」


 虹賢者の問いにニトローナは怒鳴り返す。そうしなければ、恐怖に近い負の感情が吹き出しそうだった。


「答えろイシュランディル。私はどちらだ、人なのか? それともーー」


 ニトローナは恐怖した未来を口に出す。


「私は、魔族なのか?」

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