25.融解の始まり
緑の部族の長。
彼の下半身は木の根のようにいくつにも別れて床に突き刺さっており、残った上半身がかろうじて人の形を保っているような様子だ。皮膚はセロと違って完全に樹皮と同質になっており、遠目に見れば完全に木としか判別できない。
長は微笑みを浮かべ、間延びしたような声を発する。
「何日、ぶりかのう、イシュランディル、よ」
「何日ではなく何年であろう」
イシュランディルは長に近づくと、懐かしむように目を細めた。彼は長へ近づき、恐らく肩であろう場所にあった枝を優しく叩いた。
ニトローナはそんな光景を見つつ、長だけではなくセロにも視線を向けて見比べる。セロの見た目が植物の要素が混ざった魔族なら、長はその逆。魔族の要素が混ざった植物といった容貌だ。
一体何故これほどの差異があるのか?
ニトローナは緑の里を見てきた光景を思い返し、老いだろうと予想する。里で見た緑の部族の住人達は多少の違いはあれど、ほとんどセロと同じく硬質さを感じさせる茶色い肌に頭部に生えそろう髪の如き枝葉、宝石めいた琥珀色の瞳を持っていた。そして年老いた者はいないと記憶している。
しかし長の下半身はどう理解すればいいのかわからない。
明らかに二本の足以上の数に枝分かれし、床に突き刺さっている。いや、よくよく目を凝らしてみると突き刺さっているだけではない。床と長の下半身は癒着していた。
それはまるで、ニトローナが足を踏み入れたこの巨木と長が同化しているようにも感じられた。
「おぉぉ、その、娘っ子、か」
長の言葉にニトローナはハッとする。考えすぎていた。意識の混乱を振り払い、長へと視線を向ける。
魔族とはいえ相手は一部族の長。何より補給を頼む相手だ。過去に習った貴族用の挨拶でもしようかと考えたニトローナだが、相手は魔族。人間と同じように礼儀を受け取ってくれるが不明だ。
これは様子を見るしかないと、長の出方を待っていると、長は好々爺然とした笑顔を浮かべた。笑うと植物のような皮膚が軋みをあげるので少し不気味だ。
「こっちさ、こい、こい」
そして五本に別れた枝のような手で手招きする。
礼儀は必要ないのだろうかとイシュランデルへ視線を送ると、虹賢者は頷いた。ニトローナは少しの不安を抱えながら長へ近づき、三歩ほど離れた位置で立ち止まる。
さて、ここからどうすればいいのか。そんな疑問が浮かんだニトローナへ、長が声を向けてくる。
「そこでは、届かんよ、こっちさ、こい」
届かんとは何だ?
そんな疑問はとりあえず置いといて、ニトローナは長へと更に近づく。長の手の届くほどに距離を詰めると、長は「ふむ、ふむ」と頷いてくとまたもや好々爺然とした笑顔を浮かべた。軋みを上げる皮膚の音を間近で聞くと、不気味というよりも顔が割れないか心配になった。
「綺麗な、髪だのう。黄昏の如き、鮮烈なる紅」
長はニトローナの頭に手を置く。長の手はやはり木の皮膚のような硬質さがある。しかし暖かかった。
「そして、荒々しき、忠誠」
頭に置かれた手が優しく動き、ニトローナの頭を撫でる。
「うむ、うむ。少々、偏っているが、よい色だ」
長の言葉の意味はニトローナに理解できないものだった。だが、自分の中にある何かを見られていることは理解できた。
しかし頭の手を振り払おうとは思わない。長の手からは暖かな慈愛しか感じられなかった。
とはいえ一七という年齢で頭を撫でられるのはどこか気恥ずかしいものだ。
「もういいだろうか?」
「む? おお、よいぞ、よいぞ。いいものを、見せてもらった」
長の手が頭を離れると、ニトローナは一歩引いて樹木のような老人の顔に視線を向ける。
「それで、私を呼んだ理由はこれだけか?」
「うむ」
一瞬の間。
ニトローナは、頭を撫でるだけの用事で呼びだされたのか? といった視線をイシュランディルへ向ける。お伽話に記されるほど偉大な虹賢者は目を逸らした。
ならば仕方なく、この老人ボケてないか? という視線をセロに向けるとこれまた目を逸らされた。
何とも微妙な空気が漂う中、よくわからない感情を吐き出すようにニトローナはため息を吐いた。
「とりあえず、用事がすんだなら休ませてもらう」
ニトローナは踵を返す。イシュランディルとセロの視線を背中で感じつつ歩みを進めると、背後から長の声が向けられた。
「懐かしき、気配がしたんでの。思わず、見てみたくなった」
ニトローナは思わず足を止め、振り返る。しかし長の口はまるで木のごとく固く閉じられ、言葉の続きが出てくることはなかった。
長との面会を終え、ニトローナは巨木の中を歩く。
