斎藤さんと偽逢瀬
逢瀬:愛し合う男女がひそかに会う機会。コトバンクより
斎藤まで伊東に着いて行ったとしばらくは隊内がざわついていた。
永倉も原田も仲の良かった幹部が二人も新選組を去ったのだ。
とくにそれについて言及はしてこなかったが、かなり落ち込んでいるのは想像できた。
椿は時々、土方の使いで簡単な買い物やいつも世話になっている商家の往診をすることがあった。
今日もそれで町に出る。
「椿。いいかこれを渡すんだ。絶対に知られるんじゃねえぞ」
「分かりましたけど・・・」
「なんだ、不服そうだな」
「だって」
実はここだけの話、斎藤は伊東一派の間者として隊を離れたのだ。
斎藤に対する近藤や土方からの信頼は大きかった。近藤の腹心とも言われるほどに。
近藤が伊東の動きを探るために斎藤を潜らせたのだ。
斎藤は寡黙な性格で余計な事は一切口にしない。
戯言も一切言わない。剣の腕も一流だ。
伊東はそんな斎藤を最初から気に入っていたのだ。
「だってもくそもあるか。伊東はお前と斎藤がデキてると思い込んでいるんだ我慢しろ」
「そうですけど」
「山崎にも話してあるから大丈夫だ」
「・・・はい」
土方は椿に斎藤との逢瀬を装わせ近況報告を交わそうとしているのだ。
山崎も時には坊主になり、時には物乞いになりと斎藤と密に連絡を取っているのだが、彼もまた忙しい。
その為こうして時々椿が、その任務を担う事になっている。
椿は早々に自分の用事は済ませ、土方から頼まれた斎藤との逢瀬へと向かった。
これはあくまでも演技なのだが椿はとても緊張していた。
任務だ!なのにとても悪い事をしているような後ろめたい気持ちになってしまう。
小さな寺の階段を上り、鳥居をくぐった先に斎藤の後姿が見えた。
椿は小走りで近づくと「斎藤さん」と声を掛けた。
ゆっくりと振り向く斎藤は僅かに口角を上げ、柔らかく微笑んで見せた。
決して他人には見せない笑みだ。
否、椿にしか見せないと言っても良いだろう。
「走らずともよい。ここに座ってくれ」
軒下の縁に腰かけると、暫くは他愛のない話をする。
「皆は変わりないか」
「はい、相変わらずです。でも、永倉さんは斎藤さんが行ってしまった事を暫く愚痴っていました」
「ふっ。あいつは離隊を強く引き留めていたからな」
「永倉さんは心が真っ直ぐですから」
「あんたは人の事はよく分かっているのだな」
「え?」
「自分の事は鈍感だというのに」
椿は顔を赤らめて「そんなことはありません!近頃は・・・」と最後は小声になった。
すると突然、斎藤が椿の肩を引き寄せた。
椿の頬が自然と斎藤の胸に当たる。肩に置かれた手には力が込められていた。
不覚にも『ドキリ』と心臓が跳ねる。
山崎はあまりこういう事はしてこない。
しかもいつも自分が座る側が、山崎と斎藤とでは違う。
彼が左利きだからかもしれない。いつもとは少し違う動作に戸惑ってしまう。
(ダメ、ダメ、これは演技。私ってば、莫迦)
「椿、顔が赤いが」
「え!そんなはずはありません。気のせいです」
そう反論するものの、赤い顔を隠すことは難しい。
斎藤はそんな椿が可愛く思えて、ついつい過剰に接してしまうのだ。
耳元に顔を寄せて「俺を煽っているのか」などと言ってくる。
「あ、あ、煽るわけ、ないでしょう!」
椿の両の目はうるうると湿りはじめ、これは少しやりすぎたかと反省をする。
「すまん。俺が悪かった。椿がどうも可愛くてな」
「もうっ!遊ばないでください」
「悪かった。こういう生活が続くとどうも、な」
いつも通りに過ごしているとはいえ、斎藤は間者だ。神経を使っているに違いない。
斎藤は孤独の中で新選組の為に働いているのだと思うと、責める気持ちが薄れていく。
「あの。私に出来る事ならやりますから。斎藤さんが困ったり、不安に思った時はその、お声を掛けて頂ければお力添えいたしますので」
さっきまで赤くなって怒っていたのに、もうこんなに真剣な眼差しを向けてくる。
斎藤は山崎が羨ましくて仕方がなかった。
「あんたに敵う者はそうはおるまい」
「へ?」
「山崎も凄い女を手に入れたものだな。土方さんでさえ手に負えぬだろう」
「それは、どういう意味ですか」
ぷぅっと頬を膨らませて、今度は拗ねて見せる。
子供の様にころころと表情を変える椿は斎藤には眩しかった。
「皆があんたを好いと思っている。目が離せぬのだ」
「それはいい意味で、ですか」
椿がそう答えると、ふわりと笑って「そう思ってもらって構わない」と言った。
斎藤は袖口から手を入れ、そっと椿に文を握らせた。
少し体温の低い手が触れただけでピクンと反応してしまう。
それを見て斎藤がまた笑う。
椿も土方から託された文を懐から出そうとすると、その動きを斎藤が制した。
「分からぬように出さねばならん。許せ」
そう言うと、斎藤がするりと椿の胸元の合わせに指を忍ばせ瞬時に文を抜き取った。
「さ、さ、さいっとうさん!」
茹であがったように真っ赤になった椿を見て、斎藤はまた笑う。
こうして逢瀬のふりをした密会は、斎藤にいいように弄ばれて終わるのだ。
寺の階段を下りた時に見知らぬ男とすれ違った。
「斎藤くんも隅に置けないねぇ」
伊東の一派だろう。どうやら疑われていないようだ。誰から見られているか分からない。
少し過剰だと思われる方が、はたから見れば普通の恋仲に見えるのかもしれない。
斎藤の思惑がそこにあるのかは分からないが、椿との逢瀬は上手く行っていた。
***
「土方さん、これを」
「おう。ご苦労だった」
文を読み終わると、すぐにそれを燃やした。証拠隠滅は基本だ。
「どうだ、斎藤との逢瀬は」
「ちょ!何を言っているのですか!」
「おまえ声が大きいって言っただろう。冗談だ、そんなに目を吊り上げるな」
「だって・・・」
土方は少し顔を赤らめて言葉を濁す椿に驚いた。
(まさか斎藤本気で口説いてやしねえだろうな)
「分かったよ、もう言わねえ。戻っていいぞ」
(今度、後をつけてみるか・・・)
真面目に椿の事が心配になった土方であった。




