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山崎さんを知りませんか?  作者: 佐伯瑠璃
第一章 医者として
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さしむかふ心は清き水鏡・前

土方さんもう一句お借りしますっ。

季節は夏に入る。

湿気が高く茹だるような暑さは京都ならではのものだ。

隊士の約半分が江戸から連れ立った者たちだった所為か、慣れずに体調を崩すものが多かった。


「大部屋が殆どですね。やはり伝染してしまうのですね」


椿は往診に来て愕然とした。

腹を壊し嘔吐の繰り返しで体力が落ち、自身の身を清潔に保つこともままならなくなっていたのだ。

椿は布で自分の口と鼻を覆い、患者たちの治療に尽くした。

休む暇もなく、昼夜を徹して対応に追われてた。


「椿、すまんな。無理させて」

「土方さん、私は大丈夫です。それより動ける隊士が少いので、元気な皆さんまで具合が悪くなるのではないかと心配です」

「そうなんだ、こんな時に限って捕物(とりもの)が起きたりするんだ」


土方もこの状況に頭を痛めていたのだ。

組長級は個室だった為か、幸い皆元気だった。


「副長」

「山崎か、入れ」


すっと障子を開けて山崎が入ってきた。

久しぶりに山崎の姿を見たが変わりなく血色もよかった。

椿はその顔を見て胸を撫で下ろした。

一瞬、二人は視線を合わせる。

その時だけは山崎もほんの少し表情を緩めるのだ。

土方はそんな二人をむず痒い思いで見ていた。


「私はこれで失礼致します」

「おう、ご苦労だった。」


山崎がこの部屋に来ると言う事は、何かしらの情報を握ったという事だ。これ以上の居座りは新選組の機密に触れることになる。

椿は分をわきまえている、静かに退出した。


あんなに暑かった日中も日が落ちれば随分と過ごしやすくなる。

これなら隊士たちも寝苦しさから開放さらるだろう。

夜も屯所に詰めて碌に睡眠も取っていない、心地よい風が椿を夢の世界へ誘う。


心地よすぎて忘れていた疲労がどっと噴き出して来たように、身体が怠くてたまらない。今日は診療所に帰って休もう、でも身体が動かない。


「ねむぅ・・・ちょっとだけ」


縁に腰掛けていた椿は柱に身体を預け目を閉じだ。



土方に報告を終えた山崎が何日振りかの自室へ向かう。

薄暗くなった廊下に小さな影がひとつ。

そっと近づくと、その影は椿たった。


「椿さん?」


椿は眠っていた。後ろで簡単に纏められた髪は少し乱れ、顔を隠すように頬に流れていた。

土方から最近の屯所の様子も聞かされていた山崎は、その中で気丈に立ち振る舞う椿の姿を想像した。


「椿さん?風邪ひきますよ」


声を掛けても起きる気配がない、よっぽど疲れていたのだろう。

山崎は少し考えて椿の肩に手を置き揺らした。


「椿さん、こんな所で寝てはいけません。椿さん」

「ん?あっ、ごめんなさい。寝てました」

「立てますか?送ります」


椿は頷いて、手をつき立ち上がろうとしたが力が入らない。

どう体重を掛けて寝ていたのか?

腕と右脚が痺れていた。


「え・・・」

「どうしました」

「山崎さん、痺れてしまいました」


そう言って、ケラケラっと笑う椿の顔に山崎は釘付けになった。

本当は疲れて身体が辛いはずなのに、こうして笑ってみせる。

ここ数日の任務で気を張り詰めていた山崎の心が、椿にゆっくりと溶かされてゆく。


「ぷっ、くくっ」 山崎が笑った。


今度は椿がその笑顔に釘付けだ。

山崎さんが声を出して笑った!!


「おぶってあげますよ。ひとまず部屋でやすみましょう」


山崎は「失礼します」と椿を背負い自室に向かった。

誰かにこうしておぶさるなんて、いつ以来だろうか。

もう遥か遠い幼き頃の記憶しかない。


山崎の背中は思ったより広く逞しく、そして温かい。

一定の揺れが再び椿を眠りに誘う。

「もうダメ」こてりと頭を背中に預け暫しの眠りに入った。



山崎は土方に薩摩、土佐、長州に不穏の動きありと報告している。

内部調査、いわゆる間者(密偵)の洗い出しで分かったことだ。

そう遠くない将来に大捕物が行われる可能性がある。

新選組が名を挙げるに持ってこいの機会だ。

そうなると戦紛いな状態になる。

土方は貴重な隊士を減らさぬよう、医者を後方に控えさせたいと言っていた。それも新選組を理解し、外部との接触を断てる者。


「副長、まさか椿さんを」


少し間をおいて「ああ」と返事が返ってきた。

土方は伊達に鬼の副長を名乗っていない。

新選組の為なら使えるものは使う、使えなくなれば潔く捨てる。

戦になれば医者である椿を従軍させかねない。


「椿さんは女ですよ」

「女だか医者だ。それも新選組のな」


山崎は左眉をぴくりと僅かに揺らした。

動揺している時にする表情だ。土方はその変化を見逃さなかった。


「あいつは新選組の優秀な専属医だ。あいつの上司は俺だ」


山崎は土方の意志が堅い事を承知していた。

新選組という言葉を椿に対して二度も使ったからだ。


「出過ぎた真似を、致しました」

「近々、屯所内に椿の部屋を作る。外出時には腕の立つ隊士を二名付ける。椿の命は新選組が預かる」



自分の背中で寝入ってしまった椿。

笑うと太陽のように温かい彼女を闇が覆うかもしれない。

もしもあの時、鍼灸の指南を断っていたら彼女は新選組になど関わらずに済んだのに。


副長の決定を覆す事は出来ない。

この流れを止めることは誰にもできないのだ。


椿を背負う腕にぐっと力を入れた。

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