12.絶望と怒り
「君に招待状を送った理由はいろいろあるが、まあヴィルブランド領の現状を聞いておきたかったからだ」
そう言って話し始めたグラウバーは笑みを浮かべている。その背後にいる男はニトローナに視線を向けているだけだった。ニトローナが訝しげな表情を浮かべると、グラウバーが今気づいたと言わんばかりの態度で背後を振り返る。
「ああ、彼は私の護衛だよ。気にしないでくれ」
「……わかりました」
抜け抜けと言ってのけるグラウバーは笑みを浮かべたままだ。
ニトローナはただの護衛と言われただけで納得するしかない。グラウバーとの間にはそれほどの身分差が存在するのだから。
グラウバーはニトローナの言葉を聞くと、長椅子の間のテーブルポットからカップへと茶を注いだ。部屋からは侍女を追い出したので、三人の内誰かがやらなければならないことだったが、まさか王子自信が動くとはニトローナにとって予想外だった。
しかしグラウバーはさらにニトローナを驚かせる。なんと茶を注いだカップをニトローナの眼前に差し出し、二つ目のカップに自身の茶を入れ始めたのだ。王族に茶を注がせるなど、ある意味とてつもなく不敬なことだ。勿論、非はニトローナにある。
一瞬思考停止したニトローナは慌てて頭を下げた。
「恐縮です、殿下」
「気にすることはない、君を呼びつけたのは私なんだ。さて、ヴィルブランド伯が統治する領地は豚鬼の襲撃を受けているとは聞いているよ。ただそれは人づてや書類上でしか知らないんだ。それを君の口から聞きたい。構わないかな?」
「勿論です。私でよろしければお話致します」
そうしてニトローナはヴィルブランド領の現状を話し始めた。それを聴いているグラウバーは興味深そうに相槌を打ち、その背後では護衛と紹介された男が表情を変えず、ニトローナへ視線を向ける。まるで何かを見透かすように。
「聞いていたとおりなかなか順調のようだね」
グラウバーの言葉通り、ヴィルブランド領は順調に発展している。現在生産されている林檎から複数の加工品を領外へ輸出し、新しい加工品も開発中である。豚鬼による南部からの被害も過去の記録より低く抑えられている。そして王家からの援助もあり、安定性は高い。作物の不作に備えて領外から備蓄食料を購入できるほどだ。
「なによりも豚鬼による被害が抑えられているのはいいことだ。書類上では約二年ほど前から被害が減少傾向になっていたけど、君が豚鬼討伐に参加した頃だったかな?」
「私は父が送る報告書には関わっていないので被害については何とも言えません。ですが、私が討伐に参加し始めたのは二年ほど前です」
「なるほど、よくわかった」
第二王子は納得するように頷くと、背後の男に視線を送る。男は応えるように頷いた。
「ニトローナ嬢、君は王国の軍事力をどう評価する?」
突然の問いは、軽々しく答えられるものではなかった。特にニトローナの立場上答えるのはとても危険だ。
相手が第二王子とはいえ、たかだか伯爵令嬢が国の軍を評価しろというのだ。迂闊な言葉を履けばニトローナ自身では責任の取れない事態になることもあった。
「……恐れながら殿下、令嬢の私程度では答えかねます」
「ああ、いや、すまない。評価などというのは拙かった。では君個人の印象を言ってくれるだけでいい。ヴィルブランド家ではなく、君個人の言葉として受け取ろう。それでどうかな?」
「……わかりました。僭越ながら、私程度の印象で良ければ」
ニトローナは第二王子からの招待をただ不愉快なこととして捉え、覚悟が足りなかった過去の自分を罵りたい気分になった。ついでに気楽に帰っていったエクラジットに恨み言を吐く。
第二王子グラウバーの狙いはわからないが、軍事力などたかが伯爵令嬢に問いかける類のものではない。先ほどの行動からグラウバーの背後に立つ男も無関係では無いのだろう。
