19.暗闘
ちょっとグロ注意です。
ニトローナに殺人の経験というものは、豚鬼の殺害数に比べたら圧倒的に少ない。そして殺した相手も盗賊のみであった。
ヴィルブランド領は特産品である林檎で栄えた領地だが、豚鬼の襲撃という特殊性から兵士の保有数が他領に比べて多い。それ故に盗賊という犯罪者たちは兵士に殲滅されるリスクが高いヴィルブランド領には寄り付かない。しかし絶対というわけではないので、年に数回は被害が出る。ニトローナの殺人経験とは、そんな盗賊を相手にしたものだけだった。しかしそんなニトローナでも人を殺す者達の武器が剣だけではなく、場や空気、心理状態すら利用するのだと肌で理解している。
盗賊というのは数や勢いを武器としていた。故に相手の数が多く士気が高い場合は逃げの姿勢に入ることが多い。
暗殺者は標的の隙や油断を突くことが最大の武器だ。だが森の闇に潜む暗殺者は初手を失敗し、奇襲は不可能となっている。つまり最も確率の高い手段を失っていた。
しかし撤退する様子はない。標的のニトローナ達がプルトンという重荷を抱え、焚き火のそばを離れられないからだ。標的が不利な立場にあるなら殺せる。そう思われているのだ。
ニトローナは傍らのセルロゥを抑えるように背後に下がらせ、闇に目を凝らす。しかしどう足掻いても暗殺者を捉えられそうになかった。
かといって森のなかに入るのは悪手だ。焚き火の光から離れて数秒待てば目が慣れるだろうが、その間は暗殺者が絶対的に優位になる。
相手の位置が不明で探すことは出来ない。ならば相手に姿を晒してもらえばいい。
ニトローナは右腕の力を抜いて手に持った剣をだらりと下げる。そして左の掌を空へ向け、暗殺者を誘うように指を動かした。
手を使った挑発から数秒待つが反応はない。ニトローナは仕方ないといった様子で呆れたようにため息を漏らした。
その直後ーー黒塗りの投剣が喉に目掛けて飛来した。
「しっ!」
ニトローナは身体を左に傾けて投剣を回避しつつ回転。投剣は背後にあった焚き火に突き刺さり、ニトローナはそこへ手を伸ばす。焚き火で燃え盛る一本の枝を左手に取り、投剣が飛来してきた場所へ投擲した。火の付いた枝は明かりだ。その明かりは闇を払いながら飛び進み、人が隠れる程度の茂みの側で真横に弾かれた。弾いたのは勿論、暗殺者だ。
一瞬でしかなかったが、その姿はよく見えた。顔は黒い布を巻いて目元だけを晒し、首から下は体の線を強調するような服装。そして胸は女性らしい膨らみ。
「見つけたぞ」
ニトローナは地面を抉るような一歩目で森の闇へと身を浸す。そして草を踏みしめ小枝を折りながら突き進み、暗殺者が『いた』であろう茂みの前で剣を振り上げる。そこで右方から鼻を突くような刺激臭を感じた。
「そこかぁ!」
振り上げた剣が右へ払われた。金属が衝突して火花が散る。
猛進してきたニトローナを討つために右方へ移動して暗殺者は、黒塗りの短剣を大きく弾かれて体制を崩していた。
暗殺者の目は驚愕に見開かれている。
「なぜ居場所がわかったのか、理解できないか?」
ニトローナの問いかけに、暗殺者は後ろへ下がりながら短剣を逆手に構える。しかしそこから先は警戒するに留めた。ニトローナの言葉の通り、自身の場所が捉えられたのか理解できないのだろう。
「お前の武器は黒く染め上げるために特殊な薬品を使っているだろう? だから臭う」
暗殺者は自身の短剣へと一瞬視線を落とし、あり得ないというようにニトローナを睨みつける。
「常人にはほぼ知覚できないだろうが、私は人一倍鼻が利く。まあ、さすがに犬ほどではないがな。さて」
そこでニトローナは剣を構え、暗殺者と『初めて』目を合わせる。
「何故私がこんな話をしていると思う?」
その言葉に暗殺者の目は大きく見開かれる。
理解したのだろう。ニトローナがわざわざ敵の目前で言葉を放ったのは、目が闇になれるまでの時間稼ぎだったのだと。
暗殺者は短剣の刃先をニトローナへ向けて突進。
対するニトローナは剣を暗殺者へ向けて構え、口を開く。
「今だイシュランディル!」
その言葉を聞いた暗殺者は、驚愕するように焚き火のある野営地へ顔ごと視線を動かす。
しかしそこにいたのは、焚き火の傍らで警戒するようにこちらへ唸る犬のセルロゥであった。
「引っかかったか」
ニトローナの声に顔を戻そうとした暗殺者。しかしその顔は胴体から離れ、独楽のように回転しながら空中へと飛んでいた。
振り切られたニトローナの剣が、暗殺者の首を即座に断ち切っていたのだ。
