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31.魔の性質

話数が増えてきたので今回からタイトルの前に番号を振ることにしました。

「……痛い」

「うむ、痛いな」


 時刻は夜。

 緑の里にある巨木内の一室で、ニトローナとイシュランディルは向い合って椅子に座っていた。間に置かれた机の上には干した果実や果汁の水割りが置かれている。

 ここは旅の一行が割り当てられた部屋とは別で、寝台などは置かれておらず、談話室といったおもむきだった。壁には花を模した木の彫刻などの木工細工が置かれ、ある意味緑の部族らしい工芸品が置かれている。


 そんな部屋で向き合う二人の頬には赤い紅葉模様。掌の後がくっきりと残っていた。


「しかし口の中が切れていないのにこの痛さとは……ある意味凄まじい技量だな」

「うむ。あやつはこういう細かいことは得意だからーーおぉ痛っ」


 端的に言えば、怒ったラギスに説教を食らい、その上ニトローナ、イシュランディル、プルトンの三者は頬を手で打たれた。

 ニトローナの罪状としては何かが起こっていながらラギスを放置したこと。

 プルトンは声を出して大猿を呼び寄せてしまったこと。

 イシュランディルはプルトンのことを誰にも頼まずに部屋を出たこと。


 ニトローナとしてはラギスの怒りを理解出来た。最悪死人が出るであろう事態で一人だけ蚊帳の外なら誰でも怒るだろう。

 妹のセリンが知らないところで命の危険にあっていたのなら、ニトローナは怒り狂うと断言できる。想像することですら怒りがこみ上げてくるほどだ。そう考えれば、実際に放置されたラギスの怒りは当然であり、ある意味優しい罰でもある。ニトローナは自分なら拳で殴っていると予想できた。


「それで、私の手足のことだが……」

「ああ、うむ」


 ニトローナがこうして場を設けたのは、大猿との戦闘中に自分の手足が獣のそれに変異したことについて話を聞くためだ。

 あの場に現れたイシュランディルは原因を知っているような口ぶりだった。

 ニトローナの予想では、イシュランディルは原因だけではなく、あの変異の原理すら理解しているように思えた。


「そうさな。だがその前にお主の魂について訊いておきたい」

「魂?」

「うむ。前置きは省いて訊こう。お主は人として生まれ落ちる前の記憶があるな?」


 人よりも前の記憶。

 ニトローナにとって忘れたくても忘れられない幸福と喪失、そして絶望の記憶。

 二本足ではなく、四本足で地を駆ける生物としての過去。


 不思議と、イシュランディルにそう問われても動揺はなかった。


「第二王子との謁見の時、言っていたな。怒れる忠犬だと」

「うむ」

「いつから、気づいていたんだ?」

「最初からだの。儂は見ようと思えば魂が見えるのでな。お主の魂は人の形をとっておらぬ。騎士のように忠誠心を感じさせながらも、怒りに染まった真っ赤な犬だ」


 イシュランディルは果実水で喉を潤し、言葉を続けた。


「稀だが、お主のような者をみたことがある。大抵の者は生まれる前の記憶は時を経るごとに忘れていき、魂が人の形となって生きていく。だがお主ほど生前の性質が強く出ている者はおらん。それほどの未練か」

「……ああ、あの喪失は耐え難い。体が沸騰するような怒りを感じたことはあるか? 臓腑を抉り出したくなるぞ」

「理不尽な喪失。いや、それほどの未練だとすれば、お主の場合は剥奪か?」


 命を奪われ殺されること。それは剥奪なのだろうと、ニトローナは頷く。


「……話を戻そう。お主は犬としての魂に人の体を持っているということになる。恐らくだが、大森林に足を踏み入れてから体に不調を感じたことはあるな?」

「ああ。どこか感覚がズレているような感じではある」

「やはりそうか。今のお主は融解しかけておるということだ」

「融解? 別にどこも溶けてないぞ?」


 ニトローナは自分の姿を見下ろすがどこもおかしな様子はない。身体の所々に怪我を負っている程度であった。


「そういう意味ではない。わかりやすく言えば、お主の犬としての魂が解けて人の体に混ざっているということだ。それが原因で犬としての体の動かし方を思い出したのだろう。だからこそ感覚がズレているのだ。犬の感覚で人の体を体動かそうとすれば違和感が出て当然だ」