しかし答えると言っても見当違いなことを口にすれば今後の関係にも影響があるかもしれない。セリンが価値観の最上位に位置されているニトローナとて伯爵令嬢である以上、家の利益になるように行動する必要がある。
故に事実だけを答えることにした。
「王国の軍は長く続いた平穏の弊害を受けて質が低下していると思われます」
百年も争いがなければ当然だった。かつて精強だったとしても、百年も経てば世代交代が起こり、強さを保つのは不可能になる。そして何よりも経験が足りない。
「特に部隊を率いる者たちこそ質が低下しているかもしれません。夜会での私の行動を、殿下はご存知ですよね?」
「ああ、見ていた。あのような場で随分と危険な気をばら撒くものだと思ったよ。確かにあの場で見れば、君に対して反応もしなかった将来の指揮官達に不安を覚えるが、それだけで質が低下していると判断するのか?」
「はい。若い彼らがあれでは一つ上の世代がしっかりと教育してない証です。彼らがあの様子では実戦を経験していないのは明らかです。それこそ小規模な領地争いにすら経験していないのでしょう。本来ならば危惧すべきことですが、現役の方々も平穏に慣れてしまっていると思われます」
「なるほど、現役の者たちすら……か。豚鬼が相手に実戦を経験している者からもそう感じられたか」
グラウバーは憂鬱そうな表情で顔を伏せ、溜息を吐く。それはまるで事前に知っていたことを改めて突きつけられたようだった。ニトローナが訝しんで目を細めると、グラウバーは仕方ないといった様子で顔を上げた。
「仕方あるまい、これが平和のツケなのだと受け入れるほかはないな。重要なのはその上でどうするかだ。ニトローナ嬢」
「何でしょう?」
「報告によればヴィルブランド伯領軍は魔族料で集結中の豚鬼を攻めたそうだな」
「はい。定期的に派遣していた斥候が集結する豚鬼を発見し、そこを襲撃、勝利しました」
「攻められていた側が攻める。それは今後の流れを変える一手だろうな」
グラウバーは納得するように頷くと、表情を引き締めた。
「しかし今後は専守防衛に専念してもらいたい」
ニトローナにとって、ヴィルブランド領に住む人間とって、グラウバーの言葉は到底納得できるものではなかった。例え伯領軍が防衛するとしても、豚鬼に攻められるという事実は領民たちにとって強いストレスだ。いずれ自分たちの生活は豚鬼に蹂躙されるのではないか、という不安が領民の心を蝕んでいる。
襲撃はいつまで続くのか。豚鬼はどれだけいるのか。目に見えない不安がヴィルブランド領に蔓延している。
そして不安を抱えているのは妹のセリンも同じだ。
だからこそニトローナは豚鬼の襲撃を決意し、伯領軍を束ねるガサラムと何度も話し合い、実行されたのだ。
不安を解消できるかもしれない最初の一歩が、攻める側に回ることだ。これから歩き出そうとしているところを止められては、不満を抱くのは当然だろう。
「……ヴィルブランド領の領民たちを豚鬼の脅威から開放することに、なにか不都合が?」
「豚鬼の脅威から開放されたのなら、次は領地の拡大だろう。最初はいい。新天地は民に希望を与える。だが必ず勘違いした愚かな領主が湧いて出てくるだろう。ヴィルブランド領にできたのなら自分にも出来るんじゃないか? 成功すれば領地を拡大できるかもしれない、とな」
グラウバーは顔をしかめる。自分で口にした未来に憤りを覚えたようだった。
「そうすればもはや王家にも止められん。愚か者たちが自分たちの惰弱さに気づいた頃にはどれだけ民の犠牲が出ているか検討もつかん。そして報復の危険性もある。最悪、幾つかの領地は消え去るだろう」
「……それを避けるための、専守防衛ですか」
「そうだ。ヴィルブランド領には悪いが今しばらく耐えてほしい」
グラウバーの言葉にニトローナは引っかかりを覚えた。彼は『今しばらく』と口にした。それがどれほどの期間かは分からないが、豚鬼の脅威を取り去る手段があるという意味に聞こえる。
