22.森に住まう者達
奇襲で始まった逃亡劇は数時間が経過していた。
森の中を駆ける一行。
一行を追い続ける緑の魔獣たち。
お互いに休息といえるほどの休みを取らずに動き続け、森の中を走り続けている。
その中で最も疲労が重いのはニトローナであった。背にプルトンを背負いながらの逃走は体力を消費が大きい。額には玉のような汗が浮かび、乱れた呼吸は熱を持つ。気を抜けば崩れ落ちそうな膝を叱咤するように草を踏みつけ、前へ進む。
「右から来るぞ!」
背後のイシュランディルからの警告。
先頭のラギス。中央のニトローナとセルロゥ。殿のイシュランディル。それぞれに魔獣が襲い掛かってくる。
ラギスは跳びかかってきた魔獣の間合いを外すように左へ動く。そして間合いを外された魔獣が再度着地する直前に間合いを詰め、短剣で喉を掻き切った。魔獣の首筋から緑色の血が溢れる。地に落ちた魔獣は勢いのまま転がり、血を撒き散らしながら命を終えた。
イシュランディルの足元を食いちぎろうとする魔獣。虹賢者は短剣を魔獣の脳天めがけて振り下ろすが、誘うように距離を取る緑の獣。イシュランディルは一連の動きの意図を察知、自身の背後へ向けて緑の光が宿らせた短剣を半円を描くように振り上げる。そこには背後から跳びかかってきていた魔獣の姿があった。尋常ではない切れ味を間合いの外へ放つ短剣は奇襲してきた魔獣を縦に両断、そして勢いを殺さずに残りの半円を満たすように振り下ろされる短剣。囮となっていた魔獣も全身を立てに割られ、緑色の血液と臓物を地面にぶちまけた。
二頭の魔獣が前後に連なるように疾走し、プルトンを背負うニトローナへと襲いかかる。セルロゥはその二頭を迎え撃つように壁となる。自分たちと同じ体躯を持つセルロゥに襲いかかる前衛の魔獣。背後に控えるもう一匹は仲間とセルロゥを跳び越えてニトローナへと牙を向いた。
セルロゥは自身を噛み千切ろうとする魔獣の牙を体勢を低くして回避し、隙を見せた喉元へ噛みつく。咬筋を最大限に発揮して魔獣の首に牙を突き立て、左右へ振り回す。それだけで牙で出来た傷は大きく広がり、大量の血液が漏れだす。セルロゥに左右に振られる勢いのまま投げ捨てられた魔獣は断末魔の叫びを上げて地を転がり、二度と起き上がることはなかった。
ニトローナは自分へ跳びかかってくる魔獣を横目に右手に魔力を通す。右手は燃え上がるように熱を持ち、魔獣を迎え撃つ。
自身の肉を喰らおうとする緑の魔獣に、プルトンは恐怖を表すように震えた。そんなプルトンを庇うように、ニトローナは体を右へねじりつつ一歩左へ動く。眼前に口を開いた四足の魔獣が写った。無防備となった首がよく見える。前世で犬だったニトローナにはその隙がよく理解できた。犬は口を大きく開けば上顎が邪魔をして縦に大きな死角が出来る。そして死角を狙うように放たれた魔力を込められた右手は、魔獣には避けられない。手のひらを上に向け魔獣の首を掴んだニトローナの右手から魔力が開放され、強大な爆圧が発生する。魔獣の皮と肉、骨と脳の全てが爆音と爆圧で千々に砕かれ、まるで噴水のように周囲へ撒き散らされた。爆発の余波で吹き飛ばされた魔獣の胴体は大量の血液を吹き出しながら、断末魔の痙攣を見せる。
それぞれがそれぞれの方法で魔獣を撃退した一行は、再び足を動かし逃走へ移る。
これで何度目の襲撃だったか。両手の指では足りないのは確かであった。返り討ちにした緑の魔獣の数などその倍以上もある。追跡してくる魔獣の群れは予想以上に巨大だった。
「いつまで、続くんだ」
ニトローナの呼吸は乱れ、言葉を話すことすら億劫を感じる程になっていた。先ほどの迎撃もできるだけ傷を負わない程度に最小限の動きで仕留めたが、魔術の使いすぎで手のひらに痛みが生じている。そう遠くない内に限界を迎えるのは確実だった。唯一の救いは隣で追走するセルロゥが援護してくれることだろう。
しかしニトローナの脳裏にごく僅かな疑問が生まれていた。セルロゥは何故これほどまでにこちらの意図を察して動いているのか? 逃亡という危機の中でその疑問は隅に追いやるべきものだったが、ニトローナの脳裏にこびり付くように離れなかった。
「シルフィドー、まだ縄張りぬけないの?」
「チチチッ」