 なるほど、と納得出来る話だ。

 人の体と犬の体では構造が違いすぎるのに、よく混乱しなかったものだとニトローナは内心驚く。

 

「人は歩くとき大抵は無意識に足を動かす。お主のズレが軽く済んでいるのはその無意識のおかげだろうな」

「無意識か。確かに、そうなのかもしれないな」


 意識を集中して手の指を一本一本動かしていくと、どこか感覚のズレが起こる。イシュランディルの言葉通りらしい。


「今のお主は魂と体が溶け合った状態だ。そこまではいいな?」

「ああ」

「問題はここからだ。今のお主は人でもあり犬でもある曖昧な状態だ。それ故に意志次第でどちらへも傾いてしまうだろう。大猿グラ・セッロとの戦いでお主の四肢が獣に変異したようにな。あの時のお主はまだ人であったが、獣の足を必要としたためにあのような姿に成ったのだ」

「今の私は、人なのか?」


 話を聞く限り、それはまっとうな生き物とは思えない。化物と言ってもいいだろう。


「人だ。犬の魂よりも人としての記憶と経験がお主を人として形作っている。その根源にあるのは恐らく妹なのだろうな。お主の人生は妹を中心に回っているのだろう?」

「そうだな。私の人生の中心はセリンだ。それは間違いない」

「ならばそれを忘れるな。そうすればお主は人でいられる」


 ニトローナが誇らしげに笑う。


「それなら大丈夫だ。私があれほど大切な妹を忘れることはない」

「まあ、少し病的すぎる気もするが、お主なら問題なさそうだ。だが油断はするな。変異が過ぎれば人に戻れなくなるかもしれぬ」

「犬に変異できても人には戻れない、ということか?」

「お主は人だが、根幹には犬の魂がある。儂もお主のような者は初見故に、これから先どうなるのか判断はできぬ」

「そう、か。わかった。犬の四肢でセリンには会えないからな。変異は避けるようにしよう」


 イシュランディルはその答えに満足したのか、大きく頷く。


「お主の魂が融解したのは空気中を漂う濃い魔力が原因だ。そして大森林から東に魔力が薄い場所はない。プルトンを送り届け、王国に帰還するまで気を抜くのではないぞ」

「ああ、わかった。……しかし濃い魔力が原因、か」

「どうかしたのか?」

「いや、どこかで聞いたような話があった気がしただけだ」


 ニトローナの脳裏にかすかによぎった感覚は、果実水を飲むと流されるように消えていった。


「二人には話したほうがいいのか?」


 旅の仲間であるラギスとプルトン。手足が変異するような仲間に対して二人が今後も対応を変えないのか、ニトローナは不安に感じていた。

 化け物と言われるのは覚悟できるが、旅から排除されるのは避けたい。旅の完遂こそが第二王子グラウバーの要請なのだ。


「時が来れば儂から話そう。お主は自分のことに気を配っておけばいい」

「これは、私だけにしか起こらないのか? このまま旅を続けて、プルトンはいいとしても、ラギスに何か影響は?」

「濃すぎる魔力による影響は、本来なら長期間その地域にいなければ問題はない。それこそ年単位にな。ラギスはお主と違い普通の人間だ。旅の間は問題無いだろう」

「……わかった。じゃあそろそろ休ませてもらう。さすがに疲れた」

「明日もしっかり休むといい。明後日には出発だ」

「了解した、賢者殿」

「茶化すでない、小娘が」


 憮然とした表情のイシュランディルを残し、ニトローナは部屋を出た。






 ニトローナは巨木内の廊下を歩く。

 天井には光を放つ花がぶら下げられ、夜の巨木内を明るく照らしてた。この巨木に暮らすものはほとんどいないらしく、夜になれば緑の部族の誰ともすれ違うことはない。

 割り当てられた部屋の扉を開けると、中は暗くなっており、三つの寝息が耳に届いた。窓辺に一つの影が丸くなっている。これはセルロゥ。そして二つある寝台の片方には小さな膨らみが二つ。プルトンとラギスだ。

 恐らくラギスがプルトンを連れ込んだのだろう。ラギスは説教しているとき僅かに涙を浮かべていた。あの時ラギスは、怒りと同時に大切な者を失いかけた恐怖を感じていたのだろう。そんなことが起こった日に一人で眠るのは寂しかったのかもしれない。


