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山崎さんを知りませんか?  作者: 佐伯瑠璃
第一章 医者として
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非番の楽しみ方~お宿を取りましょう〜

山崎との遠出が単に嬉しくて仕方がない椿と若干精神的に疲れた山崎は渡月橋へやって来た。

梅雨の季節の為、川の水は多く山々は青々としていた。

両脇には川、その真ん中を一本の橋が架かりその先には山々が連なる。

こうして歩いて先の山を望むと吸い込まれそうな気がした。

思わず自分の襟元をギュッと握る。


「どうしました?」

「景色が綺麗でなんだか体が吸い込まれそうな気がしたんです」

「ああ、何となく分かります。人間は小さな生き物だと感じます」

「はい」


すると山崎は視線を椿の手に移す、「ん?」と首を傾げる椿に苦笑しながらもその手を取った。


「椿さんが持って行かれないように」

「え?ふふっ。ありがとうございます」


引かれて歩くではなく、同じ速さで同じ景色を見ながら歩く。

普段は口数の少ない山崎だが今日は違った。

「あの薬草は傷口が塞がるのを助けるんです」「これは消毒に使えますよ」「これは胃薬にもなる」

山崎の実家は薬問屋を営んでいたらしく、薬草にも詳しかった。


「山崎さん!凄いです。もしかして、私より医者らしいのでは・・・」

「まさか。俺は針と薬しか知りませんよ」


「本当ですかぁ?」と、疑うように半目で山崎の顔を覗き込む。

山崎はそんな椿のころころ変わる顔を見て「ふはっ」と笑いだす。

それを見た椿も「ふふっ、はは」と笑い始め、宿につくまで互いの顔を見て笑っていた。

これこそ土方が見てみたいと思っていた山崎の笑顔なのだ。


宿の前まで来た所で、山崎はチラッと建物の裏に何かを感じた。

(何処かで見た事のある男がいたような・・・)


「すぐ戻りますので、此処で待っていて下さい」

「ん?はい」


何だろうと山崎の背中を見送っていると、中から女将らしき人か声を掛けられてしまった。


「おいでやす。あんさん一人?」

「いえ直ぐにもう一人来ます」

「なら中でお待ちください。降って来ますよ?」


女将は空を見上げて、雨が降るから中で待てと言っている。

どの道ここの宿に泊まるのだろうから先に入っていよう。

雨に降られながら外で待っていたら、山崎はきっとバツが悪そうに眉を下げて「椿さん、すみません」と言うに違いない。


「では、中で待たせてもらいます」


女将は他の使用人に指示を出し、どうやら自分たちの部屋が整えられている事に気がついた。


「あのっ、私まだ何も」

「お連れはんは男の方やろ?目のしゅっとした、ええ男やね」

「え、あ・・・」


真っ赤になった椿を見て女将は目を細めた。

(この娘、まだ男を知らんのやね)

テキパキと動いていた一人が皿を割った。女将は叱ることはなく、片付けはしっかりとしなさいとだけ言う。

お客様が怪我でもしたら大変だからと。


「すみません」と謝り、直ぐに片付けにかかるその女の指からは血が滲んでいたのが見えた。

椿は咄嗟に懐から手ぬぐいを出し、縦に細く裂いた。


「失礼します」

「え?」


驚く女をよそに手早く止血を施すと、その手際の良さに周りは唖然とする。


「お客様にこんなこと。ほんますんません!」

「あ、ごめんなさい。こちらこそ勝手に割って入って」

「あんさん医者みたいやね」

「はは、実はそうだったり、します」


「女の癖に医者なんて目指して何を惚けて」と言われるのだろうとつい癖で目を伏せる。すると女将は「大した度胸やね」と笑った。


「随分と苦労したんやろ?」

「いえ、自分が選んだ道ですから何とも」


椿のその物言いだけで女将は分かったように頷いた。


「これからは女も手に武器を持たないかん。いつお上が倒れるかわからん時代やさかい」

「えっ」

「それより治療のお礼をさせてもらいます」

「そんなつもりで手当をしたんじゃありませんっ!ただ、止血しただけてす!」


椿はつい、つい声を荒げてしまう。悪い癖だ。

「気に、なさらないで下さい」と今度はしゅんと小さくなった。

女将は「ふふっ」と笑い、椿にこう言った。


「こんな可愛らしいと旦那さんも離しませんやろね」

「だ、旦那さんって!え!あ、その」

「特別にお安くしときますさかい、今晩はお気張りやす」


あわあわと仰け反りそうになる椿にまた女将は笑う。

すると後ろから声がした。


「椿さん!中に居たのですね。よかった雨が降って来ましたよ」

「あ・・・」


山崎は椿が中で待っていた事にほっとした。ゆっくり近づくとどうも様子がおかしい。顔を真っ赤にして、口は開けたり閉じたりするだけで言葉は発しない。これは何処かで見た光景だなと山崎は思った。


「やっとお連れさん来られましたね。では、足を清められてお上がりください」


流れがいまいち掴めないが、どちらにしろ此処に空きが有れば取るつもりだったのたからと言われるままに上がった。

相変わらず椿は何処か余所余所しい。


「椿さん、大丈夫ですか?」

「山崎さんっ。っ!大丈夫です!」


びっくりするくらい大きな声で返事が返ってきた。

前を行く女将は肩を揺らして笑っている。声を必死に堪えて。


「こちらです。夕餉は準備が整い次第お持ちします、湯浴みはこの先の突き当り。男女別になっております。お先にお入りください。」


説明が終わると女将は静かに障子をを閉めた。

二間繋がりの部屋だ。襖の向こうは恐らく、否、絶対に寝床だ。

椿はどうも落ち着かない。女将の「今晩はお気張りやす」が頭の中をぐるぐると回っているからだ。


山崎は山崎で戸惑っていた。

同じ部屋だ・・・でも、椿が望んで取ったのだから男の俺がが拒むなどすれば彼女が傷つく。いや、むしろ嬉しいかもしれない。

いや、しかしっ。もう軽く混乱している。


実際は女将が勝手にした事を山崎は知らない。

山崎をここまで混乱させる人間はなかなか居ないだろう。


「お、お風呂いただきましょう」

「あっ、ああ」


何故か二人は目を合わすことが出来ない。

無言で風呂の支度をした。


お宿が準備してくれた寝巻き用の浴衣を手に、それぞれ風呂に向かった。突き当りに殿方、姫方と分かりやすく書かれた暖簾が見える。

どう声をかけたら良いか分からぬまま、二人はぎこち無く分かれて入ったのだった。



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