朝
白いご飯、わかめの味噌汁、漬物、麦茶。
それらを食卓に並べながら、那由多はふと思う。
――……なんか、変な感じ)
昨晩、ずっと一緒に暮らしてきた祖母の葬儀を終えた。
祖母が遂に息を引き取った夜から、これからは一人で起きて、一人で食事をして、一人で寝るのだと、寂しさに負けないように固く覚悟を決めていた。
それが実際はどうだ。那由多は今、二人分の朝食を用意している。
いよいよ一人ぼっちになるのだと思っていたのに、突然ふらりと現れたいとこがまるで当然のように目の前にいる。
それが何故だか不思議な心地で、長年祖母が座っていた席に座って欠伸を零す春を見ながら、那由多は自分の席についた。
「いただきます」
しっかりと手を合わせてから食べ始める春を意外だと思いつつ、那由多も自分の朝食に手をつける。
洋食があまり得意ではなかった祖母と暮らしていたので、料理はできるが和食に限られる。オムライスくらいならば洋食も作れるが、朝からオムライスもどうかと思って日本の朝定番の味噌汁だ。
しかし、洋食もある程度は作れないと困る。
勝手なイメージだが、これから護衛をしてくれるらしい彼は和食よりも洋食が好きそうだ。そうじゃなかったとしても、ずっと和食では飽きてしまうだろう。
レパートリーを増やす必要性をひしひしと感じていると、不意に黙々と食べていた春がこちらを向いた。
「那由多、それ喪服だろ? 出かけるのか?」
「うん。今日学校休みだから、納骨しちゃうの」
「へえ、四十九日待たないのか」
「お祖母ちゃんが、休みの日に適当に済ませてって言ってたから……」
那由多は苦笑するしかない。
昔から、祖母は自分の事で他人を煩わせる事が嫌いな人だった。
頼ってもらえない事を寂しくも感じたが、そうやって凛とした背中で歩く彼女が好きだった。
その祖母も、実は血の繋がりはない、赤の他人だと目の前の彼は言った。
嘘ではないだろう。嘘をつく必要がない。
それでも、那由多にとっては厳しくて優しいお祖母ちゃんだった。
昨晩聞かされた話を思い返しながら、那由多はふと気になっていた疑問を思い出す。
「ねえ、アズマくん、昨日、逃げるとか何とか言ってたよね?」
「あー? 襲ってきたらな。俺がいない時も死ぬ気で走れよ、死ぬから」
ぐいっと茶碗を煽って味噌汁を飲み干すと、春はしっかりと手を合わせる。やはり意外だと思いつつ、那由多は首を傾げた。
彼の話を聞き終わった時点では、これから夜逃げでもするのかとまで思っていた。しかし、今日の彼にはそういった切羽詰った様子は感じられない。
一体どういうことだろうと首を捻っていれば、テーブルに頬杖をついた春がわざとらしく溜息を吐いた。
「言っただろ、魔族も異能者も世界中にいる。この世界のどこにもお前が逃げ込める場所なんてねえんだ。なら今まで通りここで、奴らが襲ってきた時だけ気張ればいい」
「……そんなのでいいの?」
「お前が逃亡生活をご所望なら止めはしないけどな。その時は、確実に『一般人』ではいられなくなるぞ」
呆れた色をした紫の瞳が早く食べるよう促しているのを感じて、那由多はいそいそと味噌汁を飲み下す。
那由多としても、今まで暮らしてきた場所を離れるのは本意ではない。
この歳で逃亡など難しい事もわかっていた。夜中に出歩けば補導される事もあるだろうし、学校やショッピングなど、高校生らしい当たり前の事もできなくなるに違いない。
そもそも、この町には祖母との思い出が詰まっているのだ。離れたいと思う筈がない。
味噌汁を飲み干して手を合わせると、春が頬杖をついたままニイッと笑みを浮かべた。
「お前を狙う奴はわざわざ来てくれるんだし、俺達から出向いてやる事もねえだろ。お前に興味がない奴もいるだろうし」
「え? みんなが狙ってるんじゃないの?」
「そりゃ魔族の事は結局俺にもわかんねえけど、異能者は頭が固い奴ばっかだからな。そいつらはお前を狙うけど、お前が無害ならって考える奴もどっかにはいるんじゃねーの」
――……アズマくんって、時々適当になるなあ……。
食器を片す為に立ち上がった那由多は、眉を下げて苦笑を浮かべる。
「じゃあ、ここにいていいんだよね。良かった。お祖母ちゃんのお墓、守れないかと思った」
「そういや、墓石はもうできてんのか?」
「うん。お祖母ちゃんが元気な時にね、一緒に選んだの」
ちょうど那由多の高校受験が終わった頃、清子がまるで散歩を提案するように墓石を選ぼうと言い、あまり乗り気ではなかったもののなかば強引に連れて行かれたのだ。
そうやって着々と自分の葬式についての準備をしていき、殆どを決めきった頃、まるで見計らったように彼女は体調を崩した。今思えば、彼女は自分の死期を敏感に感じ取っていたのだろう。
自分の分の食器を持って隣に並んだ春を見遣り、那由多は苦笑した。
「お祖母ちゃんの言い付けでもう誰も呼ばないけど、アズマくんはお焼香してくれる?」
「俺、ばーさんと一回会っただけだけど。あんま覚えてねえし」
「いいの。私がしてほしいだけだから」
人様に迷惑をかける事を一番に嫌っていた清子は、最初は葬儀にすら出すなと言っていた。
彼女には夫も兄弟もおらず、一緒に暮らしていた那由多しかいない。
しかしそれではあんまりだと、那由多がなんとか説き伏せたのだ。結果として葬儀は許した清子だったが、納骨にまで人様を付き合せる事のないようにと口煩く言っていた。
困った色を隠しきれていない那由多に、春はやれやれと溜息を吐く。
「喪服も持ってくるべきだったか」
「多分、大丈夫じゃないかな。お祖母ちゃんもきっと喜ぶよ」
クスクスと小さく笑い、那由多は窓の外を仰いだ。
穏やかに晴れ渡る空はお別れ日和とは言えない程、美しく澄み切っていた。