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ハルモニア  作者: 岸部碧
第二章
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雪女の弔い

 都会というには物足りず、田舎というには勿体無い町並み。

 程ほどに緑も豊かな町を横目に、少年は気だるそうにスマホに耳を傾けていた。

『……ああ、そういえば忘れてたねえ』

 気の抜けた声に、春はぐっと眉間に皺を寄せた。

『喪服かあ、すっかり失念してた。このままだと、死んだ時に師匠せんせいに氷漬けにされそうだなあ……よしわかった、今から送ろう』

「間に合うかよボケ」

 春の隣を歩いていた那由多は、思いの外冷たい一言に驚きの視線を投げるが、彼は気にした様子もなくしくしくと泣き真似を聞いている。

『僕、これでも徹夜明けでしんどいんだよ……? 心優しい春君は父親を労わってくれるよね?』

「疲れてるならさっさと寝ろ。そして二度と起きてくるな」

『……いつか、愛する息子に丸焼きにされるんじゃないかと僕は不安で堪らないよ』

「誰も馬鹿の丸焼きなんか食いたくねえから安心しろ」

 梅雨が明けたばかりの空は青く澄み渡り、時折白い雲が影を作る。

 春は電話越しでも充分聞こえるように溜息を吐き、町並みを一瞥した。一本道の先には、小さな森を携えた寺が待ち構えている。

「親父、用件があるならさっさとしろよ。もう着くぞ」

『ああ、大した用じゃないんだけどね? 那由多ちゃんの様子はどうかなあ、と。師匠は写真くれなかったし……姉さんに似て可愛く育ってるかな。ねえ、どうなの春君』

「まさかのロリコン疑惑にがっかりだ」

 ハアハアと鼻息荒く尋ねてくる父親にそう吐き捨てれば、彼は強く異議を唱えた。

『僕はシスコンだけどロリコンじゃない! 愛しい姉さんの娘に興奮しないシスコンはいないんだよ春く――』

「ハイ時間切れー」

 一切の躊躇なく通話を切ると、春はスマホをポケットに捻じ込んだ。

 電話は切っても縁を切らずにいる自分は相当忍耐強い。そう一人心中で頷く。

 春が電話している様子を不安げに見つめていた那由多は、おずおずと彼を呼んだ。

「相手、叔父さんだったんだよね? 私、挨拶とかしなくて良かったのかな」

「いーって、そんなの。後で写メでも送りゃ、充分機嫌とれるから」

「ならいいけど……」

 先程までの会話には色々と気になるワードがあったものの、突っ込まないであげようと心に決める。

 ――丸焼きとかロリコンとか、気にしちゃ駄目だ、うん。

 漆黒の喪服を揺らしながら、武骨な石段を上がる。

 今日お世話になる住職にも、倒れる前の清子と共に挨拶に来た。まだ清子がしゃかりきに出歩いていた頃だった為に那由多はまだまだ彼女が死ぬようには思えず、住職と祖母があれこれ話し合っているのをただ眺めていたのをよく覚えている。


「……本当に、死んじゃったんだなあ」


 ぽつんと零れ落ちた声は、決して弱々しいものではなかった。どこかぼんやりとしてはいても、しっかりと彼女の死は受け入れている。

 春は隣で翻る黒のスカートを一瞥し、前を向いた。

「人は死ぬ。異能者も魔族も、それは変わらない。俺とお前もいつか死ぬ」

「うん。……でもまだ、死にたくないよ」

 淡々と落とされていく言葉を拾いながら、那由多はハッキリとした口調で言う。

「――ああ、俺もだ」

 返ってくる声がある事に幸福を感じ――那由多は、強く前を見据えた。


  *


 氷取沢清子。通称、『鬼喰らいの雪女』。

 異能者と人間の間に産まれた彼女は、初めて魔族に遭遇し襲われた際にその才能を開花させたと言う。

 無名に近かった『氷取沢』の名を異能者達に知らしめたのは、他でもない清子だった。

 数々の魔族を狩った彼女は、三十五歳を迎えたあたりからもう気は済んだとでもいうようにあっさりと前線から退き、若者を育てる事に熱を注いだ。彼女の許で学び、名を上げた異能者も少なくはない。

 その中に、那由多の母と叔父である水無月遥と水無月久遠(くおん)もいた。

 そして約十五年前、清子は突然姿をくらませた。

 遥の死が世界中に知らされる二日前の事だった。

 その後彼女の姿を見た者はおらず、異能者達の間では魔族に殺されたという説が実しやかに囁かれる事となる。

 そして時は経ち――清子はたった一人の少女の目の前で、静かに息を引き取った。


「――それが、俺が知る氷取沢清子だ」

 いくつもの墓石が立ち並ぶ中、春の落ち着いた声が落ちる。

 彼の前に佇むのは、白く輝く墓石。

 刻まれた名をなぞる少女の漆黒の衣がよりその白さを際立たせ、雪すらも連想させる。

 既に納骨式の終わった墓地には二人を残すのみで、淡く線香の香りが風にさらわれる。

 そう、と呟いた那由多は、春を振り返らずに言葉を紡いだ。

「じゃあ、他の人達はお祖母ちゃんが私を匿ってた事は知らないんだ」

「疑う奴はいたらしいけど、誰もその証拠は掴めなかったみたいだ。伯母さんが死に、ばーさんも見つからずじゃ当然だけどな」

 ずっと傍にいた彼女の、自分が知らなかった顔。それを祖母と結び付けるのはやはり難しい。那由多にとっては心優しい家族だったのだから、無理はない。

 それでも那由多は涙が零れない事に安堵して、僅かに目を細めた。

「お祖母ちゃんは、どうして私を助けてくれたのかな。他にもお弟子さん達がたくさんいたのに、どうしてお母さんの頼みを聞いてくれたんだろう」

「さあ、俺に聞かれてもわかんねえよ」

「うん、そうだね」

 ぶっきらぼうな春に、クスクスと笑みが零れる。

 祖母の前で笑えるようになるには、まだまだ時間がかかると思っていた。彼女の死と向き合い、受け入れ、そして彼女は思い出となる。そうやって家族を失った悲しみから立ち直るまでには、多くの時間が必要だと。

 しかし那由多は決して貼り付けた笑みではなく、心から笑みを浮かべる事ができた。

 悲しみを感じずにはいられなくても、和らげてくれる存在が新たに出来たのだから。

「……お祖母ちゃん、ありがとう。お待たせ」

 今まで育ててくれた事への感謝と、ようやく彼女の願いを果たせることへと喜びが、じわりと那由多を満たす。

『安心なさい。貴女は一人じゃありませんよ』

 耳に残る彼女の声は優しく、今でも凜と心に響く。

 今ならわかる。自分は一人ではなく、多くの人に守られて生きているのだ。

 嘘ばかりの彼女が最期に伝えてくれた本当の言葉を胸に、那由多は穏やかに目を細めた。

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