さあ、慰めましょう!労いましょう!
二日後、大阪付近まで進軍していた新選組が帰ってきた。
島田からの報告の通り、怪我人も殉職者もおらず皆無事だった。
一般隊士達は中庭に通し、そこで足を清め各部屋へと一旦戻した。
その役目は椿以外の者たちが担った。
椿には近藤を宥めるという重要な任務があったからだ。
「ふぅぅ」と大きく息を吐いた。緊張を和らげる為に。
玄関からは続々と幹部級の面々が上がってくる。
それに軽く会釈しやがら「お疲れ様でした」と言葉を掛ける。
まだ、土方や近藤の姿は見えない。
「お!椿。元気にしてたか?」
原田がいつもの調子で頭をひど撫でして上がる。
椿は「はいっ」とにこやかに返す。
「椿さん、何だかいつもと顔が違いますね。顔が強張っていますよ」
「沖田さんお帰りなさい。はぁ、緊張しているんです」
「何に?」
「・・・局長の帰還に」
「近藤さんに・・・?」
不思議そうに首をかしげたまま部屋に戻って行った。
それから、斎藤、永倉、藤堂、武田と顔を合わせたがいつもと変わりのない様子だった。多少の疲労は有るのかもしれないが。
「あれ?皆さんは変わりないですね」
その時外から声がした。 土方だ!
「椿、今帰った。近藤さんは直ぐに来る。頼んだぞ」
「はい」
局長が間もなく帰ってくる。どんな表情をしているのか。
池田屋へ出陣した時のような形相だったらと考えただけで気持ちが萎える。土方とはまた違う鬼の顔を持っているからだ。
いつも怒っている人より、普段温厚な人ほど怖いのだ。
それはある意味、山崎にも当て嵌まる。
「椿さん」
「はいっ!」
思わず直立不動で返事をする。
「えっ」と驚く声に我に返ると、そこには山崎がいた。
椿は強張っていた神経が一瞬にして解れていくのが分かった。
「山崎さーぁぁん」
思わず情けない声が出てしまった。
「椿さん、何ですか?その声」
ぷっと軽く吹き出して笑う山崎がまるで天使のように見えた。
実際、天使などというものは見た事はないが、異国の書物に書いてあったのを思い出した。天使を見たものは幸せになると。
まさに今がそんな感じだ。
「こ、近藤さんのお世話を託されたので・・・緊張していて」
「局長の?」
「はい」
珍しく椿が眉を下げ困っている。いつもなら何とか成る!と勇んで何事も対処するのに。
「椿さんにも難しい事がありましたか」
「そのようです」
「では、上手くやれたら俺が労いますよ」
「本当に?」
「はい」
「では、がんばります!」
上手くやれたら山崎が労ってくれるらしい。単純に気分上昇した椿は意気揚揚と「よしっ!」などと気合を入れている。
どうやって労ってくれるのかを聞かない所が椿らしい。
本当に単純だ。
そしていよいよ、近藤の登場だ。
体格の良い近藤が前に立ったのが分かった。
手を付き頭を下げ「ご無事の帰還お待ちしておりました」と告げた。
「うむ」
「こちらへお掛け下さい。足を清めますので」
近藤を上がり口に座らせ、桶と手拭いを持ち椿自ら清めようと近藤の足元に腰を落とした。
「やってくれるのか?」
「はい。あ、御御足を触られるのは嫌でしたでしょうか」
「否、私は構わんが。椿くんは嫌だろう」
「いえ、どうぞお疲れでしょうから少し按摩もしますので」
「では頼もうか」
少し熱めのお湯で足を洗い、ツボに沿って指圧をしていった。
足にはたくさんのツボかあると言う事を山崎から聞き、それを頭に叩き込んでいたのだ。
「ああ、風呂に浸かっている気分だ」
近藤はかなり気持ちが落ち着いているように見える。
第一関門突破だ。
