「先生、好きだよ」
「先生、好きだよ」
それが彼女の口癖だった。
生徒の前でも職員の前でも、彼女は恥ずかしげもなくそう言った。
だから誰も本気だとは思わなかった。斯く言うこの俺も、そうだった。
彼女はとても可愛い子だった。明るくて笑顔が眩しい、どこか人を引き付ける魅力があった。男だったらほっとかないだろう。実際、男子生徒に人気があったし教職員の間でも可愛いと評判だった。
いくらでも他に男はいる。なのに彼女が選んだのは何故か俺だった。
カッコイイ先生とか若い先生ならまだ解る。ちょっとした大人っぽさに惹かれて、一時の気の迷いとか、そういう事ならあるだろう。だが、俺はどうみても地味だし、年も30過ぎている。今まで1度も生徒に好きだと言われた事もない。
他の生徒は俺の事など見向きもしないし、逆にバカにしているぐらいなのに、それなのに彼女だけは俺を優しく包むように接してくる。
そんな事をされたら、誰でも勘違いしてしまう−−−
だから俺は、1度彼女にハッキリ言った。
「からかうのはいい加減にしてくれ」と。
すると彼女は少し怒った風に「からかってなんかいません」と真剣な眼差しで俺に言い返した。
その時の彼女の目が、あまりにも真っ直ぐで、俺はその真っ直ぐな目が怖くて…慌てて目を逸らした。
でないと彼女に引き込まれてしまいそうだったから。
この時にはもう、自分でもヤバイと解っていた。
気がついたらいつも彼女の事を目で追っている自分がいた。
そしていつも彼女の事ばかりを考えていた。頭の中は彼女の事でいっばいで、自分でも必死に気持ちを抑えていた。抑えようと思えば思う程、抑えきれなくなっていて…、それに彼女は簡単に俺の決意を崩してしまう。
あの笑顔と言葉で。
俺にとって彼女は生徒ではなく、一人の女になっていた。
いや、彼女は生徒だ。俺の頭からはそれが離れた事はなかった。
彼女とは毎日メールをしていた。秘密の合図もあったぐらいだ。
教師の範疇を超えているのは解っている。でも学校が終わった後、彼女と一緒に居る時間に幸せを感じていた。
いつも疑問に思っていた。(こんな自分のどこがいいのだろう−−?)と、だから彼女に聞いてみた。
すると彼女は「さぁ?解んない」と答えた。
「人を好きになるのに理由がいるの?気がついたら好きだったんだもん。どこって言われても困るよ」と本当に困ってるみたいだった。そして逆に聞き返してきた。
「じゃあ先生は私のどこがいいの?」
そう聞かれて確かに俺も困った。
自分は彼女のどこに惹かれたのだろう−−?
彼女の若さなのか、あの強引さに負けたような気もする…いや、それはいい訳だ。
確かに彼女が可愛いかったからというのもある。それでも、あの彼女の直向きさが堪らなく俺の心を掻き乱した。
こんなにも気持ちを全力でぶつけられたのは初めてだった。
彼女は困りながらも考えていたみたいで、最終的に笑いながらこう言った。
「どこが良かったんだろ?人を好きになるのに理由なんてないでしょ。だから何となくだよ」
それを聞いて俺は思った。
それならいつか「何となく嫌」になったりするのではないかと。
彼女が卒業するまであと2年我慢すればいい。それでも自分の近くに彼女を置いときたかった。でないと安心できなかった。
1度自分の傍に置いてしまうと今度はいつ自分の前から居なくなるのかで、もう心配で堪らなかった。
彼女は若くて可愛い。魅力ある女性だ。
だから俺はいつも卑屈になってしまっていた。彼女の気持ちを確かめたくて。
「君は可愛い、君なら選び放題だ…」
「顔なんか関係ない…、じゃあ先生は私の顔がぐちゃぐちゃになったら私の事見捨てるの?」
「そんな−−」
「だったら何でもっと信用してくれないの?この顔が先生を悩ませるなら、傷付けてもいいよ。それで先生が私を信じて安心してくれるなら」
自分で試しておいて、少し怖くなった。彼女のひたむきさに。
そしてそれだけ自分は彼女に想われているという事が解った。
