14.二つの魔
夕暮れ時。農村や小さな街でその時を迎えるなら、山や丘の向こうへ沈む夕日が見られるだろう。だが王都の場合は夕日が壁の向こうへと沈んでゆく。そして壁の大きさに比例して影も大きくなるせいで、夕暮れから夜に変わるのは早い。太陽の光が紅く変われば明かりを灯すほどだ。
王城から主発した馬車がヴィルブランド邸へ到着したのはそんな時刻だった。
馬車から降りたニトローナは使用人たちに迎えられながら邸宅の扉をくぐる。邸宅内は既に明かりが灯されており、薄暗くなり始めた外よりも明るく感じられた。
「おかえりなさいませ、ニトローナ様」
「ああ。セリンはどこだ?」
「セリン様でしたらお庭におられましたので時期にーー」
ニトローナは侍女の言葉を最後まで聞くことはなく、庭へと足を向ける。出来るだけ自制して速度を押さえていたが、気を抜けば走り出しそうなほどだった。今のニトローナはそれほどセリンという存在に飢えていた。
背後から聞こえてくる侍女の声を無視して歩を進めていくと、庭に面した窓が開いているのが目に入った。ニトローナはドレス姿のまま躊躇せずに窓へ足をかけ、庭へと降り立つ。
「ニトローナ様!?」
侍女の驚愕の悲鳴が耳に届くが無視。
歩きながら庭を見渡すと半分ほど薄暗く、残りは西日に照らされて紅く染まっていた。そして西日に照らされた場所に立つセリンを視界に捉える。
もはや我慢の限界だった。
ニトローナはドレス姿のまま駆ける。戦場で戦うために鍛えた足腰の力を遺憾なく発揮して、目標に突き進む。
「え、姉様?」
セリンがこちらに気づき驚愕の表情を浮かべるが、ニトローナは構わずに両手を広げ、妹を勢い良く抱きしめた。
「べぼぇ!」
抱きしめたセリンから悲鳴のようなものが聞こえた。
抱擁する際は身長の関係上、セリンの頭部はニトローナの胸部に当たる。多少のクッションがあったとはいえそれなりの衝撃があったのだろう。
「姉様、ぐる、しぃ」
苦しげな妹の様子に腕の力を緩めるニトローナだが、抱擁は解かず、無言のまま抱きしめ続ける。
「……姉様?」
セリンが疑問の声を上げた直後、ニトローナの背後に侍女が走り寄ってきた。窓を飛び越えたニトローナを走って追ってきたのだろうその侍女は息を荒げていた。
「ニトローナ様、ドレスを着たまま走るのはお止めください!」
ニトローナに侍女の怒りは理解できた。貴族用の服飾店から届けられた高いドレスは魅せるための服であって、走り回るための服ではない。当然耐久性は低い。それこそ勢い良く動いたら裂けてしまうほど繊細だ。それを気にせず窓を乗り越え全力疾走すれば、既にどこか裂けていても不思議ではない。
だがニトローナにとって服はどうでもよかった。
「屋敷にお戻りください、今すぐドレスを確認しないとーー」
「湯は湧いているか?」
「は? 湯、ですか?」
「そうだ。セリンと湯浴みをする。準備しろ」
「ですがその前にドレスをーー」
「聞こえなかったか?」
ニトローナは首だけで振り返り、殺意を込めて侍女を睨みつける。侍女は身体を震わせると慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ありません。直ちに準備致します」
侍女が走り去る音を背中で聞きながら、ニトローナは腕の中のセリンを見下ろす。するとセリンもニトローナを見上げていた。
「姉様、何かあったのですか?」
妹好きとはいえ尋常ではない様子を感じ取ったのだろう。セリンは不安を目に浮かべていた。
「ああ、色々、あったよ」
「それは、私に言えないことなのですか?」
「いや、そうではない。だけど、少しだけ時間がほしい」
腕の中で見上げてくるセリンはため息を吐いた後、小さな笑顔を見せた。
「姉様は憶えてますか? 私が風邪を引いて寝込んだときの事」
「憶えてるよ。あの時はまさか看病すらさせてもらえないとは思わなかったな」
ニトローナが今のセリンと同じ歳の頃、今よりも幼かったセリンが風邪で寝込んでしまうことがあった。妹大好きなニトローナは付きっきりで看病する気だったのだが、伝染る病気だと聞いたセリンは姉に伝染さないために、侍女以外が自分に近づくことを禁じた。勿論子供なので禁じたというよりは駄々をこねたようなものだったが、涙ながらに言われてはニトローナも引き下がるしかなかった。