先導役のラギスも疲労が溜まり始めていた。プルトンを背負ったニトローナが通りやすいルートを選び、邪魔になりそうな枝は切り払って進み、同時に待ち伏せの警戒も怠れない。肉体と精神の疲労が足を重くしていた。
そんな彼女の傍らで浮揚する緑蜂鳥のシルフィドは、そんなことは知らないとばかりに先を促すように前方へ長い嘴を向けた。
「まだまだ、かかりそうだのぉ」
イシュランディルも老体らしく疲労に負けて動きが鈍い。殿という位置上、敵に背中を追われる場所なので襲撃も激しく、走ると同様に戦闘での疲労に体が悲鳴をあげていた。
一行の体が悲鳴を上げながらも走り続ける中、ニトローナに背負われ続けていたプルトンが俯いていた顔を上げた。未だ恐怖に染まった表情で、背後のイシュランディルを振り返り、声を出さずに口だけ動かす。
それを読み取った虹賢者は首を横に振った。
「ならぬ。お主の声に引き寄せられる魔獣が、おらぬとも限らん。力の使い方を知らぬお主の声は、武器になると同時に、呼び声になる可能性もあるのだ」
その言葉でニトローナとラギスは、プルトンが何をしようとしていたか察した。
プルトンは自身の魔を宿す声をもって緑の魔獣を排除しようとしていたのだ。恐らくイシュランディルにはプルトンの声を防ぐ手段があるのだろうが、仮に緑の魔獣を排除できたとしてもその先のことを見据えて提案を却下していた。
「それはだめだよ、プルトン。守るのは、私達の仕事なんだから」
「そのとおりだ。私は別に構わないが、前後の二人は信頼しておけ。いいな?」
そんな言葉を向けられたプルトンの目から怯えが薄れる。代わりにあるのは覚悟を決めて信頼するような眼差しだった。プルトンは自分を運びながら守ってくれる女性に全てを預けるように抱きしめる。僅かな信頼を向けられた事を感じたニトローナは、微かに笑った。
「それでいい」
それから更に数十分後、緑の魔獣たちは追跡から待ち伏せに移行したようだった。
一行が進み続けた先に木が生えていない開けた場所があり、そこへたどり着いた直後に包囲されてしまった。
「これはちょっと、まずい?」
「逃げ道を塞がれたか」
ラギスは牽制するように周囲に視線を送り、プルトンを背から下ろしたニトローナは剣を抜いた。足元ではセルロゥが唸り声を上げ、威嚇している。
薄暗い森の中から日差しのもとに出て、魔獣の姿がよく見える。緑の魔獣たちは唸り声とともに涎を零して飢えた様子を見せ、獰猛な気配を漂わせている。
魔獣の数は三十を超え、一見すると包囲に穴はない。包囲を強行突破という手もあるが、物量差で押し負ける可能性がある。分の悪い賭けだった。
一歩間違えれば全滅しかねない状況。ラギスとニトローナは疲労した体で魔獣を全滅させる覚悟を固めつつあった。
その中で一人、イシュランディルだけは周囲を見渡しつつ、何かを探るように視線を走らせていた。
そして緑の魔獣たちがジリジリと間合いを詰め始めたときーー轟音の如き雄叫びが周囲に響き渡った。
「ゴアアアアアアァァァァァァァァァァ!」
低く、重い雄叫びはその場にいる者達全ての臓腑を貫き、本能的な危機感を揺さぶる。
この声の主は捕食者であると、生物の本能で理解させられるようだった。
そして連続する重低音。それは足音であり、捕食者の接近を示している。しかし、この場にいる者達の中でイシュランディルとセルロゥを除き、誰一人として動けなかった。捕食者の雄叫びがその身を麻痺させていたのだ。
イシュランディルは響く足音の方向へと体を動かし、ニトローナ達を庇うような位置に立つ。いつの間にか彼の肩に乗っていた緑蜂鳥は、イシュランディルになでられると姿を消した。その傍らではセルロゥが牙を剥いて森を睨みつけている。
そして捕食者が森の木々を押しのけるように枝をへし折りつつ、姿を表す。
捕食者は四メートルはあろう身の丈で前傾姿勢を取り、その場にいる者たちを睥睨した。
全身は緑の体毛で覆われ、手足は大木のように太く、両手足に五本の指が生えていた。顔の部分は無毛で赤い皮膚がむき出しになっており、充血したような赤眼や太い牙が覗いている。巨大な大猿であった。