それを肯定するように、グラウバーは頷く。
「時間はかかるだろうが、ヴィルブランド領を豚鬼の脅威から開放できるだろう。そして先ほど私と話していたエクラジット・フェノールの父が治めるフェノール領も同じようにするつもりだ」
「そのような手段が、あるのですか?」
「ある。だが確実ではない」
グラウバーはそこで言葉を切ると、今まで一言も口を開かなかった背後の男へ振り返る。
「どうだ」
「反応はない。この場で話を聞いているのは我々だけだのぉ」
老人のような口調で、重い響きのある声が響く。身が引き締まるような威厳と威圧が感じられた。
「よし。ニトローナ嬢、話は変わるが、王国の東に何があるか知っているかい?」
「東、ですか? 確か巨大な森林地帯が広がっているとしか……」
王国の東に広がる大森林。そこは初代国王により開拓することを禁止された禁足地とされている。歴代の国王もこれを遵守し、その先にあるものは王家以外は知らないと言われていた。
「そうだ。そしてその大森林を超えた先にあるものは、王家にしか伝わっていない」
嫌な流れだった。この先を聞けば何らかの争いに巻き込まれる。そんな予感が感じられた。
「ヴィルブランド領とフェノール領を敵の脅威に晒されないようにするために、君には後ろの彼とともに、大森林を超えた先へあるものを運んでもらいたい」
「……あるもの、とは?」
訊きたくはなかった。だが訊かねばならなかった。
「次世代の魔族の王。つまり魔族国家の王子だ」
彼が何を言っているのか、理解できなかった。
「君には魔族を救い、勇者となってもらいたい」
魔族とは敵である。ヴィルブランド領に侵攻してくる敵である。
かつてセリンは豚鬼の襲撃に怯え、涙した。大切なヴィルブランド領が失われる。領民が失われる。家族が失われる。そのことに恐怖していた。ニトローナはそんな妹を恐怖から開放するために、豚鬼との戦いに身を投じた。
だがグラウバーはそんな敵を救い、勇者になれと宣う。
どういうことなのだろうとニトローナは自問する。答えは簡単だ。
敵を救えと言う第二王子は、敵なのだ。
領地の敵。領民の敵。そして何より自信が何に変えても守ると誓った最愛の妹、セリンの敵。
ニトローナとして生きる前、前世の光景が頭に浮かぶ。
腹部から血を流す敬愛する主人。主人の血に染まった凶器を持つ者。守れなかった四本足の自分。
恐怖と喪失。そして怒りが吹き出すようだった。
自分の行動の結果がどうなるか理解できていた。一族郎党皆殺しとなるほどの大罪だろう。だがニトローナは止まれなかった。意識の奥底から吹き出す怒りが、セリンを失う恐怖が、止まることを拒絶していた。
守るもののための行動が、守るものを危機に陥れるという矛盾すら押しのける。
ニトローナは怒りと恐怖に支配されていた。
もう二度と、自分の主人を失う訳にはいかない。あのような絶望を味わう訳にはいかない。
だから、殺そう。
殺される前に、殺そう。
第二王子を殺そう。
ニトローナから、怒りが溢れた。
あけましておめでとうございます。
さて、昨年最後に上げた話で「次で序章終わり宣言」をしたのですが……申し訳ありません。文字数が増えすぎて次に流れてしまいました。
新年早々ごめんなさい。次こそは序章が終わりになるはずです。多分……
あらすじも書き換えたことだし(満足したとは言っていない)心機一転、今年もがんばります。そろそろ活動報告も書くかもしれません。裏話とか、予定とか、言い訳とか。
さすがに年明けて二時間以内に読む人はいないだろうと考えつつ、大晦日から風邪引いてやばい状態でパソコンを閉じます。のどが痛い。
それではよいお年を。風邪を引かないように気をつけましょう。
**あらすじを書き換えたと言いながら書き換えていなかったので同日中に修正しました。申し訳ありません。