それからは2度と彼女に卑屈な事は言わなくなった。
いつの間にか自分の方が彼女に夢中になっている。こんなにも愛おしくて堪らない…
今すぐにでも彼女と結婚してしまいたいぐらいだった。
でも彼女はまだ若く、これからだ。彼女の人生な邪魔だけはしたくなかった。
俺は教師で彼女は生徒。
この鎖からはどうやっても逃れる事はできない。
だから俺はいつも2人でいる時は周りを気にしていた。だが、彼女は全く気にしていなくて、平気で俺に迫ってきた。
彼女は俺に抱き着いては、いつも「安心する」と言っていた。
俺は不安と焦りと恐怖と理性で、いっぱいいっぱいだった。
そしていつも周りを気にしている俺に、彼女は平然と言った。
「どうしてそんなに気にするの?」
「そりゃ…君は生徒で世間体ってものがある…」
「そんなの世間が勝手に決めた事でしょ。先生がそんなに気にするなら、私学校辞めようか?」
「なっ!?何言ってるんだ!そんなの駄目に決まってる!!」
「決まってなんかないよ。誰が駄目って決めたの?」
「それは−−」
俺は答えられなかった。
彼女は俺の為に簡単に「学校を辞める」と言ってのけた。
彼女の事を大事に想っている。だが、自分の事も大事だった。
俺はこの事がバレて職を失うのだけは嫌だった。
教師になるのは俺の夢だったから−−−
だが、人生とは上手くいかないもの。
隠したいもの程バレてしまうという事。そして人の目はどこにでもあるという事。
いけない事をすれば明るみに出る。
世の中とはそういうものだ。
ある日、彼女は同じクラスの男子に呼び出された。
彼はスマホで撮った画像を彼女に見せつけ、これをバラされたくなかったら自分と付き合うように脅したのだ。
写っていたのは、俺の車の傍で抱き合ってキスしかけている所だった。
彼の脅しの彼女の答えはこうだった。
「好きにすれば」
それを聞いて男は驚く。
「なっ…これが明るみに出たらお前もコイツもヤバイんだぞ!特に先生の方は終わりだぞ!!」
「そんな事させない。大体、あんたがバラさなければいいだけでしょ」
「おまっ…自分がしてる事何だと思ってんだよ」
「恋してるだけよ。なんか文句ある?」
「はっ」
男は笑う。そして嘲るように彼女に言う。
「お前がしてる事は世間じゃ認めてもらえねーんだよ。思い知らせてやる」
「ご勝手に。私、学校辞めるから」
彼女はつくづく男が思った事とは違う事を言う。
「は?コイツのどこにそこまでする価値あんだよ…」
「あんたにはなくても、私にはあるの。じゃあね卑怯者」
そう言って彼女は脅しには屈しなかった。
その日に俺は彼女からその事を聞かされて、どうしようもない不安と恐怖で押し潰されそうだった。
そして彼女に言ってはいけない事を言ってしまった。
「何でそんな事言ったんだ」と。
彼女はそれを聞いて怒った。
「じゃあ脅しに屈すれば良かったの!?」
「いや…そういう訳じゃ…」
「じゃあどういう訳よ!?先生が言ってるのはそういう事だよ!!」
「でも他に言い方があるだろう…」
自分でも酷い事を言っているのは解る。彼女の事より自分の保身しか考えていなかった。いや、「考えられなかった」の方が正しい。
どこかで思っていた。
彼女はまだ若いから後先考えずに行動できるのだと。
そんな彼女の身勝手に当たらずにはいられなかった。
「どうしてそう自分勝手なんだ…。俺の立場も少しは考えてくれよ…」
「先生は私の事考えてくれてる?」
「考えてるよ!誰よりもお前の事考えてる」
「嘘だよ…」
「嘘じゃない…嘘じゃ…」
そう嘘ではない。彼女の事は誰よりも考えていた。ただ今は自分の事でいっぱいだっただけで…
「教師は俺の夢なんだ…」
「知ってるよ。大丈夫だよ先生」
「何が…?何が大丈夫なんだよ?」
「何があっても先生だけは、私が守ってあげるから」
彼女は淋しそうに笑って、そう言った。
そして写真は生徒から生徒へメールで送られて噂になり問題になった。
