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山崎さんを知りませんか?  作者: 佐伯瑠璃
第一章 医者として
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しばらくの間は離れ離れ、だから・・・

結局、椿は山崎の部屋の前までやってきた。

声を掛けたが返事はない。ならば待ち伏せをするしかない。


「すれ違いになるといけないから、ここで待たせてもらいます」


風が秋の匂いを運び、心地よい風が吹き抜けるこの廊下で柱を背に寄りかかってみる。

江戸までどれくらいかかるだろうか、そしていつ戻ってくる事が出来るだろうかと考えてみる。

年内には戻れるだろうか・・・


「はぁ・・・」


つい、溜息を漏らす。考えれば大阪で出会い、今の今まで何だかんだと近くにいたのだ。

顔が見れない、声も聞けないと考えると不安と寂しさが湧いてくる。


「椿さん」


顔を上げるとそこには頬を緩めた山崎が立っていた。

土方が椿にしかあいつは笑わない、俺もあいつの緩んだ顔が見てみたいもんだと言っていた事を思い出す。


「俺の事を探していたと」

「そうなんです。やっと見つけました、ではなくて見つけてもらいました。ですね」

「話があるなら中で」

「はい」


椿が自分の部屋の前で待っていたことを嬉しく思いながら、部屋に通した。

しかし椿はどこか浮かない表情だ。気持ちを落ち着けるかのように深呼吸をした。


「何かあったのですか」

「実は・・・」


先ほど土方に言われたように、自分も江戸へ行かなければならない事を告げた。

本当は京で山崎の帰還を待ちたかったが、屯所が手薄だという事情から土方が決めたのだと。


「そうでしたか・・・そうですね。副長と一緒の方が安全かもしれません。屯所は確かに人手不足で攘夷派の動きも激しくなっていますから」

「そうですよね」


本当は山崎と一緒に行きたい、しかし場所は長州だ。いくら商人の身分で入るとしても何かあっては自分が足手まといになるのは間違いない。遊びではない隊務で赴くのだ。


「山崎さんはいつ此処を立ちますか?」

「俺は、明日の朝、大阪へ向かいます。いつ戻れるかは正直今回は予測がつきません」

「明日、ですか・・・」


いつもの元気な声が小さくなるのを聞いて、山崎は椿の手を両手で包むように取った。


「椿さん、暫く会えませんが互いにすべき事を全うしましょう。いつも椿さんの事を想っています」

「はい。私も山崎さんの事を毎日想います」

「江戸までは半月以上はかかるでしょう。見たことのない景色や食べ物を十分に楽しんで来てください」

「ふふ、遊びに行く人みたいですね」

「それくらいの気持ちで行ってきてください。他は副長がなんとかしてくれます。それに江戸は幕府の御膝元ですから京よりは安全ですよ」


山崎は出来るだけ椿の不安を取り除いてやりたかった。

きっと楽しい事ばかりだと子供に言って聞かせるように。


「・・・」

「椿さん?」


黙っていた椿が眉をぎゅっと歪めて山崎を見上げた。その小さな唇を噛みしめて。

どこか不満げなその様子を山崎はどうしたらよいのか困って見ていた。

すると突然、倒れ掛かるように椿が山崎に抱き着いてきたのだ。

椿の両腕は山崎の腰に回されている。


「椿、さん」

「すみません、少しの間このままで」


いつか自分が椿に似たような事を言った気がすると、苦笑いで受け止める。

山崎がその小さな背中をトントンと子をあやすように叩くと、椿の手はぎゅっと山崎の着物を握り返してくる。

胸の辺りにある椿の顔は何処か一点を見つめていた。

すると椿はゆっくりと姿勢を戻しながら口を開く。


「考えたくないのに我儘な言葉ばかりが頭に浮かんできます」

「それは、どんな?」

「言ってもいいですか?」

「言うのはただですよ」


椿が言い易いように、ほんの少しだけおどけるように言ってみる。


「本当は私も長州に行きたい!」

「っ!」

「本当は山崎さんについて行きたいんです。顔も見れない、声も聞けないのが嫌なんです。長州の女性は美しいだけでなく賢くて強いと聞いたことがあります。山崎さんを取られてしまうかもしれない。それは絶対に嫌なんです!私が土方さんの次に山崎さんを見つけたんですからっ」