緑の部族の長。彼との会話はよくわからないまま終わった。正確にはニトローナが終わらせたのだが、あの場をを辞したことには訳があった。
何かがおかしい。旅の疲れのせいか、自分の体にどこか違和感がある。ニトローナはそう感じ、自分の体を見下ろすが、これといって変わったことはない。気付かないうちに怪我をしていたということでもない。だが違和感は確実に存在する。そしてどこか懐かしくもあった。
違和感と懐古が同時に存在するという奇妙な感覚が、ニトローナの意識を僅かに混乱させた。
どこかがズレている。ニトローナは自分の状態をそう判断した。
こんな状態では今後の旅に支障が出るかもしれない。だからさっさと部屋に戻り、ラギスのように毛布に包まれて休むべきだと考えたのだ。
部屋に戻ると、寝台の一つには相変わらず可愛らしい寝息をたてているラギスがいる。部屋の隅では四肢を曲げて楽な姿勢を取っているセルロゥが欠伸でニトローナを迎えた。どうやらセルロゥも眠っていたらしい。
ニトローナは空いている寝台に腰掛け、肩を解すように腕を大きく回す。溜まった疲労を吐き出すように息を吐いて寝台に身を倒した。
久しぶりの寝台に暖かな毛布のおかげか、意識はすぐさま眠りに飲まれていった。
声が聞こえる。
その声は名前だった。
たった一言だ。
「プルトン」
そう聞こえた。
だが名前を知っていてもその声に聞き覚えがない。声の高さからして少年といったほうがいいだろう。
そしてその声には反響するような響きと、空間を震わせるような振動が伴っていた。
しかし体には何も感じない。意識だけに響くような声だ。
それはまるで、空気を震わせて周囲へ広がっていく音に、何か別のものが混ざっているように感じた。
その何かには憶えがある。外的なものではなく、内的なもの。
魔力。
魔術を使う際に用いるエネルギーが、声に乗って意識に響いたのだ。
「っ!」
意識が覚醒した。
ニトローナは寝ていた上体を起こし、周囲を見回す。窓からは日が差し込んでおり、眠りに落ちてからほとんど時間が経っていないらしい。隣からはラギスの寝息が聞こえてくる。部屋の隅にいたセルロゥは窓へと顔を向けていた。
頭を振って眠気を飛ばすニトローナ。
眠っていた意識に届いた魔力の波。あれは一体何だったのか。
ニトローナには理解できない現象だった。しかし何か事態が変化したことは理解できる。
立てかけていた剣を手に取り、部屋の入口へ足を進める。扉に手をかけて寝ているラギスのことが頭をよぎったが、言葉で理解を求めるには難しいと考え、そのまま扉を開ける。
足元にはセルロゥがついてきた。どうやら何かを感じ取ったらしい。
ニトローナはセルロゥを伴い隣の部屋の扉を叩く。
「イシュランディル、いるか?」
返事はない。そして人の動く気配も。寝ているのだろうかと思いながら扉を開けると、部屋の中にイシュランディルはいなかった。
そしてプルトンも。
イシュランディルは部族の長と会っていて部屋にいないことは理解できる。しかしプルトンが部屋を抜けだすとは考えられない。
魔獣からの逃走の際、プルトンが自分の能力で状況を打開しようとするだけの意志を持っていることはわかっている。だが、初めて訪れる緑の里を一人で探検するほどの度胸を持つとは思えない。
ヴィルブランド領での初対面の時にあれほど怯えていたプルトンが、一人で出歩くとは考えられなかった。
「どこにいった?」
ニトローナの疑問が口から漏れると、小さな風が赤い髪を揺らす。部屋の窓が僅かに開いていた。早足で窓へ近づいて開け放つ。見えるのは緑に覆われた森の景色と、視界に端に映る里の家々だけ。プルトンの姿はどこにもなかった。
「ウォン」
小さな吠え声に視線を下に向けると、見上げてくるセルロゥと小さな足跡が視界に入った。その足跡は寝台近くの床から壁際へ、そして壁際から窓へと続いている。窓枠には小さな土汚れが残っていた
「まさか……」
プルトンは窓から外へ出たのだ。それも自分の意思で。
ニトローナの迷いは一瞬。部屋の窓枠を乗り越え、セルロゥを伴って外へと降り立つ。
里を見下ろすような巨木の回りに緑の部族の者はいないのか、静かだった。
ニトローナは周囲へと顔を巡らし、鼻をひくつかせてある一点で止める。その先は方角的に緑の里の東であり、木々が生える森の中だった。
「あっちか」
そして、ニトローナはセルロゥを伴って走りだした。
彼女は気づかなかった。
何故プルトンの居場所がわかったのか。
何を理由にして疑いもなく走りだしたのか。
彼女は気づいていない。
自身の身に起こった変化を。