早速、彼女と一緒に校長室に呼び出されて生活指導の先生と女の先生を交えて事実確認をされた。
「いかがわしい噂が生徒達の間で広まっています。信じたくはありませんが、証拠の写真まであります。ここに写っているのはあなた達2人に間違いないですか?」
校長のスマホに写し出された画像を見せられる。俺はそれを見て認めるしかないと思った。すると彼女が意外な事を言った。
「いえ、違います」
それを聞いて俺も含めここに居る全員が驚いた。
「違う…?どう見てもあなた達2人に見えますが…」
「こういう事はあまり言いたくありませんが…、私に振られた人が腹いせにやったんです」
「でもここに証拠が…」
「ですからそれ、画像の修正がしてあるんです」
「…えーと…解るように説明してもらえますか?」
「私と違う男の人の写真を先生の顔に変えたんです。ほら、アイコラって言うんでしたっけ?実際にやって見せますよ」
そう言って彼女は自分のスマホを取り出して校長達に画像の編集をやって見せた。
それを見せられた3人は驚きの声を上げている。
「ね。最近じゃこういう事も簡単に出来るんですよ。だからこんな写真を見れば誰だって勘違いします。それを送りつけた人は、火のない所に煙りを立てようとしてるんです」
3人は溜め息をついてこの結果に驚いている。顔を見合わせて、これはどうしたもんかと考えあぐねているみたいだ。
「こうなったのも私の責任です。私のせいで先生まで巻き込まれてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいです…」
彼女は泣き出した。
「先生は何も悪くありません!私が責任を取って学校を辞めるんで先生を責めないで下さい」
そう言って彼女は頭を下げる。そこに居る先生方は慌てて彼女に言う。
「何も辞める事はないわ。これがイタズラだって解ったんだから…ねぇ校長」
「そうですよ。悪いのはあなたではなく、こんな事をした生徒の方です」
「でも校長…この噂どうしますか?」
生活指導の先生が聞く。校長もそれには困っているみたいだ。それを聞いて彼女はケロッと言い放った。
「あ、大丈夫です」
さっきまでの涙はどこへやら…
「それは私がなんとかします」
誰もそんな事信じられなかったが、彼女が言った通りなんとかなった。
彼女はこの話し合いの後、全てを友達に説明した。
「それは私を貶める為にある人がやったのだ。相手は先生じゃないけど画像をいじって、わざと先生にしたのだ。その方が皆の興味を引くから」そう言って同情を買うように仕向けた。
そして彼女が学校を辞めた事で瞬く間にそれは全校生徒に知れ渡り、彼女は同情の的になった。
こうなってしまうと彼女を脅した生徒も何も出来ない。反論しようものなら自分が悪者になるからだ。
こういう事は信じさせたもん勝ちだと思った。
いくら真実だとしても、人が信じたものが真実になる。
彼女は見事に皆を信じさせた。
そして俺は誰からも咎められる事はなかった。
彼女の言った通り大丈夫だった。
こんなに上手くいく訳がないと思うだろう。だが、これは彼女だったから成せる技だ。人を引き付ける力がある人間というのは人の心も動かせるのだ。
俺の心を簡単に動かしたように。
彼女が学校を去る時、俺は納得がいかなくて口論になった。
「何でそんな簡単に自分の人生無駄にできるんだ!?」
「別に無駄になんかしてない。高校が私にとってそこまで必要と思えないから辞めるだけだよ」
「そんな−−高校は君にとって必要だ!」
彼女は首を振って否定してから言う。
「うんう。そんな事ないよ。私にとって先生以上に大切なものはないから」
「な、何を言ってるんだ…俺なんかの為に自分の人生犠牲にするのか?」
「犠牲になんかしないよ。私は私の道を行くだけ。私スカウトされたって言ったでしょ。どうするか悩んでたけど、いい機会だから進んでみる事にする」
