20.戦友
何もすることがない。と、いうか手につかない。
僕はゴロンと畳に寝そべった。
昨日、僕はハジメの言葉に頷きそして雨の中、倉尾の家に帰ってきた。1日たった今日も雨が止む気配はなく、縁側の外でシトシトと降り続いている。
終わってしまった。
ハジメと明日花を巻き込んで、熊本警部や小泉さんにわがまま言って、小林さんにも会って、なのに中途半端に終わらせてしまった。
やめるのはとても簡単で、心の鉛もとれると思った。だけど、鉛は相変わらず僕の心を沈ませる。
父さん…ごめん…
「光太! 起きなさい!」
いつの間にか眠ってしまっていた僕を、母さんが揺する。
「…なに?」
「なに?じゃないわよ!昼間っから寝て!」
「いいじゃん、別に。昨日も出掛けてたんだから、今日くらいゆっくりさせてよ」
ゴロンと寝返りをうって、母さんから顔を背けた。そんな僕の隣に、母さんは腰をおろした。
「あんた、どうしたの? 昨日から変よ」
「何でもない」
母さんは、小さなため息をついた。
「ねえ、光太。あんた…
「母さん」
僕は母さんの言葉を遮った。
「母さんは、礼子さんが憎い? …ぼくは憎いよ」
僕は起き上がって座り直した。母さん、驚いてるみたいで、少し険しい表情で僕を見つめた。
「そうね…。少し前までは憎んでたわ。大っきらいだった。実を言うと母さん、父さんと礼子さんの密会現場を何度か見たことがあるのよ」
「えっ!?」
今度は僕が驚く番だった。だって、てっきり母さんは礼子さんのことを全く知らないものかと思ってたから。
「私より全然若くて、きれいで、お洒落で。嫉妬もしたし、それこそ2人の前に出ていって、ビンタしてやろうかとも思ったわ」
こわっ。そんなことしてたら、どうなってたかな…
母さんが思わず、自分のことを『私』って呼んでるところから考えても、母さん相当悔しかったんだろうな。
「多分、彼女も私の視線に気付いてたはずよ。気付いてて、私に見せつけるようにイチャイチャしたり。本っ当イライラする女だった。だから私も、出来る限り父さんとの夫婦仲を見せつけてやることにしたの」
うわっ、こわっ。女のバトルってやつ?
「もうほとんど私も意地だったわね。彼女も結構必死だったみたいよ。そこまで行くと、父さんなんて関係なくなっちゃって、ただただ意地の張り合いをしてただけ。本当今思うと大人気なかったわ」
全く…女の人は恐いよ…。
「だからかしらね…彼女のことは、なんだか戦友みたいに思えてきちゃって。もちろん嫌な女だったけど、すごい人って思ったわ」
母さんの表情が穏やかになる。
「彼女が亡くなったってきいて、頭が真っ白になったわ。寂しいとも思った。お葬式で、もう目を覚まさない彼女を見て、自然と涙がこぼれてしまったの。ああ、もうこの女と張り合うことは二度とないんだわって。そう思ったら、どうしようもなく泣きたくなったの」
母さん…
「憎ったらしい女だった。…でも、もう憎んでないわ。どうか、早く真犯人が捕まることを祈るだけよ」
その言葉を聞いた瞬間、僕の心の鉛はパンッと音をたてて弾けて、変わりに一筋の光が見えた。
「僕も…僕も礼子さんのこと、許せるかな?」
母さんは、ちょっとびっくりした様に僕を見つめた。
「無理にそんな風に、思わなくてもいいのよ。私達から父さんを奪った人だもの。…でもね。いつかは許してあげてね」
母さんは、にこっと笑って立ち上がった。
「ほら、ボケッとしてないで! アイスあるから、あとで来なさいよ」
そう言って、部屋を出ていった。
ねえ、みんな…。
僕、もう少し頑張ってみるよ。
父さんのために。
母さんのために。
礼子さんのために。