そして風邪が完治した頃に接近禁止令を解かれたニトローナはセリンへと突撃したのだ。丁度今のように。
「あの時も姉様は、こうやって抱きしめてくれましたね。何かを怖がるような顔で」
「怖がって、いるだろうか?」
「はい」
セリンはそう言うと両手を上げてニトローナの頬を優しく包んだ。頬に両手を当ててくるセリンの熱が、とても暖かく感じられた。
「私が原因で、姉様は苦しんでいるのですか?」
「違う! 私が苦しんでいるのは、私の都合だ。セリンには関係ない」
「……そうですか。まあ、いいです。たまには逆になってもいいでしょう」
「逆?」
「いつもは私が姉様に甘えていますからね。今日は姉様に甘えさせてあげます」
自身の腕の中で笑うセリン。それに釣られるように、ニトローナも笑顔を浮かべた。
「そうか。じゃあ甘えさせてくれるか、セリン」
「姉様の気が済むまで、存分にどうぞ。あ、でも少しは手加ーーちょっと力強すぎ! 淑女は壊れやすいんだから優しく扱ってよ!」
この日、ニトローナは存分にセリンに甘えた。一緒に湯浴みをして、一緒に食事をして、同じ寝台で眠りについた。
そして深夜。静かに目を開けたニトローナは上体を起こす。薄い月明かりに照らされた部屋で、隣に眠るセリンの寝顔を見つめた。可愛らしい寝顔をつい撫でてしまうと、セリンはニトローナの手に頬を擦り付けるようにして寝返りをうった。
これからの日々を思えば絶望に屈しそうになる。しかしこのような日の思い出があれば、例え遠く離れるとしても耐えることが出来るだろう。
ニトローナは最愛の妹を見つめながら、第二王子との会話を思い返した。
ニトローナの帰宅より数時間前。
「君は魔族がどのような存在か知っているか?」
第二王子の問いで話は再開された。老人は再びグラウバーの背後に立ち、僅かな警戒を含ませた視線をニトローナに向けていた。<サラマンデル>と呼ばれていた赤蜥蜴はグラウバーの膝の上で這い、背中を撫でられている。
不思議な事に、ニトローナの爆轟で防音など関係ないほどに激しい音を響かせたのだが、廊下にいる警護兵どころか隣の部屋で待機している侍女すら駆けつけてこない。ニトローナが疑問に思っていると老人から意味深な笑みを向けられた。
この老人が何かしたのだろう。未だ正体不明な彼を不気味に思いながらも、ニトローナはグラウバーに答えを返した。
「強い魔力の影響を受けて変異した者たちだと、文献にはありました」
「そうだ。王国ではそのように教えられている。だが大森林の先に存在する魔族国家の者達は、同じようで違う。君がよく知る豚鬼は人と意思の疎通を図ることはない。しかし魔族国家の者達は王国の人間と同じように考え、会話することが出来るんだ」
にわかには信じがたい話である。
王家の秘である大森林の先に存在する魔族国家。そして意思の疎通が出来るという魔族。
「王国の民は魔族は敵だと教えられてきた。そしてヴィルブランド領やフェノール領はその脅威に晒されている。すると当然、魔族は敵という認識になる。だがその魔族という認識こそ間違いなんだ」
「認識、ですか」
「そう。豚鬼は魔族ではない。本来は魔獣と呼ばれる存在だ」
「……獣だろうが族だろうが、同じでは? ただの言葉遊びにしか聞こえません」
ニトローナにとって豚鬼は獣も族もない。ただセリンに恐怖を与えた敵という認識しかなかった。
「私も最初はそうだった。だが彼らはまるで違う存在なんだ」
「彼ら? まさか殿下は……」
「そうだ、私は以前会ったことがあるんだよ。丁度この場所だ」
そう言って部屋を見渡すグラウバー。その表情には懐かしさと、僅かな哀愁が含まれていた。
王城の中でも奥にある防音性の高い一室。確かにこの場所なら密会にはうってつけだろう。今のニトローナとの会話のように。
「君に理解して欲しいのは魔族と魔獣は別の存在だということだ。魔獣は人間に敵対して攻めてくるが、魔族は人間と同じような統治国家を持ち、敵対する意思はない」
「……そう簡単に、信じられる話ではありません」
「それは構わない。自分の目で判断してくれればいい」
