迎え
今まで祖母が座っていた席についた少年を見つめて、那由多は思った。
――……どうして、来たんだろう……?
水無月春と名乗った彼は、恐らく那由多が知る水無月春と同一人物で間違いはない。
しかし那由多は、不思議に思わずにはいられなかった。
春は程よく膨れたボストンバッグを肩に下げ家に上がると、まず家中を探索し始めた。
何を探すという様子でもなく、訳もわからず一応後ろをついていく那由多を気にかける事もなく、ただ点検のように一つ一つの部屋を巡った。
そうして最終的にダイニングのテーブルに着き、やはり何も言わずにスマートホンを弄っている。不可解でならない。
那由多を育てた祖母は彼女の母方の祖母で、同じく母方のいとこである春の祖母でもある。
祖母の手紙に書いてあった叔父の家にも連絡はしたのだから、訃報を聞いて駆けつけたものの葬儀には間に合わなかったというのなら頷けるのだ。
しかし、彼は祖母の遺骨も遺影も探索の際に一瞥をくれただけで、手を合わせる事もしなかった。
――お祖母ちゃんにも懐いてたと、思うんだけどなあ……。
那由多は、朧な記憶を手繰り寄せた。
まだ幼稚園に通っていた頃、一度だけ春がこの町へ来た事がある。夏の長期休みを利用して、春は彼の父親に手を引かれてやってきた。
数日間この家に滞在した彼と那由多は、その間に近所の公園や裏山へ行って遊びまわった。
最初こそ初対面で緊張していたものの、春は積極的に話しかけてくれ、那由多はすぐ彼に懐いた。
そんな彼は当然、祖母ともうまくやっていた。少なくとも、那由多から見た限りでは。
とりあえず那由多は、滅多に客が来ることがなかった所為で来客用の食器などない為、祖母の湯呑みに冷えたお茶を淹れて彼の前にコトリと置いた。
それに気付いたらしい春は短く礼を述べ、ようやくスマホをズボンのポケットに突っ込む。
湯呑みに口をつけた彼の向かい側に座り、那由多はおずおずと口を開いた。
「えっと……アズマくん……一人で、来たの……?」
「俺の他に誰かいるように見えるか?」
スパッといっそ清々しい程に言い切られ、那由多は折角開いた口を閉じざるを得なかった。
たった一度会ったきりの親類との再会を喜びたい気持ちはあるのだが、記憶の中のいとことは、姿ばかりでなく中身も随分と変わってしまったようだ。仲良く手を繋いで駆け回ったあの少年は幻だったのだろうか、とすら考えてしまう。
しかし、那由多も諦める訳にはいかなかった。
もう日は沈んでいる。
春達家族がどこに住んでいるのかは知らないが、祖母には遠い所だと教えられてきた。用があるのなら早く済ませて帰ってもらわなければ、いくら男とはいえ危険だろう。
そう意気込んで再び口を開くが――それより先に、湯飲みをテーブルに置いた春が、まっすぐに那由多を見据えた。
「那由多、お前、ばーさんにどれだけ聞いた?」
「……え?」
真剣な色をした彼の瞳に、那由多は僅かに首を傾げる。『どれだけ』とは一体何についての事なのか、まずそこからわからない。
祖母は自分の死後どうすればいいのか、那由多が気にしていた事は全て教えてくれた。
長年彼女が蓄えた貯金は、那由多が高校を卒業するまで普通に暮らしていく分には事足りると言っていたし、一人ではどうしようもない事態に陥った時には叔父、つまり春の父に連絡するといいと聞いている。
その件についてだろうかと尋ねようとすると、やはりそれより早く春が溜息を吐き出した。
「何にも知らないんだな、その顔は……」
「え? ええ?」
ぐっと眉間に皺を寄せて苛立ちを露わにする春に、那由多は疑問符を浮かべる他ない。
そんな彼女を見て、春はぐしゃりと前髪をかき上げ、溜息を吐いた。
「多少長くなるが、仕方ねえ。那由多、よく聞けよ」
呆れたような物言いでありながら、その声が真剣味を帯びているのに気付いて、那由多はゆっくりと頷く。
それを見た紫の瞳が、僅かに細くなった。
「この地球にはたくさんの生き物が存在する。その中には、存在を公にされていない生き物が二つある」
「公……?」
一体何の話だと目を丸くする那由多に、春はピンと人差し指を立てる。
「一つは『魔族』。妖怪や精霊、大抵現代人が否定するような存在。一般人なら遭遇する事も稀だけどな」
そして表情を変えず、今度は中指を立てた。
「もう一つは『異能者』。人間と同じ姿形をしていて、人間が持っていない能力を使える。陰陽師、霊能力者なんかがそうだ。『魔族』と『異能者』、そして『人間』。裏の世界はこの三つの勢力に大別される」
「……裏」
「ああ、表の世界は知ってる通り人間の独壇場だ。一応な。だが裏の世界は違う」
現実味のない話だが、それでもかろうじて那由多は春の瞳を見つめ続けた。
落ち着いた声音で語る彼は、静かに息を吐く。
「俺はお前を迎えに来たんだ。――表の世界から、裏の世界へ」