「どうにか、なったか」
薄く安堵の息を吐く。
不利な状況で勝利を掴むために相手の思考を乱す戦術をとったが、成功するかは五分五分だった。暗殺という有利な状況から一転し、対峙する状況まで流れを変えられた暗殺者は見事に思考を乱し、子供が考えるような撹乱に引っかかった。
これが経験豊富な暗殺者なら成功率は更に下がるだろう。しかし暗殺者は初手が失敗したにも関わらずこの場での殺害に拘った。ニトローナはそこに勝機を見出したのだ。
技量はあっても経験は少ない。そう判断した。とはいえ、暗殺者との戦闘が未経験なニトローナにとって賭けの側面が強すぎる。二度とやりたくない戦いだった。
ニトローナはまだ温もりを持った血液を拭わず、周囲に視線を走らせる。
暗殺者がこれだけとは思えなかったからだ。確実を期するならば標的一行を超える人数で行うべきだ。しかし夜に染まった漆黒の森に、気配はない。
ここではないならもう一箇所。イシュランディルとプルトンに複数の暗殺者が当てられている可能性があった。
ニトローナは野営地へ戻るために踵を返す。
その直後ーー地を揺るがす、というほどではないが、何かひどく重たいものが落下する音と振動がニトローナへと届いた。それに続くように馬の嘶き。
恐らくイシュランディルの魔術がもたらしたものだろう。足を早めて野営地にたどり着いたニトローナの視界が捉えたのは、怯えるようにイシュランディルへしがみつくプルトンと、緑の光を宿した短剣を横に振り切った姿勢のイシュランディルだった。
そのイシュランディルの眼前には成人男性数人分よりも太い幹をもつ巨木が、横に真っ二つになって横たわっている。切断面の高さがイシュランディルの肩と同程度ということは、彼の魔法により切られたのだろう。そして切り株となってしまった巨木の後ろには赤黒い胴体が血液と切断面を晒し、その近くにはこれまた切断面を晒した人の胸部と二つの腕が落ちていた。この両断された肢体はイシュランディル側を狙った暗殺者であろう。
「おお、無事であったか」
緑の光が霧散した短剣を剣帯に戻したイシュランディルは、駆け戻ってきたニトローナを見てそう言った。
「こっちは問題ない。暗殺者は一人だったが、ここもか?」
「うむ。敵が余程の間抜けでなければこれだけで済むはず無いのだが……」
「こちらの力量を測るための捨て駒の可能性もあるな」
「いや、それにしては気配の消し方が尋常ではない。相当な修練を積んでおる。ならば元々数少ない者達なのか、もしくは減らされたか」
「減らされた? 誰に減らされると言うんだ」
イシュランディルは失言だったという様子で額を叩く。
「あー、うむ。それはその、だな……実はーー」
その言葉を遮るように、夜の森から葉音が響く。方向はイシュランディルが切断した巨木の奥。
イシュランディルとニトローナはそれぞれ得物を抜けるように構え、セルロゥが唸りを上げて闇に目を凝らす。
しかしその音にニトローナは違和感を感じた。このタイミングで近づいてくるのは十中八九敵のはずだが、なぜ接近を知らせるように葉音を鳴らすのか。それほどの自信があるのか、それともーー
「む、武器を抜く必要はないようだ」
「……何を言っている?」
「あやつは味方だ」
「味方、だと?」
果たして夜の森から抜け出てきたのは、闇と同じ色のローブで全身を覆った小柄な人影だった。ニトローナよりも頭一つ分低く、プルトンと同程度だ。口元まで布で隠しているせいか先ほど殺害した暗殺者のようにも見える。
ローブの人物はイシュランディルへと片手を上げた。
「無事だった? 師父」
高く、女性であろう声。言葉を向けられたイシュランディルは頷いて答えた。
「幸いにも無傷で済んだ。そちらは何人だ?」
「こっちは三人。ちょっと訳あって尋問できない状態だったから楽にしてあげたよ」
楽に。つまり殺害したということだろう。ニトローナはそう判断した。
「ま、詳しい話は後にしよ。まずは挨拶だけでもさせてよ」
「む、そうか」
女性であろうローブの人物は頭の部分を取り払い口元の布を下げ、素顔を晒した。
肩に届かない程度の金髪と貴族のように整った顔立ち。翡翠の瞳はどこか無邪気さを宿し、柔らかそうな唇が妖艶な空気を漂わせている。どこか成長途中で止めたような違和感があった。
彼女は珍しく怯えていないプルトンの頭を撫でた。どうやら怯えない程度の知り合いらしい。それが終わるとニトローナへと顔を向ける。