怖気が走るような赤眼がギョロギョロと動き、獲物を選んでいるかのように動きまわる。圧倒的捕食者の視線はそれだけで被食者たちを震えさせた。その中でイシュランディルとセルロゥが睨み返すように目を細める。
「やはり生き残っておったか、グラ・セッロ」
そして選別が終わったのか、大猿は大木の如き右腕を動かす。唸りを上げるような速度で振るわれた豪腕は、緑の魔獣を掴み取った。骨がへし折られるような音と、魔獣の悲痛な叫びが響く。
大猿の口が開かれ、口元に運ばれた魔獣は顔から胴体の半分を食い千切られた。
断末魔の如き血しぶきが飛び散り、皮と骨と肉が咀嚼される音が響く。数回咀嚼が繰り返されると、残りの下半身が口へと放り込まれ咀嚼の後に嚥下される。
そうして大猿の食事が終わり、口元に付いた緑色の血液を舐めとるように舌を動かした。大猿の赤眼が再びギョロギョロと動き出し、次の犠牲が出るかと思われた直後ーー広場の外、森の中から大猿の足元に拳程の袋が投げ入れられた。
その場にいる者達にとって完全に認識の外からの投擲に、意識が森へと向けられ大猿への恐怖が解けかける。
そして一つの警告が発せられた。
「鼻と口を塞ぎなさい!」
言葉の直後、森の中から一本の矢が飛来する。矢の先端は赤く燃えており、大猿の足元ーー袋へ突き刺さった。袋はボフンという小さな音と共に黄色い粉を吹き出し、周囲へ撒き散らす。
その粉を最も多く吸い込んだのは足元で粉を撒き散らされた大猿であり、轟くような悲鳴を上げた。
「ギュォォォォォォ! ゴオォッギュイィィィ!」
両手で顔を抑え身悶えする大猿。それは捕食者による威圧が消え去ることを意味していた。
緑の魔獣たちの一部は粉を吸い込んだことにより悶え苦しんでいたが、一目散に逃走を始めた。
そしてニトローナ達一行は矢が飛んできた方向へ走りだす。イシュランディルが皆をせっつくように促したのだ。幸い誰も粉を吸い込んでおらず、すぐさま移動することが出来た。
「先ほどの声は味方だ、さっさと逃げるぞ」
そうして一行は森の中に消える。背後には悲鳴を上げる大猿だけが残された。
どれだけ走ったのか、背後から聞こえていた悲鳴は既に無く、追跡してくる魔獣の気配もない。
逃げ切った。
その事実が一行を緊張から開放し、それぞれが倒れこむように腰を下ろした。ニトローナは背負っていたプルトンを下ろし、水の入った革袋を取り出して喉の渇きを潤した。勢い良く飲み干すようにしても満足できない感覚に、ニトローナは自分がどれほど渇いていたのかと苦笑する。
残り少なくなっていた革袋をプルトンへ渡し、疲労に俯きそうな視線を上げる。ニトローナの視界には疲労の極地にある旅の一行が映る。
仰向けに倒れこむラギス。疲労はしつつも好転した状況に余裕を見せるイシュランディル。開いた口から舌を出し、呼吸の荒いセルロゥ。残り少ない水を必死に嚥下するプルトン。
そしてもう一人。疲労のあまり腰を下ろしている一行と違い、旅の一行を見守るように立つ者がいる。大猿に黄色い粉を吸わせてニトローナ達を救い出し、イシュランディルが味方だと告げた者。
感謝の言葉を述べるべきなのだろう。しかしニトローナの脳裏には困惑と警戒心が佇み、言葉を向けることに躊躇した。
ひとまず落ち着いたと判断したのか、旅の一行の救い主が言葉を発する。
「ご無事で何よりです、皆様」
成熟した女性らしい柔らかな声は聞く者に安心感を与える。しかしニトローナにとって彼女の姿は到底安心できるものではなかった。
「私は緑の部族の一人、そして部族長補佐のセロ・グロワス・フルオールと申します」
彼女の肌は木のように茶色く、どこか硬質な気配が漂っている。琥珀色の眼はどこか樹液を連想させ、宝石めいた質感であった。そして極めつけは頭部から生える極細の枝だ。セロ・グロワス・フルオールの頭部には幾本もの枝が生え、まるで髪のように後ろへ流している。髪を後ろへ撫で付けているといった様子だ。そして髪の如き枝には小さく細長い葉っぱが枝を覆うように付いている。
人にも通じる端正な顔立ちと相まって、奇妙な美しさを感じさせた。
緑の部族。まさにその緑という文字を表すような姿であり、人とは違う魔族の姿であった。
切れのいいところまで書いたのでちょっと長くなりました。
*緑蜂鳥が姿を消す描写が抜けていてので修正しました。




