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3.妹

 ヨーゼフ・ヴィルブランド伯爵。

 王国南東部に位置する領地の領主である。ヴィルブランド伯爵一家は、現在父と娘二人の三人家族だ。父ヨーゼフの日常は領都トルエンで領政を行いつつ、領地南部から北上してくるオーク軍に対し伯領軍を向かわせて対処することだった。


 長女ニトローナの日常は伯領軍の中で常備軍の者達と訓練に励みつつ、オーク軍が進行してくると聞けば伯領軍指揮官ガサラムと共に南部の領境で豚を焼くことだ。

 そして二女セリンはと言えば――



 ヴィルブランド伯爵領領都トルエン。伯爵領南部が魔族領と接しているだけあって、領都は分厚い壁に囲まれた城塞都市となっている。他の貴族領と王都に繋がる北西街道からは商人達が食料や武具を運び入れ、そしてトルエン北部の村落から採れる上質な林檎や、その加工品である林檎酒や蜂蜜漬けなどを荷馬車に詰め込み、北西街道から王都方面へ去っていく。



 仄かな甘味と林檎の風味が感じられる林檎酒と多量の蜂蜜に漬け込んだ林檎は、王都やその周辺の貴族領では王に好まれる高級品として知られている。少し質を落とした加工品も平民階級に流れているため、ヴィルブランド伯爵領の貴重な収入源となっている。



 そんなヴィルブランド伯爵領領都トルエン内部の北寄りに、伯爵邸は建てられている。小さな外壁に囲まれた伯爵邸の裏庭で、一人の少女がため息を吐いた。

 ヴィルブランド伯爵の二女、セリン・ヴィルブランド。姉のニトロ―ナより四つ下の十三歳であり、赤い長髪が目を引く美しい少女。青い瞳に僅かに高い鼻、柔らかそうな唇に日焼けを知らない純白の肌。どこに出しても恥かしくない貴族令嬢だった。



 彼女は裏庭に置かれた椅子に腰を下ろし、机に置かれているティーカップを手に取る。ヴィルブランド伯爵領産のアップルティーが仄かな香りを漂わせ、落ち着かない気分を沈めてくれる。アップルティーを一口飲めば体の内側がじんわりと温まり、不安を薄めてくれる気がした。



 セリンが不安を抱いている原因は長女ニトローナであった。

 何せ貴族の令嬢らしいお淑やかな雰囲気を持つセリンと違い、ニトローナは女傑と呼ぶに相応しいほど思い切りがよく、なかなかに勇ましい。おまけに凛々しい顔つきをしているものだから、男装をすればそこらの貴族家嫡男よりも女性をひきつけるだろうとセリンは思っていた。



 そんなニトロ―ナが伯爵領防衛の為に南部へ向かって十日が経過した。ニトローナは今までオーク軍との戦いに何度も参戦しており、いつもなら五日程度で帰ってきているはずだった。

 あの勇ましい姉のことである。戦いに夢中になって大きな怪我をおったのではないか。まさか伯領軍が敗北してしまったのではないか。



 姉に対する不安がセリンの脳裏を何度もよぎる。

 そんな不安が溢れそうになる焦燥を感じたセリンは、二つのことで心を落ち着けることにした。

 一つは慣れ親しんだ伯爵領産のアップルティーを飲むこと。

 そしてもう一つは――


「おいで、セルロゥ」


 ウォン。という低い鳴き声が庭に響く。

 セリンの呼びかけに応える狼と見紛うばかりの大型犬だ。セルロゥは寝転んでいた庭の芝生から起き上がり、セリンへと駆ける。椅子に座るセリンの太腿へ顔を乗せ、鼻をピスピスと鳴らす。撫でろという合図だ。


「よしよし」


 笑みを浮かべたセリンはセルロゥの頭に手を載せて優しく動かす。

 気分が落ち着いてきたセリンは椅子の背に体重を預けて力を抜いた。ざわついていた心が落ち着きを取り戻し、穏やかさを取り戻す。


 空を見上げれば太陽が色を変え始めていた。後一時間程度で黄昏時となりそうだ。

 そんな空を見上げたセリンは、今日も姉は帰ってこないのだろうかと考えてしまう。何度目かわからないため息を吐きそうになった。

 しかし自分の太腿に頭を載せていたセルロゥが動いたことでため息は止まる。


「セルロゥ?」


 セリンが愛犬に視線を向けると、セルロゥは裏庭から伯爵邸の表に繋がる通用口に顔を向けていた。普段は侍女や庭師が使う扉であり、誰か来たのだろうか? という疑問を抱いて扉に視線を集中する。直後、通用口は壊れないのが不思議なほどの勢いで蹴り開けられた。



 そこから現れたのは赤い髪を後ろで一つにまとめた女性。

 胸に合わせて曲線を描く胸甲に実用性と華美を両立した脚甲。敵の攻撃を受け流したのか歪な形に歪んだ篭手と僅かに装飾された剣が腰に吊るされている。

 女性が纏うそれらは所々血痕や土で汚れ、戦場帰りということが一目で分かった。


「セリン!」


 自身を呼ぶ女性の慣れ親しんだ声に、セリンは思わず椅子から立ち上がる。


「姉さま!」


 豪快に扉を蹴り開けたのはセリンの姉、ニトロ―ナであった。

 疲労の濃い顔で近づいてくる姉に応えるようにセリンも歩みを進める。

 妹を抱きしめるために腕を広げた姉に応えるように、セリンも両腕を広げる。

 感動の再開――の直前、後数歩の距離といったところでセリンが立ち止まる。セリンは眉間に大きなシワを作った。

 近寄る姉に対して妹は遠ざかるように後ずさる。


「姉さま」

「何だ?」


 妹の声にニトローナが立ち止まると、セリンは一定の距離をおいて鼻を摘んだ。


「いつから体を清めてないのですか?」


 要はちょっと臭ったのだ。

 令嬢らしく身だしなみに気を使っているセリンの肌は穢れを知らぬように綺麗だ。対してニトローナの顔は土に汚れて貴族令嬢とは思えないほどだ。髪も手入れされていないのか、ひと目で分かるほど艶がない。顔が整った女山賊と言われても違和感がない。

 数日は濡れた布で体を拭いていないのだろうと予想できる汚れだ。

 セリンの問いかけにニトロ―ナは一瞬体を硬直させる。そして貴族令嬢らしい上品な笑みを浮かべた直後、獣の如き早さで距離を詰め、驚愕と恐怖に染まったセリンを抱擁した。


「セリン! 会いたかった!」

「ぎゃあああ! 姉さま離れて汗臭いです! あと鉄ーーていうか血生臭い!」

「セリンは今日もいい匂いだな。ミルクの香りがする!」

「乳臭いってことぉ!? 私はもうすぐレディなんだからね! そんな匂いしないもん!」



 妹が好きすぎて仕方がないニトローナ・ヴィルブランド。

 姉が好きだが、予想外の事態だと口調が崩れるセリン・ヴィルブランド。

 そんな二人の絡みを見つめる愛犬セルロゥ。

 それが伯爵邸の日常だった。

三話分を一話にまとめた方がいい流れになりそうだと思う今日此の頃。

これからもよろしくお願いします。



16/10/30改稿

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