汗血行路
それはもう、異様な光景だった。壁から手が生えており、その前に手を握りながら祈る様に泣いている少女が一人。いっそ絵画のようにも見えるその情景は泣き声で色塗られていた。
「誰か、誰か助けてください。」
少女が泣いている。状況は分からないが、彼女一人では何ともならなかったのだろう。周囲に気を逸らすこともなくただ、ひたすらに祈り続ける。口の中で何度も何度も。誰か、誰か。
「おい!」
僕は駆け寄る。しかし僕など目に入らないように少女は取り乱して泣きながら手を放そうとしない。ここまで見ればいくら僕だってはっきりわかる。これは彼女の姉で、恐らくは転移の罠の誤作動で壁に埋まっているのだろう。この状態で生きているのかどうかすらわからない。いや、死ねばスタート地点にリスポーンされるはずだ。生きているというのか、こんな状況で。まるで僕の頭は火が燃え移ったかのように熱くなった。
「あ。」
そこで初めてこちらに気が付いたようにパイロスターターがこちらを見上げた。
「お姉ちゃんを、お姉ちゃんを、どうか助けてください。何でも、何でもします。私は何でもしますからお姉ちゃんをどうか助けてください。」
「わかった。ボクに任せておけ。」
まだ、何も考えていないがこんな状況を運営に報告して運営の作業を待つなんて僕にだってできない。とっさに思い浮かんだのはカンナだった。あの力強い少女であればいったいどうするか。そう考えた瞬間に頭が冷えた。そうだ、僕はここでなんとかしなければならないのだ。
彼女をとりあえず引きはがし、理解できるかどうかすら分からないがその手のひらに指で描く。
「ログアウト。10分後に再ログイン。」
3回ほど繰り返すとその手は揺らぎ、消え去った。壁に穴が開いているということもなく、何もなかったようにただの壁が、周囲と変わらないようにそこには佇んでいた。
「お姉ちゃんは助かったの?」
「いいや、まだだ、再ログインが始まればまた壁の中からの可能性が一番高い。壁を壊す。」
「壁を!?そんな事出来るはずが、ここはダンジョンなんだよ?!」
いいや。声に出さず僕は心の中でつぶやいた。僕は知っている。壁を壊すくらい訳のない人間を一人知っている。でも彼女には偉そうに説教したばかりだ。君だけが強くなっても意味がない、PTプレイ、今思えば上っ面だけの言葉だ。力がなければこんな理不尽にも対応できない。落ち着け。残り時間はあと9分。
「パイロスターター。君も一度ログアウトしてもいいぞ。外でなら姉に会えるぜ。」
「それは。」
悩むように言葉を、口の中で転がす。
「私にも出来る事はあるはず、私のお姉ちゃんを助ける…助けるお手伝いをさせてください。」
頭を下げる、真摯に。正直に。力不足を理解しながらなお、踏みとどまる。それは美しい行為だ。
先ほどから起動させていた地図スキルから残りのPTメンバーの位置を算出する。
「覚えて、少し長くなるけどこの通路を右に曲がり…。」
忍者とロッサの場所を教える。何が起こるか分からない今の状態では合流こそが最優先だ。
「リコリスは?」
「僕はカンナと合流する。というよりは5分もしないうちにカンナの通路からこっちに合流してくるはずだ。それまでここで準備する。」
「私に、ここで出来る事はない?」
「僕の事を信じられるならカンナが失敗した時の備えて忍者の知恵は必要だ。信じられないならここに残って僕の作業を見ていればいいさ。」
「…いく。」
ここから、忍者とロッサの居る地点までは近くはない。場所は教えたが道を間違えたりすれば一発で迷子だしよしんば合流できても10分でここに帰ってこられるかは不明だ。それでも彼女は行くと決めた。ならば祈ろう。彼女の行く道が血と汗によって開かれる道がせめて攻略可能な難易度であることを。
残り時間8分。全ての流れは始まったばかりで僕たちはまだ何も成し遂げられていない。でもここからが本当の戦いなのだ。
僕たちの戦いはこれからだ。




