慶応四年一月三日―激突―
いよいよ開戦です。
二年に及ぶ戊辰戦争が始まりました。
いよいよ進軍が始まった。
幕府の歩兵隊は淀、鳥羽街道から北上し入京を目指す。
会津藩と新選組そして桑名藩も加わり、伏見市街に展開した。
「永倉、薩摩軍の偵察を頼む。原田は長州軍の兵力を確認してくれ!斎藤は会津藩の補佐と援護を頼む」
「了解!」
土方の表情は今まで以上に厳しかった。
椿は約束した通り、市村鉄之助と共に土方の傍で控えた。
「源さん(井上源三郎)は奉行所で警備を頼む」
「ああ、任せてくれ」
「椿と鉄之助は俺から離れるな!」
「はいっ」
「山崎、永倉と原田から情報を集めて報告を頼む」
「はっ!」
皆がそれぞれの持ち場へと散っていく。土方は薩長連合軍の動向を気にしながら、忙しく動き回る。
置いていかれないよう、椿は必死に後をついて行く。
両軍共に探り合いなのか布陣が定まらないのか、まだ大きな動きはなかった。
その後、徳川軍は鳥羽街道に向けて順調に進軍していると報告が入った。
「鉄之助くん大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫です。椿さんこそ重いでしょう?体」
「えっ、か、体!?(何で知って・・・)」
「はい。鎖帷子ってジャラジャラしていて重いです。女には酷です」
「だはっ・・・はは。ええ、でも命を護るモノですから」
重いでしょう?体という言葉に過剰に反応してしまったのは許してやってほしい。
昨夜の情事は椿にとって人生初の秘め事なのだから。
その頃、永倉は
「おい!なんだあれ。見てみろ!」
「組長!あれは薩摩の新型大砲です」
伏見奉行所の北側に位置する御香宮神社を陣取った薩長軍は新型の大砲を設置している所だった。
奉行所からの距離はおよそ一町二十二間(約150m)だ。
「あれは会津藩のと比べてどうなんだ、まさか届いたりしねえよな」
「どうでしょうか・・・」
永倉は先鋒隊を引き連れて薩摩軍の敷地のすぐ側までやってきた。
(っ!こいつはデケえ。これをぶっ放されたらマズイだろう)
刀で突っ込んでも意味がない、永倉は考えた。しかし、どう考えても突破する案が浮かばない。
「おい、おまえ監察の山崎分かるか。あいつにこの事を知らせろ」
「はい!」
一方、原田率いる十番隊は長州軍を偵察していた。薩摩軍と背中合わせにするように配置されていた。
そこには鉄砲隊が着々と戦の準備を整えていた。
「原田組長、あのような鉄砲は見たことがありません。幕府側のと違いはあるのでしょうか」
「どうだろうな。幕府の最新の武器は俺もまだ見てねえからな。でもよ、一つだけ分かるのは新選組のとは比べ物にならねえって事だ」
「それは・・・」
「長州軍の方が数倍優れている」
「そ、そんな」
戦う前から圧倒的な武力の差を見せつけられたような気がした。
しかし人数では三倍近く幕府軍の方が多いのだ。間違えても負けるなんてことは・・・
永倉も原田もそんな事を考えていた。
山崎は二番隊の永倉率いる隊士から報告を受け、その足で原田のもとへやって来た。
原田から長州の鉄砲の事を聞かされ、すぐに土方のもとへ走った。
「副長!報告です」
片膝をつき、永倉と原田から寄せられた情報を土方に報告をする。
土方の表情は鬼のごとく険しさを増す。
戦についての知識が薄い椿ですら、その内容は信じがたいものだった。
「あいつら攘夷だのと唱えておきながら、異国からの武器をしこたま仕入れてやがるじゃねえか」
先に暗殺された坂本龍馬が仲介役となって薩摩から長州に最新の武器が動いたと聞いたことがあった。
あれの威力を今になって見せ付けられるとは、土方も思っていなかったのだろう。
あの頃、誰もが薩長が同盟を組むなどとは思っていなかったのだから。
「くそっ。あれを撃ち込まれちゃあ手も足も出ねえ。どうする・・・」
土方の眉間の皺はますます深く刻まれる。
日は次第に傾き始め、少しずつ薄暗さが増してきた。西の空が茜色に染まり始めたその時、
― パーン! と乾いた銃声が響いた。
その直後、
ズドドドーン!ゴゴゴー と地響きが鳴った。
「きゃっ」 椿は思わず耳を塞いでしゃがみ込む。
「おい!あれを見ろぉ!」
薩長軍が配置している北側から煙が上がった。そして
ドガーン! とまた大きな音が腹に響いた。
とたんに後方の奉行所から火の手が上がる。大砲がここまで飛んできたのだ!
「くそっ!あいつら、本当にとんでもねえ大砲を持ってやがる。すぐに応戦しろ!」
土方の怒声が飛び交う。
会津藩も負けじと大砲を放つが、とうてい及ばない。
相手の陣地にすら届かない。
土方は常に新型導入をと動き回っていたが、資金の問題も絡みこれが精一杯だったのだ。
「くそ!源さんが奉行所の警護に当たっている。至急退避しろと伝えろ!」
「了解!」
山崎が踵を返して走って行った。既に奉行所の後方は火の海と化していた。
『山崎さんっ!』椿は声に出そうになるのを必死で堪えた。
ここは戦場だ。自分だけの想いで行動してはならない場所。
「椿、お前も心の準備をしておけ。かなりの怪我人が出るぞ!」
「はい!」
山崎の背を追いたくなるのを必死で堪える。
自分にはこれからやらなければならない事が山ほどある。
新選組の軍医として。
黒煙が辺りを舞い始めると同時に、焦げた臭いが漂い始めた。
火の勢いは増すばかりだ。
「此処はもう駄目だ!淀まで退け!徳川軍と合流するんだ、そこで態勢を整える!」
隊士たちが走りながら土方の言葉を伝えて行く。
椿は奉行所が焼け落ちて行くのを横目で見ながら、土方と走った。
山崎の姿はそこにない。
「椿!前を見て走れっ、山崎なら大丈夫だ!」
「っー!はいっ、すみません」
土方は刀を抜いた。辺りを牽制しながら走る。
「原田っ!こいつを頼む」
「おう、分った。鉄之助、俺の後ろに来い」
あの土方が二人を保護しながら進むのが困難になるほどの状況だ。
怪我人が何処にいるのかなど気にする暇もない。
頭を上げると銃弾がかすめそうなほど近くに感じる。
「椿、手を出せ!」
土方は椿の手首を握り締め伏見の街道を走った。既にコト切れた兵士たちが倒れている。もうそれが敵か見方か判断がつかない。
この先は鳥羽街道、徳川軍が居るはずの。
そしてピタリと土方の足が止まった。
「これは・・・」
土方は言葉を失った。
倒れている殆どが、徳川軍の兵士たちだったからだ。