「そんな…高校を辞めてまでする事はないじゃないか…」
「でも…、もうここに居る必要を感じない。高校は先生に会う為だけだったんだよ」
「君は…どこまでも君は自分勝手だな…」
「うん。そうだね…、ごめんね先生」
それが彼女の最後の言葉だった。
それから何事もなかったかのように生活は続いた。あの噂は彼女が居なくなって、あっという間に消え去った。
彼女の居ない学校は、なんだか物足りなく感じた。俺にとって彼女の存在は、それだけ大きかったという事を思い知らされた。
学校を辞めてからの彼女の近状報告が留守電やメールにきていたが、俺は1度も聞く事も見る事もなく消した。
俺は携帯を変えて彼女との連絡を取れないようにした。
彼女を忘れたかったから−−
正直、彼女の潔よさが羨ましかった。あんなにもキッパリと決断できて、自分の道を切り開いて進んで行こうとする彼女に嫉妬すら感じた。
自分はいつの間にか、色々なしがらみに縛られてしまい、何も出来なくなっていた。
もう何が正しいのかなんて解らない。
それでも生きていくしかない。
2年後−−−
彼女は人気のタレントになっていた。最近では女優としても活躍している。
もう彼女は俺には手の届かない存在になっていた。
何とか彼女を忘れようと思うのだが、どこもかしこも彼女の顔がある。
彼女を見ると自分が嫌になるから、なるべくテレビも見ないようにしていた。が、何の気無しにたまたまテレビをつけると調度、芸能人の恋愛番組みたいなのをしていて司会の男性が彼女に話しかけていた。
『−−初恋は誰なの?』
『初恋ですか?高校の先生です』
彼女は笑顔で答える。
それを聞いて俺は驚いた。まさか自分が彼女の初恋の相手だとは思いもよらなかった。
『そりゃまた…てか初恋遅いね』
『あはは。そうなんですよ。見た瞬間に惹かれちゃったんですよね〜。まあ、今でも好きなんですけど』
『そりゃ爆弾発言だね!じゃあ、その先生に向かって一言』
『あ、じゃあ…先生見てる〜?私元気にやってるから心配しないでね〜』
そう言って彼女が耳たぶを触った。俺はそれを見てさらに驚いた。
それは『電話して』の合図だった。
テレビでまだ何か話しているが耳に入らなかった。
もうあれから2年も経っている…、まさか彼女の番号が変わってないとは思わなかった。
俺は携帯を新しく変えて彼女の番号も消した。それでも俺はずっと彼女の番号を覚えている。
忘れたくても忘れられなくて−−
あの合図を見て、俺は電話をかけずにはいられなかった。
凄く緊張した。
もしかしたら繋がらないかもしれないし、繋がったとしても出た相手は彼女じゃないかもしれない。さっきのはただ番組を面白くする為に言っただけで、自分は思い違いをしているのかもしれない−−
それでもどこか、淡い期待をしている自分がいた。
電話は繋がった。
でももしかしたら知らない番号だし、仕事中で出られないかもしれない。そう思ったが相手は出た。
『もしもし?』
声を聞いてすぐに彼女だと解った。俺は何て言ったらいいのか解らず黙っていると、彼女が話しかけてくる。
『…先生?もしかして番組見てくれたの?』
それでも俺が何も答えずにいると、彼女は続けて話す。
『番組では言えなかったけど…先生、好きだよ』
その言葉を聞いて言わずにはいられなかった。
「俺も…好きだよ」
俺は初めて彼女に好きだと言えた。
この作品を読んでくださってありがとうございます。
いつもの如く、誤字脱字はお愛嬌という事で見逃して下さい(笑)
これは「先生、好きだよ」って台詞から思いつきました。
この話は2パターン考えていて、もう一つの方はまあ暗くて、ここまで上手くいかないか!ていうような…最後には気持ちは伝わるんですけど…
もしかしたらこっちの方が良かったかも…と優柔不断なんで思っていますが…
こっちの方が「サッパリしていていいかな」と思い、こっちにしました。
他にもまた書くので良かったら読んで下さい。