 ニトローナは足音を忍ばせて部屋に入る。一つしかない窓は閉じられ、外からは微かな虫の音が聞こえる。

 寝台にゆっくりと腰を下ろし、闇の中で両手を見つめた。そして大猿との戦いを思い返す。

 あの時感じていた四肢を覆う熱と過去の記憶。イシュランディルには心配なさそうに答えたが、あれには虚勢も含まれていた。

 

 なぜならセリンに対する深い愛情は、過去の喪失があるからだとニトローナは考えている。

 過去に失った経験があるからこそ、今を大切にする。それは後悔から始まった愛情だ。

 セリンへの愛情は過去の喪失に端を発している。ならばセリンを思えば思うほど過去に強い繋がりができてしまい、いずれ獣へと変化してしまう原因となるかもしれない。

 ニトローナは自分の未来に微かな不安を抱いていた。


「どうかしたの?」


 闇の中からの囁き声。


「いや、なんでもない。起こしてしまったか?」

「んー、大丈夫。なんとなく起きただけ」


 声の主は寝ていたラギスのものだ。彼女は傍らで眠るプルトンを起こさないようにゆっくりと上体を起こしてニトローナへと顔を向けた。


「何か悩んでるの?」

「……少しな」

「そう……話せないようなことなら聞かない。でも抱え過ぎないようにね」

「ああ」


 ニトローナの答えにラギスは僅かに首を傾けた。闇の中では動きは見えても表情の判別ができない。だが彼女は納得の行かない顔をしているのだろうと、ニトローナは考える。

 これ以上追求されても困るので、さっさと身体を休めようと寝台へ寝転がろうとしたところで、ラギスがおかしな事を口走った。


「一緒に寝る?」

「なんだって?」


 ラギスとプルトンの寝台は大きく、女性にしては体格のいいニトローナでも入る余裕はある。しかし何故そんなことを言うのかニトローナにはわからない。


「何をどうして、そんな提案が出てくるんだ?」

「んー、悩んでるのに一人で眠るとウジウジ考えちゃうでしょ? だったら誰かの横で眠るほうがずっといいよ。寂しくないからね」


 何とも答えに困る言葉であったが、誰かと一緒に寝れば多少は気分が晴れるだろう。妹と眠ったことのあるニトローナはそのことを経験で知っていた。

 かと言って家族ではない他人の寝台にはいるのはどこか気が引けた。その空気を感じ取ったのは、ラギスは手招きする。


「いいから、ほら早く。お姉さんの言うこと聞きなさい」


 なかなか小さなお姉さんだ、という言葉は飲み込んでニトローナはラギスの寝台へと移動した。


 壁側にはプルトン。真ん中にラギス。ニトローナは通路側で横になる。

 獣の皮で出来た毛布は暖かく香草の匂いがする。張り詰めていた気が少し緩んだ。


「んー、こうやって真ん中で寝るといい気分ね」

「そうか? 寝返りが打てなさそうだが」

「そういうのはいいの。気分よ気分。なんか包まれてるって感じがするの。……それにしてもやっぱり大きいわね。くっ、妬ましい」


 闇の中で、顔を横に向けてニトローナの胸を見つめるラギスの眼はどこか怪しい光がある。


「いや、べつにこれはーー」


 ラギスの眼の光が剣呑なものに変わる。ニトローナは慌てて言葉を止めた。


「……なんでもない」

「よろしい」


 胸の話題は振られても口答えしてはならない。ニトローナはそう悟る。

 

 耳に届くのは自分以外の呼吸音。それがどこか居心地よく、口を滑らかにした。


「今日は済まなかった」

「ん? ああ、わかってくれたならいいの」

「自分ならどうだろうかと考えてみて、よくわかった。置いて行かれるのは苦しいな」

「そ。苦しいよ。あと寂しい。私はお前たちにとってなんなんだーって気分になる。私が寝ていたのも悪いけど、さすがに怒るよ」

「そうだな。もう置いていくことはしないと誓う」

「うん、よろしい。ちゃんとわかってくれてお姉さんは嬉しいよ」

「いや、どちらかと言うと姉は私のようなーー」

「今どこ見ていった? ん?」






 その夜はただの無駄話が楽しく感じられ、ニトローナは自身の抱える問題を忘れてゆっくりと眠りにつくことが出来た。

説明会でした。

次でようやく旅が勧められます。

あと、ひとつ前の話しについて思うところがあったので、大幅削除しつつ今回の話に統合しようかと考えています。

 詳しくは後日の活動報告にて。


 ではこれからもよろしくお願いします。

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