18.黒塗りの刃
ニトローナ達一行は数日かけてヴィルブランド領を北上し、セルディル公爵領へと入った。セルディル領は北部が大山脈に接しており、銅や鉄が採れる鉱山が存在する。
このセルディル領は王国内でもいささか特殊な領地だった。領主のセルディル公爵は高齢で、寝台から起き上がることすら辛い年齢だった。それほどの高齢なら嫡子を後継者にして領地を治めさせるべきなのだが、セルディル公爵の息子は領地を継ぐ年頃になって病没しており後継者がおらず、他の親類はこの世から去っている。遠縁を頼るにしても信頼できるほど親しい者は皆無だった。かといって他家から養子を取るとしても教育している時間はない。何より他家の意向が刷り込まれている可能性が高く、信頼出来ない。
このままでは心血を注いで発展させた領地の未来が危うい。そう考えたセルディル公爵は、かつて自分が教育係をしていた第二王子グラウバーへと任せることにした。それはセルディル領が王族直轄地になるという意味も含まれていたが、他家に取られて貪られるよりはいい。何よりセルディル公爵にとって、自分の孫のように思うグラウバー以上に信頼できる者はいなかったのだ。
そうしてセルディル公爵領はグラウバーが代理統治することになった。元々グラウバーもセルディル公爵を祖父のように思っており、領地経営の知識をセルディル公爵自身から教えられていたので、引き継ぎは順調に進んだ。無論、セルディル公爵領を狙う貴族から反対の声は上がっていたが、王の承認とセルディル公爵自身の強い意志があったために、次第に反対の声は消えていった。
そうしてグラウバーは名実ともにセルディル公爵領の後継者となり、新たな鉱脈を発見するために大山脈を調査することは何ら不審な点はなく、ニトローナ達一行を派遣するための理由づくりに利用したのであった。
当然関所の通行も滞り無く進んでおり、領境付近の街へ入った一行は食料などの物資を補給した後に北東へと進む。ここからはほとんど開拓されていないため、やや荒れた街道が続いていた。
ニトローナ達は再び森での野営となった。途中の街で宿を取ることもできたが、禁足地に踏み入るという目的がある以上、人がいる場所での痕跡は補給以外では残さないようにしていた。
数日前のように老人ーー虹賢者イシュランディルとプルトンが野営の準備をし、ニトローナがセルロゥを連れて狩りに出る。今回は兎と野草の他に茸も採れた。
兎と野草、それに茸は鍋で煮込み、街で補給した固いパンを浸して食べ、イシュランディルとプルトンは眠りにつく。ニトローナは数時間ほど夜番をしてイシュランディルと交代することになっている。
「私たちは、なんとも奇妙な一行だな」
傍らで丸くなるセルロゥの背中を右手で撫でながら、ニトローナは誰に言うでもなく呟く。
建国記に記されるほど偉大な功績を残した虹賢者イシュランディル。
言葉で人を昏倒させるほどの魔を宿す禁言のプルトン。
犬として生きた記憶を持ち、令嬢でありながら豚鬼との戦いに身を投じるニトローナ。
そして飼い犬のセルロゥ。
人と魔族と犬で構成された旅の一行は、ある意味一般人のニトローナから見れば歪であった。
只者ではないと思っていた老人がまさか人外ともいえる存在であるとは、全くの予想外だった。
出来るならこの事をみやげ話としてセリンに聞かせてやりたい。興味深そうな妹の顔を思い浮かべ、ニトローナの口が弧を描いた。
その直後。
右手で感じていたセルロゥの背中が震えた。そして小さな唸り声。
セルロゥが警戒するべき何かがいる。
ニトローナはいつでも剣を抜けるように柄に手を当て、立ち上がる。傍らのセルロゥは四肢を曲げて森の闇を睨みつけていた。
夜番をしていたおかげで不意打ちは防げたが、ここで野営したのは失敗だったか、とニトローナの脳裏に後悔がよぎった。セルロゥが警戒心を表しているのは盗賊か、それとも野獣か。
ーー答えはどちらでもなかった。
「っ!?」
闇の中から突き進んでくる黒の一閃。
それは黒く塗られた投剣だった。野営の火の光でどうにか識別できるそれは、まっすぐにニトローナの眉間を目指している。
本能的な危機感に従い頭を下げ、黒塗りの刃を回避したニトローナの耳に土を蹴る音が届く。反射的に腰から剣を抜いて前方を払う。火の光を反射するニトローナの刃は跳躍の音と空を切った。黒い影が視界の端に映ったが、影は森の闇に同化して消えていく。投剣の極僅かな残り香から、鼻を突くような刺激臭を感じた。
反射的に抜いた剣が避けられたがいくつか情報は得られた。それだけわかれば十分だ。
襲撃者は人ではあるが盗賊ではない。暗殺者だ。黒塗りの刃を使うということは、夜陰に乗じる事に長ける相手の可能性が高い。黒い影も実は投剣と同じで黒く染められたものかもしれない。
闇に潜む敵はニトローナの位置を容易く把握でき、逆にニトローナが敵の位置を知ることは困難。
つまり不利な状況だ。
それ以上の問題として標的は誰なのかという疑問がある。とはいえ答えは即座に弾き出された。イシュランディルとプルトンのどちらかだ。
ニトローナは前方を警戒しつつ背後へ視線を向ける。野営の焚き火の反対側では、既に起きていたイシュランディルが寝ぼけたプルトンを背後へと庇っていた。
ニトローナとイシュランディルは焚き火とプルトンを挟むように立ち、周囲の森の奥を警戒したまま言葉を交わす。
「無事かのぉ?」
「ああ。そちらはどうだ?」
「問題ない、が、ちと面倒な相手が来たようだ」
「知っているのか?」
「いや知らぬ」
「おい」
「だがまあ、これほど気配が薄いなら相応の訓練を積んだ者なのだろう。恐らくはーー」
言葉を遮るように飛んでくる黒塗りの短剣。イシュランディルへと放たれた投剣の軌道が、プルトンと重なっている。プルトンを抱えて避ければ不利になると判断したのか、イシュランディルは腰に帯びていた短剣を一閃し投剣を払う。
「老人には優しくしてほしいのぉ。この歳で斬り合いなど御免被る」
イシュランディルの短剣に緑の光が灯った。
「こちらは儂が引き受ける。そちらを頼むぞ」
「わかった」
虹賢者の使う未知の魔術に興味はあったニトローナだったが、今は自分を狙う敵を優先する。森に視線を向ければ相変わらず濃い闇が敵を覆い隠している。傍らのセルロゥには匂いでわかるのかもしれないが、今のニトローナでは判別できない。外的情報の八割を視界で得ている人間では、夜闇の森に潜む敵を捉えるのは難しい。
ニトローナは犬歯をむき出して威嚇するように森を睨みつけた。
闇の中から出てこないなら、まずはそれを剥ぎ取らなければならない。
豚鬼とは違う闇の中での戦い。今まで一度も経験したことのない戦いだが、ニトローナは昂ぶっていた。
豚鬼だろうと人だろうと敵は敵だ。
ニトローナには愛する妹の元へ帰るという目的がある。その目的を邪魔する者は全て、怒りと殺意を叩きつける対象だった。
あとがきが思いつかない……
とりあえず、これからもよろしくお願いします。




