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ハルモニア  作者: 岸部碧
第二章
9/28

「アズマくん?」

 突然立ち止まったいとこにどうしたのかと尋ねようとして、しかし那由多は強い力で手を引かれて言葉が引っ込んだ。

「ひあっ!?」

 代わりに飛び出した素っ頓狂な声と同時、地鳴りに近い轟音がすぐ傍で響いた。

 自分を抱き込んで飛び退いた春を見れば、紫色の瞳を鋭く細めて前を見据えている。それが轟音の方向と一致し、那由多は恐る恐る首を動かし振り向いた。

 舗装などされていない道は砂煙を巻き上げ、僅かに視界を遮る。

 しかしそれでも、那由多にはその地面が抉れているのを見る事ができた。そして抉ったのであろう、大きな影も。

 少しずつ砂塵が落ち着いていき、影の姿がよく見えるようになる。

 珊瑚色の肌。拳を作った腕は丸太のように太く、地面を踏み締める足は象のそれのように大きい。耳はとんがり、赤い目玉がギラギラと危ない光を発している。頭部にはサイのような角が生えていた。――明らかな、異形の者。

 それを認識した時、危険信号を発する脳が瞬きする事すら拒んだ。

「――鬼か」

 一切感情のこもらない声が降ってきた。

 異形の者から目を離す事に恐怖を感じつつも、那由多はそろそろと顔を上げる。

 春は、やはり目の前の異形の者を見据えていた。

「お、に……?」

「ああ。昔話でも何でもいい。知ってるだろ? 人に悪さをしたり食ったりする、あの鬼だ。――あれが、魔族だよ」

 魔族。冷たい響きを含んだそれを、か細く繰り返す。

 現代人が否定するような存在。人間を襲う者。春の言葉が脳裏に蘇っていく。

 改めてその異形の者を見れば――なるほど、確かにそれは化物でしかなかった。

 ぶるりと体が震えて、すぐ傍にあるいとこの服にしがみつく。

「わ、私を狙ってるの?」

「多分な。あいつは人語も解せない雑魚だ、話せない奴の考えは俺にはわからねえ。人を喰おうとして、たまたまそれが俺達だった可能性もあるにはある」

 冷静な口調で春はそう言うが、結局の所自分達が危機に瀕しているのは変わりないのだろう。

 今までは、何も知らないまま清子や久遠に守られてきた。

 だが、今はもう違う。自分の命が危ぶまれているのだと、目で、耳で、体全てで感じる事ができる。

 ぎゅっとしがみつく力を強めると、微かに笑う気配がした。

「ちょうどいい。那由多、ちゃんと見てろよ」

「え?」

 弾かれたように顔を上げれば、やはり春は笑っていた。ニヤリと口元を歪めて、楽しげで凶悪な笑み。

 不敵さを漂わせるそれに瞠目していると、鬼の咆哮が耳を叩いた。太い腕が振り上げられる。

 悲鳴を上げることさえできずに、那由多はただその腕が自分達へ向かって下ろされるのを見た。

 風を切る音が聞こえる距離にまで迫ったその瞬間、しかしビタリとその拳が止まった。否、阻まれたのだ。

 突如現れた、透明の壁によって。

「――水……?」

 巨大な拳を受け止めたそれを凝視する。透明だが、向こう側の景色が微かに歪んで見える。

 考えるより先に零れ落ちた言葉に、春が「正解」と笑った。

「水を侮るなよ。水は自由に形を変える。纏めて硬くして、凝縮した水は盾にも、剣にだってなるんだ」

「で、でも、どこから……」

「水なんて空気中にいくらでもある。さすがに水を操る奴がみんなできるって訳じゃないけど、『水無月』の奴なら普通できる」

 苛立ちをぶつけるように何度も拳を繰り出す鬼を興味なさげに見ながら、春は淡々と那由多の疑問を解消していく。

 那由多が何も言わなくなったのを理解したのだと受け止め、服を掴む小さな手をそっとはがした。

「これが水の基本的な使い方だ。お前も使うかもしれないんだ、覚えてろよ」

「えっ、あ、うん……」

「じゃあ、もういいな。使えるかわかんねーもん、これ以上教えても無意味だし」

 バチッ、と視界の端で閃光が走った。那由多はハッと春を見る。

 春の腕がバチバチと電流を纏い、彼の手のひらには光の渦ができていく。

 見る見る間にそれはハンドボール程の大きさになり――

「雷に打たれて消えちまえ」

 白い光が最高潮になった時、春はそれを放った。

 地を震わせる、鬼の断末魔。

 白く白く塗り潰された視界の中で、鬼の巨体が掻き消されていくのを、那由多はただ、見つめていた。


  *


「『魔族とは、人ならざる者、そして科学で説明できない力を行使する者』――異能者おれたちはそういう風に教えられる」

 町の方へと向かいながら、春が淡々とした口調で言う。

「魔族の中には人の言葉を理解して、話せる奴もいる。そういうのは理性も割とあって賢い。能力も高いから、自然と危険度も増す」

「じゃあ、さっきの鬼は……」

「あれは本当に雑魚。力に物を言わせて、腕や足振り回して暴れるだけだ。鬼にもまたいろいろ種族があるし、厄介な奴もいるんだけどさ」

 春によって消された鬼を思い返しながら、那由多は僅かに拳を握り締めた。

 あれが雑魚だなんて信じられない。あれでも充分危険だった。少なくとも、那由多にとってはそうだったのだ。

 あの鬼よりもずっとずっと恐ろしい存在など想像もできずにいると、春が疲れたように息を吐く。

「正直、ちゃんとした定義なんてないんだ。『人ならざる者ってなんだよ』ってなるからな。誰かからすれば、異能者だって立派な『人ならざる者』だ」

 那由多はびくりと身を強張らせた。

 それは決して魔族への恐怖からではなく、盗み見た彼の瞳がひどく冷たい色をしていたからだった。


「――みんなが悪だって言えば、何だって悪になるんだよ」


 吐き捨てるように放たれた言葉。

 日が高く上った穏やかな午後には似つかわしくないそれは、これから先も那由多の心に残り続ける事になる。

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