しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道。其の一
土方さん!すみませんっ。
発句集ちょいとお借りしますよ〜。
山崎との潜入捜査から一夜明け、椿は火傷に効く軟膏を手に島原へ向かった。
昼間は閑散としており人も疎らだ。
「すみません、誰か居ませんか?」
椿が声を掛けると、一人の女が駆けてきた。
昨夜、火傷を負った女だ。
「何か?」
「あ!もう大丈夫なんですか?火傷」
椿は女の太腿を指差して訊ねる。
女はなぜ知っているんだと顔を顰めて椿を見た。
「どちら様でしょうか」
「昨夜こちらでお着物を借りた者です」
すると女は「あっ!」と言うと表情を緩ませて頭を下げた。
「すみません、気づかなくて。昨夜はありがとうございました」
椿はその女に火傷に効く軟膏を渡した。
「実は私、医者なんです。訳あって昨夜はあんな恰好をしておりまして・・・こちらこそお騒がせしました」
椿の嫌味のないもの言いに女は恐縮した。
「あれ、椿はんやないの」
柳大夫が顔を出した。
軟膏まで頂いてと深々と礼をされてしまってのだ。
これには椿も恐縮し、大丈夫だからと何度も言葉を返した。
「椿はんが何か困った事があったら言うて下さい。土方はんに苛められたり、ヘンな男から言い寄られたりしたら、わての所に来てくださいね。男絡みやったら任しとき」
椿は顔を赤らめて特に今は困っていませんと伝えた。
「ほな昨夜の旦那さんに宜しゅう。相思相愛で羨ましいわぁ。お幸せにね」
と、言われたのには驚いた。
「ええ!そ、相思相愛って・・・ええ!」
柳大夫は椿の反応を見てすぐに気づいた。
(嘘やろ。この人、ほんまに鈍感やなぁ)
「椿はん?医学もいいけど、男心も学ばやいかんえ?」
「男心、ですか?」
柳大夫は目を細めながら、柔らかく微笑んだ。
身体の仕組みは分かっていても、心の仕組みについてはからっきしダメなのを見透かされていたのだ。
「椿はんの周りには、先生がたくさん居りますさかい男心を学んでみたらどないですやろ」
「先生?」
「土方はんに原田はんは、良い先生になると思います」
なるほど!そうか、あの二人なら間違いない。
「ありがとうございます!」
椿は早速、どちらかに教えてもらおうと意気込んで戻った。
「あの娘はええ娘や」
柳大夫は椿の後ろ姿を見ながらそう呟いた。
「土方さん!いらっしゃいますか?」
「・・・」
あれ、今日は部屋にいるって門番の人に聞いたのだけど。
そっと障子を顔が入るくらい開けて覗いてみた。
こちらを背にして文机に向かう土方の背中が見えた。
「いらっしゃるじゃないですか」
すっと障子を大きく開け中に入り、土方に近づく。
ん?何かを読んでいる?冊子のようなものを手にしている。
「しれば迷い、しなければ迷わぬ恋の道…?」
「っ!?」
椿はついつい口に出して読んでしまったのだ。
それを聞いた土方は激しく肩をビクッと揺らし、物凄い勢いで振り向いた!今まで見たこともない鬼の形相で!
「ひいっ」 思わず尻もちをつく
「椿!!なに勝手に入って来てるんだ!」
「す、すみませんっ。お声を掛けたのですが返事なさらないし、具合でも悪いのかと思って」
土方はギロリと椿を睨みつけている。
これが噂の泣く子も黙る鬼の土方だ!
「さっきのは忘れろ、いいな!」
「さっきのって、しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道。ですか?」
「なっ!言わなくてイイんだよ!忘れろっ!」
土方が焦っている姿など気にも留めず椿は満面の笑顔でこう返した。
「土方さんっ!素敵です!」
「はあ!?」
「私にその男心をご教授ください!」
そう言って椿は三つ折りついて土方に願い出た。
土方は椿の言葉が理解出来ず、固まっている。
「・・・」
「土方さん?」
椿は珍しく反応の遅い土方の顔を心配しながら覗きこんだ。
こんなに近くで土方の顔を見ることはそう滅多にない。
今更ながら土方の端正な顔立ちに、思わずドキリとする椿なのだった。
「おまっ、今なんて言った」
「・・・男心を教えていただきたいと」
椿はこれまでの経緯を簡単に土方に話した、そしてたどり着いたのが土方だったと。
どんな内容でも落ちついて分析をする土方だが、これは予想外だったのだろう。
眉間に手をあて項垂れている。
(総司はわざと山崎を煽ったんだろう。それを見た山崎は激高し総司を威嚇した、理由は簡単だ。椿に惚れているからだろ。冷静になった山崎は椿に詫びを入れ、それは悋気だったのだと告げた。しかし椿は悋気の意味を知らない、焦った椿は追い打ちをかけるように総司ではなく山崎に惚れているんだと告げた。しかも、胸ぐらを掴んで・・・普通は抱き着いてだろうがっ。山崎は椿の気持ちを聞いて抱きしめた。これは間違っちゃいねえ。しかしコイツはなぜ抱きしめられたのか分からないと来た)
「はぁ・・・」
土方はもう溜息しか出なかった。
思春期の多感な時期を医学一本で過ごしてきたこの女は男心どころか自分の気持ちにも気づいていない。
そんな初心過ぎる女に俺は何から教えたらいいんだっ!
「はぁ・・・」
「あの」
不安げに土方の顔を見る椿に土方はどう答えたらよいか思案していた。
椿は二十歳の立派な女で、見た目はその辺の女よりもよっぽど綺麗だ。だが中身が体に伴っていない。
この間みたいに呆けて歩いていては男にいいようにされてしまう心配もあった。
「取りあえず俺に時間をくれ。それから表を歩くときはボサッとするなよ?お前は女なんだ、妙な浪人に絡まれた日には取り返しがつかねえからな。また呼ぶから、一旦下がれ」
「はい」
そうか、私は非力すぎる。
何かあったら新選組の為に働けなくなるってことか・・・
自分の身は自分で守らなければいけない。
よし!稽古をつけてもらおう!
椿は土方に礼を言うと、さっそく稽古場に向かった。