清めが終わると、近藤は自室へ戻った。
その後、お茶を手に部屋を訪れ今夜の夕餉には労をねぎらいたいので酒を出しても良いかと許可を求めた。
「少しくらいなら良いだろう」
「ありがとうございます」
近藤は医者である椿が、自分たちの為に心を尽くしてくれている事にひどく感動していた。
同時に女の顔を見た気がして何処か心が落ち着かない。
「椿くんはいつの間にか女になったな。まずいな」
何がまずいと言うのか。近藤の悪い癖が顔を出し始めたのではないのか。京に上がってからは妾を二人ほど娶った。
その度に土方はため息をついたものだ。
夜になり、夕餉の膳と一緒に酒が出された。一般隊士とは別に幹部たちは膳を囲むのでそれほど人数は多くない。
椿は柳大夫に教わったように、近藤の右側に腰を下ろした。
「下手で申し訳ないのですが、お酌をしても良いでしょうか」
「ああ構わんよ。椿くんの酌なら安い酒でも美味くなる」
近藤はご機嫌だ。柳大夫の教えは物凄く力を発揮している。
近藤に対しては、【してあげましょう】ではなく【私下手ですけど、してもいいですか?】の態度が持ってこいだとか。
近藤のような自尊心の強い俺様な男は、初めてを匂わす不器用だか何事にも一生懸命な態度に弱いらしい。
要は俺が育ててやろうじゃないかと気分が上がるのだ。
これは近藤にだけでなく、お役所などのお偉い様は大抵これで堕ちるらしい。
「皆も遠慮なく飲んでくれたまえ!」
わははと笑い、今回は不甲斐なかったが皆の働きは褒めるに値するとまで言っていた。
椿はちらりと隣に座る土方の顔を見た。
「おまえ、なかなかヤルじゃねえか。助かった」
と、小声で言ってきた。
「で、土方さん。この後はどうしたらいいんですか」
「は?それは・・・その、近藤さん次第だろ」
と、もごもごと歯切れの悪い言い方をする。
「どう言う意味ですか?局長しだいって?」
土方が更に声を潜めて、耳打ちをしてきた。
「もしもだ、もしも近藤さんが部屋に来いって言ってきたら」
「言って、来たら?」
「行くしかねえんだよ」
「それで?」
「おまっ、相変わらずだな。お前の事偉く気に入っちまってるからな・・・あれだ。喰われちまうかもしれねえな」
「喰われる・・・、・・・ええ!!」
「冗談だ」の言葉を聞く前に椿は叫び、その声が部屋に響く、当然皆が椿に注目する。
土方は何事も無かったように魚をつついている。
「椿くんどうした」
近藤が心配そうに椿の顔を覗き込んできた。近いっ!
思わず仰け反ると、隣にいた土方に後頭部で頭突きをした。
ゴッ! 不意を突かれた土方は「うおっ!」と体制を崩す。
一瞬、支えを無くした椿は当然そのまま後ろに倒れていく。それを防ごうと近藤が椿の腕を掴んだ。椿は更に焦って近藤から体を離そうとし土方に背中から乗り上げる。
「おい、ちょっと、待てっ」
幹部たちは箸を持ったまま、猪口を口に付けたままその光景をただ、ただ見ているだけ。三人がゆっくりと折り重なって行くのが見えた。
バタッ、ドタッ、「痛ぁ」、「痛ってえ」、「うっ」
下から順に、土方、椿、近藤が重なって倒れている。
時が止まったように驚きで誰も動く事が出来ない。
そこへ、
「お待たせしました。追加の酒を」
障子を開けて山崎が入ってきた。山崎は視線をそれに向けた。
原田は見た、沖田も見た、藤堂も見た。
山崎の右の眉がぎゅっとしなり、眉間に皺が激しく寄った。
(山崎が怒っている!!)
スッと立ち上がった山崎は無言で三人に近づく。
背中にメラメラと炎が立ち昇るのが見えた、気がした。
これは、マ・ズ・イ!!!




