26.ザスカラ
プルトンという名の少年は自分の境遇をそれなりに受け入れている。
物心ついた頃にはイシュランディルという老人とラギスという女性に育てられていて、生みの親の顔は憶えていない。何処にいるのか、生きているのかもわからない。かといってそれが不幸だと思ったことはなかった。
食事はしっかりと用意されて空腹で苦しんだことはなく、病気に罹れば薬を与えられて看病された。それだけで恵まれていると理解するには十分だ。
肥沃な大地をもつ王国では食料生産量が飛び抜けており、餓死者を出すということはほぼ無い。不作の年になろうと備蓄食料で乗り切ることが出来るほどの蓄えがあるのだ。
だからこそ、都市から離れた辺鄙な農村だろうと子供が飢えることは滅多に無い。
しかし薬は違う。
薬剤に対する知識のある者が調合する薬は高価であり、一部の富裕層しか手に入れることは出来ない。
そんな高級品を与えられていたプルトンは、さらに教育まで施された。それは農業や商売に関わることだけではなく、魔術から貴族に関わるものまで多岐にわたっていた。
その中でも魔術はみっちり教えられた。理由はプルトンの声に魔が宿るせいだ。
人が集まる市場で転んだプルトンは痛みに声を上げたことがある。その直後には周囲にいる人々が頭を抑え、苦しそうに表情を歪めていたのだ。子供や老人などは気絶するほどだった。傍にいたイシュランディルに連れられて事なきを得たが、プルトンは自分の声がもたらした結果に恐怖する。
たった一言で人々は苦痛に顔を歪め、倒れ伏す。
自分が物語に出てくる化物のように思えて仕方なかった。それからプルトンは他人を避けるようになる。ふとしたことで声を出してしまい、またあのような結果になってしまうのではないか、次は人を殺してしまうのではないかと怯えていたのだ。
何より、あの場にいたのが魔術でプルトンの声を防げるイシュランディルではなくラギスであったなら、姉のように思っている彼女を苦しめてしまう。それがとても怖かった。
プルトンは、自分が貴族の血縁なのかもしれないと考え始めていた。言葉を口にするだけで周囲を苦しめるなら捨ててしまえばいい。しかし食事も薬も与えられ、その上教育まで施されるとなれば金をかけて育てるだけの理由があるのだ。いずれ普通に言葉を喋れるように訓練を施され、人と会話ができるようになった時には貴族の家に引き取られるのだと思っていた。
そして十歳を超えた頃に転機は訪れる。
プルトンはイシュランディルに連れられて王国の城を訪れ、第二王子に面会したのだ。そこで告げられたのは自分の未来の話であった。
プルトンは魔族の国の王子となる資格を有しており、魔族の王となるために育てられていた。貴族どころの話ではない。
自分の語られる未来に驚き、戦慄し、恐怖した。
しかしそれでもプルトンは受け入れる。一人では生きられない自分には、選択肢などないのだと悟っていたのだ。
幸いだったのは、イシュランディルの教育が人の常識に偏ったものではなかったことだろう。
王国の人間の大半は、魔族といえば人に牙を剥く化け物のたぐいだと信じている。実際に二つの貴族領が魔族と戦っていたのだから、それが常識となるのは当然だ。
しかしイシュランディルはそのような常識は一切教えず、人を襲うのが魔獣であり魔族は別物であると教育していた。勿論、他言厳禁と言い含めて。まあ、喋ることを禁じられたプルトンにとってそれは難しくない言いつけだった。
そんなイシュランディルの教育のおかげで、プルトンは自分が化け物の巣に放り込まれるのではないことを知り、多少の安心感を得られた。
そしてプルトンは、魔族が意思疎通できる他の種族なのだという認識で旅立つことになる。
旅の途中で、雰囲気も目つきもおっかないニトローナとどこか犬に思えないセルロゥ、姉のように慕うラギスが加わり、大森林の中で緑の猟犬に襲われ、大猿に被食者として恐怖を刻みつけられ、緑の部族と出会った。
プルトンにとって魔族とは話の中でしか出てこない言葉であり、自分の目で見たことがない存在だった。
子どもとは想像力がたくましいものだ。魔族と魔獣は違うと知っているプルトンでも、頭のなかで想像を膨らませており、人の言葉を話す異貌の存在と出会うのだと予想していた。
ところが緑の部族の部族長補佐であるセロ・グロワス・フルオールはどこか奇妙でありながら、とても神秘的な存在だった。髪も肌も眼も人とは違う容貌だが、それは化け物ではなく、一種の芸術作品のようでもあった。
セロに案内された緑の里、その中心にそびえ立つ巨木の内部の部屋で、プルトンは一人だった。イシュランディルは緑の部族長と話してくるらしく、部屋を出て行った。
プルトンは寝台に寝転がって疲労が溜まった体を休めていたが、意識が冴えていて眠ることが出来なかった。目を瞑れば緑の部族が脳裏にチラつき、緑の里の全景が再生される。
プルトンの頭のなかにあるのは好奇心だった。
彼らのことが知りたい。どういう生活をしているのか? 何を食べているのか? 肌は硬いのか? 髪のような枝はどう生えているのか? 疑問が次々と浮かんでくる。
それは子供らしい好奇心であり、だからこそ止められないものだった。
そんなプルトンの耳に小さな音が届く。
上体を起こして部屋を見回すと、窓の向こうにいる誰かが窓を叩いているのだとわかった。
プルトンはその誰かの姿を目に収めると、わずかに興奮した様子で窓に駆け寄り、窓を開ける。
「よう、ちょっと話さねぇ?」
そこにいたのは緑の部族の少年。旅の一行が里を訪れた時、好奇心に突き動かされた様子でニトローナに話しかけた少年だった。
緑の部族の少年は名をザスカラというらしい。
ザスカラは窓枠にもたれかかって無邪気な笑顔で名前を訊いてきた。自身の名を口にしたいプルトンだったが、首を横に振るしかない。出会って間もないザスカラを昏倒させるわけにはいかなかった。
「なんだ? お前口がきけないのか?」
プルトンは否定を込めて首を横に振り、自身の口を指差してもう一度首を振った。幸いにもザスカラはそれだけで理解できたらしく、納得したような顔で頷いた。
「ああ、そういえばお前王子なんだってな。もしかして魔力がすげえから喋れないのか?」
プルトンは頷く。
「今の王様は言葉だけで魔獣をぶっ飛ばしたことあるらしいから、お前もそうなるかもな」
口を開いて何かを吐き出すような動きをするザスカラは、ニシシと笑う。つられてプルトンも笑顔を浮かべた。
「しっかしそれだと何も聞けねーな。いろいろ聞きたかったんだけどなぁ。ん? だったら俺が質問するから首の動きだけでも答えてくんね? 礼に美味いモン食わせるからさ」
それぐらいだったらいい、という意味を込めて頷くと、ザスカラは窓枠から離れた。
「じゃ、あっちに行こうぜ。大人に邪魔されたくねえし、美味いモンは森の中にあるんだ」
そう言って指差す先は森の中。それは流石にまずいと思ったプルトンだが、脳裏を満たした好奇心がザスカラに首を振って拒絶することをやめてしまう。
ここはイシュランディルの教育でも、言葉でしか知らない殆ど未知の場所だ。
生息する生物や植物。里を構える魔族。今まで頭で思い描くことしかできなかった存在が、目の前にいる。
知りたいという好奇心が、プルトンの自制を容易くすり抜けた瞬間だった。