「殿下。勘違いなさっておられるかもしれませんが、私は魔族国家の王子を送り届けるつもりはありません」
ニトローナにとって、グラウバーの頼みは必ず引き受けなければならないものではない。ヴィルブランド領が豚鬼に攻勢をかけて領地拡大し、それに他領の貴族が追従し損害を被ったとしても、ニトローナには所詮他人事である。大事なのはセリンただ一人なのだから。それに今のヴィルブランド領の兵士たちならば、豚鬼の襲撃を防ぐことはたやすい。時間はかかるだろうが防衛拠点を作ることすら可能だ。
セリンのために豚鬼の脅威は消し去りたいが、禁足地の大森林を通り未知なる魔族国家まで王子を送り届けるのは、どれほどの危険が潜むのかわからない。あまりにも不確定要素が多すぎる。
だからこそ、ニトローナにはグラウバーの頼みを引き受けるわけにはいかなかった。
だがグラウバーはニトローナの意思を否定する。
「いや、君は送り届けるはずだ。何より君以上に適正なものはいない」
「……適正とは武力ですか?」
「そうだ。君は特殊な魔術を使える上に、豚鬼と正面切って切り合える数少ない人間の中でも上位に位置している」
「先ほど話していたエクラジットの方が私より上ですが……」
ニトローナが女性として強くても、エクラジット相手だと性別の差が如実に現れている。かつて手合わせした時などは、エクラジットの攻撃を凌ぐことで精一杯だったほどだ。
「彼の強さは領民を守るというものが原点であり終着点だ。君のように、隙あらば敵に食らいつくような攻めの意識が薄い。基本的に王国の兵士は守りの意識が強いな。これはかつて帝国の侵略を受けた時の影響だろう。その中で君は敵地に乗り込んで奇襲をかけるという攻めの結果を出している」
攻めの意識の強さは先程の第二王子殿下殺害未遂でニトローナ自信が証明してしまっている。否定はできなかった。
「私に適正があることはわかりました。ではなぜ私が必ず送り届けると? 私にはこの件を受ける必要性はありません」
たとえ適正があろうとも必要性は感じられない。
そう口にするニトローナに対して、グラウバーは何かを言い淀んだ。そんな彼の様子にニトローナが訝しむと、グラウバーの背後に立ち続けていた老人が言葉を発した。
「話すしかあるまい。今のこの娘にお主の願いを聞き届ける意義はない。それとも王族として命令を下すか?」
老人の諭すような言葉で決意したのか、グラウバーはニトローナを正面から見据えた。
「王国の北西にある教国という宗教国家は知っているな? 私の兄、第一王子ルドルフはその教国に入り浸り、奴らの思想に染まりきっている。そして教国は魔族を心底毛嫌いし、この世から殲滅すべしと考えているらしい」
グラウバーが口にしたのは身内の恥に近いものだった。よりによって王位継承権第一位を持つものが宗教に傾倒しているというのだ。それはつまり、王国の政治に教国が手を伸ばしていることを意味していた。いや、既に影響が出ている可能性すらある。
「このままではいずれ王国全体を巻き込んだ戦乱になる。相手は奴らが魔族と定めたもの全て。そして戦場は……恐らくヴィルブランド伯爵領、君の父が治める領地だ」
ニトローナは自身の運命を呪った。
彼女にとってこれは逃れられない運命だった。
敬愛する者を守るために、その傍を離れなければならないという選択は、主人を目の前で失った光景を思い起こさせる。しかしニトローナは誓った。次は失わない。そして必ず生きて帰り、セリンと平穏に生きていくと。
だがニトローナは気づいていなかった。自分がセリンを中心として生きているように、自分が誰かの生きる支えになっていると。
そのことに気づいたときには、既に手遅れだった。
一章 完
ようやく終わりました。次は二章です。(序章という言葉は本編の前という意味なので、最初の一話が序章で、それ以降が一章ということになります。いずれ章管理しようと思います)
しかし本格的に物語を動かすのにこれほど文字数がかかるとは思いませんでした。無駄な文も多々あるとは思いますが……
とりあえず二章からは物語を大きく動かします。いまいち不透明な魔族とか、第二王子の護衛爺はどういう人物なのかとか、いろいろありますね。
では、これからもよろしくお願いします。




