1.ニトローナ
豚が鳴く。
「ピギギギピギィィィィィィィ!」
豚が啼く。
「ブギッ! ブギギギィィ!」
豚が亡く。
「ピギ……」
豚鬼<オーク>と呼ばれる種族がいる。かつて人間の家畜であった豚や、野山に生息する野豚が強い魔力に影響を受けて変化した二足歩行の豚である、と文献には記されている。元は四本足であった豚が二本足で歩くようになり、四本指の手に頑丈な棍棒などを持つようになって、人間にとって明確な脅威となっているのだ。
ヴィルブランド伯領南部。その中でもさらに南にあるオークが闊歩する魔族領との領境。その地は常に魔族の脅威に晒されており、伯領軍とオークが幾度も衝突する戦地であった。オークが領境を侵せば伯領軍が迎え撃ち、伯領軍が進行すればオークが群れで襲来する。
幾度もの戦いがあった。もはや元の領境は過去の文献にしか載っていない。それほど戦い続けた。昨今の戦いではオークが進行し伯領軍が迎撃するということが続いていたが、一人の人間の参戦によって変化が訪れていた。
ヴィルブランド伯領南部よりもわずかに南、魔族領内の平原。その地で伯領軍歩兵四百に対し、五百のオークの群れが衝突している。伯領軍は中央二百に左右両翼に百。対する魔族軍は隊列というものを無視しているが、概ね伯領軍と似たように両翼と中央の三つに分けている。人間という敵が三方に別れたからそれぞれの個体が近い敵に襲いかかったような形だ。
伯領軍四百を指揮するガサラムは、自軍右翼に目を向ける。今年で三十五歳になるガサラムは今回のような衝突は嫌というほど経験しており、百程度の兵数差に動じることはない。戦場全体を見て陣形や兵の動かし方次第で互角以上に持ち込めるからだ。
しかし視線の先にある自軍右翼は、戦術などを使わずに敵軍のオークを蹂躙している。
伯領軍右翼は中央と左翼とはまるで違う圧倒的な士気でオーク軍左翼を蹴散らし、ただの力押しで敵陣に切り込んでいたのだ。
ガサラムの視線は右翼全体から右翼前列に移る。赤髪の兵士がオーク軍左翼を壊滅に追い込もうと暴れまわっている。
肩甲骨辺りまで髪を伸ばした赤髪の兵士が旋回すればオークの首が飛んでいき、同時に胴体から吹き出る血液が鮮血の花を咲かせる。首から上が消失した死体の脇を抜け、赤髪の兵士は呆然としていたオークの胸部に手の平を当てる。その動作は衝撃を与えるものではなく、花に手を添えるような優しげなものであった。しかし直後、オークの胸部が赤く弾けた。背中まで抜ける掌大の穴が空く。重要な臓器から脊髄まで背後にぶちまけたオークは即死だ。
剣や斧で殺しあう戦場には似つかわしくない異質な死。
その光景を間近で見た周囲の敵が臆す様子を見せると、赤髪の兵士が号令を発した。
右翼右側の兵達がオークを殲滅しながら戦線を上げ、右翼左側の兵達がオークを誘うように戦線を下げる。結果、戦場全体を見れば伯領軍右翼が敵左翼を包み込むように展開した形となる。これで敵左翼は勢いが凄まじい味方右翼の動きで敵中央に押し込まれる。あとは伯領軍右翼がさらに士気を高めたまま敵左翼を殲滅して敵中央の横腹を突くことになる。
この一手が勝利を確定した。
指揮官であるガサラムはそう確信する。伯領軍右翼はそれほどの強さを持っているのだ。
そしてその中でも突出した強さを持つ者が右翼を指揮している。
その者の容姿を思い浮かべ、ガサラムはたった一言に万感の思いを込める。
「惜しい」
右翼を指揮する兵士は身分も高貴であり、オークを軽々と殲滅できる剣の腕に局所的に爆発を起こせる特異な魔術がある。さらに右翼どころか伯領軍全体から信頼を得るほどの人望。十六という若さは未熟であるが、逆にまだこれから力を伸ばすことが出来る将来性があった。
しかし――
意志の強そうな切れ長の眼。緩やかな線を描く鼻筋。妖艶さが漂う唇。
胸囲の膨らみに合わせて作られた胸甲。周囲の兵士たちとは作りが違い無骨さがない華麗な脚甲。
そして――
「オーク共を横腹を食い破る! 殺しつくせ!」
男では有り得ない、若い女の声。
伯領軍右翼を指揮するのは、ニトロ―ナ・ヴィルブランド。
彼女はヴィルブランドの家名を持つ伯爵令嬢であった。
16/10/30改稿




