儚きその身を救いたい
西本願寺に越してからも、椿は変わらずに土方の傍で仕事をしながら隊士の健康を管理していた。
最近は土方も局長と会津藩邸や松平容保に呼ばれ、屯所を空けることが増えた。そんな時は書簡や勘定帳簿を整理して過ごしている。
先日、松本良順から文が届き少しづつ蘭学を伝授してくれると知らせがあった。椿は数日後、良順に会うために大阪へ行くのだ。
「椿さんいますか?」
「はい」と障子を開ければ其処に沖田が立っていた。
「何でしょうか」
「今日は土方さん居ないでしょう?少し付き合ってほしい所があるんです」
「え、でも勝手に出て行くわけには」
「外ではありません。敷地内ですよ」
外に出るわけではないと言うので、椿は沖田の要望を聞くことにした。
顔は穏やかに笑みを含んでいるものの、何処かいつもの沖田と違う気がしてならない。何かを仕掛けてくるような雰囲気はなく、むしろ大人しすぎて気味が悪いほどだ。
「あの、どちらに?」
「・・・此処です。ここを曲がった先に会ってほしい人がいます」
「えっ!?」
沖田は「土方さんには秘密です」と言い残し去って行った。
どういうことだろうか。
恐る恐る廊下の角を曲がると小さな縁側と中庭が見えた。
その縁側には一人静かに座る人。
山南さん!?
山南は椿の気配に気づくと、ゆっくりと振り向き柔らかく笑った。
冬だというのに山南の周りだけは春のような、温かで穏やかな空気が漂っているように思えた。
「椿さん、わざわざすみませんね」
「いえ、その・・・お身体は」
ふっ、と笑うと「どうぞ」と自分の隣を開けた。
椿は山南の隣に腰を下ろし、身体を山南の方へ斜めに向けた。
「随分と心配をお掛けしたようですね」
「いえ。私が勝手にあれやこれや考え過ぎてしまって」
「気の病だと言う人もいますが、そう言われればその様な気もします」
「えっ!何処かどのように?滅入りますか?無性に腹が立ちますか?私に出来ることなら何でもしますから、些細な事でも仰ってください!」
椿は山南と向き合える事に喜びと責任に似たものを懐き始めた。
つい、大きな声で山南にのしかかる勢いで言ってしまったのだ。
「す、すみません」
「ふふふ、ははは」
「!?」
山南が声を出して笑うなど思ってもみなかった。
「椿さんが医者になったのは正解ですね」
「?」
「医者は目に見える傷を治すのは然り、目に見えぬモノも癒やす事が出来るのは天性。あなたはどちらも兼ね揃えています。あなたは新選組には無くてはならない人です」
「大袈裟です」
「私は本当の事を言っているのです。もっとご自分の能力を自負しても良いと思いますが、それが出来ないのがあなたの良い所なのでしょうね」
少し蒼白かった山南の顔色が日に当たった所為か、僅かに赤みが射して見えた。
「山南さんとは池田屋以来お会いすることが叶わなかったので、私はとても嬉しいです。こうして話す機会が出来て」
「そうですね。土方くんが居ないのも偶にはいいですね、あなたと話が出来る」
山南の口調は何かを悟りきったように穏やかだった。
それが逆に椿の不安を掻き立てる。もっと不満を言ってもいいはずだと。
「山南さん?」
「はい」
「私は個人的な話は誰にも報告しません。今は休憩中ですから何でも話してください。土方さんの悪口でも、局長の愚痴でも、えっとご飯が不味くてダメだとか、何でも」
「・・・」
山南は目を大きく開いて椿をまじまじと見つめた。
この女性は全くの恐いもの知らずだ、初めて屯所で見かけた時の事を思い出す。
「椿さんは本当に恐いもの知らずですね」
「そ、そうですか?」
「局長や副長の悪口なんて、死んでも言えませんよ普通。此処には泣く子も黙る規則(局中法度)があると言うのに。あなたと来たら、困った人ですね」
そう言うと山南は肩を揺らして笑い出した。
椿の真っ直ぐな気持ちが痛い程に胸に突き刺さったのだ。しかしそれを笑う事で回避したのだ。
※局中法度
一、士道ニ背キ間敷事(武士らしい行動をせよ)
一、局ヲ脱スルヲ不許(新選組から脱走するな)
一、勝手ニ金策致不可(勝手に借金をするな)
一、勝手ニ訴訟取扱不可(勝手に裁判をするな)
一、私ノ闘争ヲ不可(私闘をするな)
組織の長の悪口を言えば、士道に背きに値するだろう。
それを侵したものは如何なる者でも切腹である。
「そ、それは土方さんの都合の良い決まり事です。此処だけの話なんですから切腹なんてさせませんっ!!」
山南は笑うのをすっと止め、真剣な眼差しで椿を見つめる。
椿も表情を整え、姿勢を正し山南に向き直った。
山南は目を細めながら口をゆっくり開いた。
「私はあなたには幸せになってもらいたい。軍医などならずに穏やかに暮らしてほしい。医者として多くの民を見守ってほしいのです」
「それは・・・」
「それでもあなたは軍医の道を選んだ。戦になれば従軍しなければならない、女のあなたには過酷すぎるものです。それも承知なのですよね?」
「もちろんです」
「何故?」
「此処に誓ったからです」
椿は手のひらを自分の胸に当てて見せた。山南の瞳を真っ直ぐに見つめて、力強くそう答えた。
山南は目を閉じ暫くして、再び瞼を上げる。
「ありがとうございます。あなたと話が出来てよかった」
春の日差しのように優しく笑った。
椿のその言葉に何を感じ取ったのか。
少し休むと言う山南に「また来てもいいですか」と椿が問いかけると、にこりと笑い頷いた。
部屋に戻る山南の背中が透けて見える程、儚く思うのは何故だろうか。山南の心の傷をどうにか癒したい。
そればかり考えていた。