「ニトローナ・ヴィルブランド……よね? 私はラギス。私もこれから同行するから、よろしくね」
快活に行われた名乗りだが、ニトローナは応じることに躊躇った。なにせ何の説明もなしに現れた人物を味方と言われてもどうしようもない。と、いうわけでイシュランディルへ説明を求めるように視線を向けた。
「む? おお、このラギスには儂らを追うものがいないか調べさせておいたのだ。もし追うものがいるようなら、その者たちを追跡するように命じていた」
「つまり私は二重尾行して調べてたってわけ。やけに気配を消すのが上手いとは思ったけど、まさか暗殺者とはね。間に合ってよかった」
笑うラギスだが、そう簡単な話ではないことはニトローナにも理解できる。何よりあれほど気配を消せる暗殺者を三人も仕留めたと言うのだ、並の腕前ではない。
「で、さ。その大っきなわんこの名前は?」
「セルロゥだ」
「よろしくね、セルロゥ」
セルロゥの頭を撫でるラギス。だがセルロゥから返ってきたのは威嚇するような唸り声だった。
「おおっと、まだ警戒されてるみたいだね」
「それよりラギスよ、お前が楽にした三人が尋問できない状態だといったな?」
「ん、そうそう。せっかく捕らえたのに喋れないように喉が潰されてたよ。一人ぐらい残しても良かったけど、尋問してる時間ないしね。それに教育に悪いからね」
なんでもない事のように告げるラギスは再びプルトンの頭を撫で、彼を連れて荷駄馬のほうへ足を向けた。
暗殺者の喉が潰されていたということは、情報漏えい対策だろう。言葉が出せなければ情報も出ない。質問して肯定か否定をさせることで多少の情報は得られるだろうが、それでは詳細な情報は得られない。文字を書かせるという手もあるが、暗殺者の指を自由にさせるなど論外だ。暗殺者とはいえ、そこまで徹底するのは異常だった。
「イシュランディル。あんたは心当たりがあるようなことを言っていたな。こんな異常な奴らを知っているのか?」
「……ここまで徹底した暗殺者を抱えているのは一つしか知らぬ。やつらを差し向けたのは教国だろう」
「教国だと……まさか第一王子か?」
「いや、あの男は暗殺者の存在すら知らぬはずだ。教国の連中がグラウバーの陣営を削ぐために送り込んだのだろう」
「狙いはあんたなのか?」
「うむ。教国の連中は儂のことを第二王子に助言する学者と考えている。グラウバーの統治するセルディル領がこれ以上富むことに危機感を覚えたのかもしれぬな。おぬしとグラウバーが会った時は例外だったが、儂自身そのように振舞っていたからのぉ」
狙いは自分だと告げるイシュランディル。顔には嘲笑が浮かび、この程度では動じない胆力が感じられた。
「ならば、ヴィルブランド領に……妹に影響はないんだな?」
ニトローナにとって大事なのは妹のセリンとヴィルブランド領であり、それらを戦乱から守るために旅をしているというのに、教国の標的になるのは本末転倒だ。だからこそ確認しておく必要があった。
「それはないと断言しよう。教国にとって第二王子に助言する儂が邪魔なのであって、おぬしやヴィルブランド領に関わる理由はない。おぬしには悪いが、今回はただ巻き込まれただけだろう。儂が王城から遠く離れたことを好機に思ったのかもしれぬ」
「それなら、いい」
イシュランディルとニトローナが話している間に、ラギスはプルトンとともに出発の準備を終えていた。
暗殺者を排除したとしても安心はできない。この場を離れる必要があった。
死体の血の匂いに釣られた獣が現れる可能性もある上に、次の暗殺者が放たれるとも限らないのだ。
多少の危険は承知の上で、夜の闇を進むことに決定した。
そうして一行が去った後、時間が経過して朝日に包まれはじめた森の野営地。
血の匂いに釣られた狼などが現れ、二人の暗殺者の死体を貪っていた。肉の咀嚼音が響く中、野営地の中心にある焚き火は小さな火種のみで煙を上げる。中には灰と炭化した枝などの木材、そして暗殺者が使用していた投剣があった。
黒塗りだった投剣は焚き火に焼かれたせいで薬品が溶け落ち、元の金属面が姿を見せている。
金属面を晒した剣身の根本には、煤で汚れているが青い十字の紋章が彫り込まれていた。
その紋章は教国を示すものだ。
そして今は亡きニトローナの母、アンシェル・ヴィルブランドが遺した剣にも青い十字が刻まれていた。
旅を続けるニトローナは、その事実を知らない。
自分の血筋も、母の経歴も。彼女が知らないことは、まだ多い。
長くなりすぎた……