「土方さんの、次、ですか?」

「はい。残念ながら土方さんが先でした・・・」

「ふ、はははっ」

「山崎さん?」


こんなに真剣なのにどうして笑うのだと、不満げに山崎を見上げる。


「すみません。あまりにも椿さんが正直で、つい。こんなに正直で可愛らしいひとがいるのに他の女の人を見るわけないです。それに俺は好かれる顔じゃありません。誰も寄ってきませんよ」

「・・・」


椿はまだ納得していないと表情は硬いままだ。

それを見た山崎はゆっくりと口角を上げた。

山崎がこんな顔をする事は滅多にない、否、一度もないはずだ。

口角をゆっくり上げるなんて、思わず沖田の顔が思い浮かぶ。


「な、なんですか」

「椿さんがまだ信用していないようなので、証を作ってもらいます。いいですか?」

「証を作るって・・・なんですか?」

「俺があなたのものだという証ですよ」

「・・・!?」


山崎は椿から一歩離れると、着物の合わせを自らの両手でぐっと広げた。

程よく鍛えられた男の胸が椿のちょうど目の高さに現れたのだ。


「あ、あ、あか、あかし」


証って・・・まさか!! 

椿の心臓はどきどきを越してばくばくと鳴る。

皮膚を突き破って飛び出してきやしないだろうか。


「椿さん、俺に妙なむしが付かないように・・・して、くれませんか?」


山崎のその声は決して冗談で言っているものではなかった。

椿の顔は沸騰しきったように赤くなり、そしてその胸から目が離せなかった。


「嫌、ですか?」


その聞き方は本当に狡いと心の中で叫ぶ。

分かっているくせに。だって、嫌ではないのだからっ!

目をきゅっと瞑り、ゆっくりと開く。


一歩、近づく。

襟元を掴むように手を添えた。

--------。

沈黙が痛い。

自分の心臓の音しか聞こえない。

山崎は導くように椿を自分に引き寄せた。

そして唇が山崎の胸に・・・ちゅっと、触れた。


「んっ・・・ん?」


椿は固まっている。

山崎がそっと上から様子を覗うと、恥ずかしそうに顔が上向いた。

その瞳は困惑と緊張でうるうるしている。

山崎はあえて何も言わなかった。椿がどうするのか見ていたかったからだ。


「あの」

「ん?」

「どうやったら、印がつくんですか」


『えぇっ!』と言いたいのをなんとか堪える。

どうしてこの人はこんなに愛らしいのか!

ぐんぐん込み上げてくる愛情という名の泉が山崎の心を溢れんばかりに満たして行く。

めちゃくちゃにしてしまいたくなる衝動を、山崎烝が持ち合わせる全ての理性で押さえ込み、椿の背中をもう一度抱き寄せた。


「どうやったらつくと思いますか」

「わっ、分からないから聞いているんです」


椿は焦った、これは完全に山崎の間合いに引き込まれているのではないかと。

こんなふうに意地悪く聞き返してくることはなかった。

楽しそうに、しかも心なしか声が黒い。


「では、お教えします」

「へっ」


素早く襟元を寛げられ、いつかの夜のように山崎が椿の胸に顔を埋めると、あっという間に椿の胸元に赤い印がついた。


「あ、え?うそっ」

「分かりましたか?」

「えっ・・・」

「思い切り」

「思い切り?」

「吸ってください」

「す、すっ!?」


こくりと頷く山崎は何度見ても真剣そのものだ。

これはやるまで逃げられない?どうしてこんな事になったのか。

もう考える事を放棄した椿は意を決して、力の限り吸ってみた。


「ふっ、ふふ。ふはっ、はは」

「山崎さん!!」

「す、すみません。俺、はは。くすぐった、はは」


何度か試したが、全く痕はつかなかった。

悲しそうに眉を下げる椿を見て、山崎はもう一度ぎゅっと抱きしめて解放した。


「椿さん、もう十分です。此処にあなたの印が刻まれました。だから大丈夫です」


山崎は自分の胸元を指でトントンと突きながらそう言った。


「本当ですか?」

「はい」


それは山崎が初めてお日様のように破顔して笑った日だった。

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