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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

刻みたいほど君が好き

作者: 小林 樹人


 0



 たとえるならそう、エッグスライサーにかけられたゆで卵のように。

 女の乳首を輪切りする。


 噴出する血。

 噴出する声。

 噴出する命。


 男は、産婦人科医としての業務を続けるうち、苦悶の表情と悲鳴に性的興奮を憶えるようになってしまった。


――もっと大きな声を。

――もっと震えた声を。

――もっと激しい声を。

――そして、果てろ。死んでゆけ。


 彼にとって、乳首切断などまだまだ生温いものだった。


――次は、性器にコレを突っ込んでみようか。


 期待に満ちた表情で、彼は小型のノコギリに手を伸ばした――



 1



「グロ漫画を描いてみないかい」

 編集者は、しれっとした顔つきで言いのけた。


 予想外の誘いに、オサムは困惑する。


 事の顛末はこうだ。

 オサムが実力試しのつもりで応募した忍術アクションものが、青年誌の奨励賞に選ばれた。

 それは連載を約束するものではなかったが、斬殺・撲殺・爆殺とバリエーションに富んだ人体破壊シーンの画力が特に評価された。

 ただし、その評価を下したのはオサムが応募した当該編集部ではなく、同系列の成人漫画雑誌部門の編集部だった。

 おそらく社員同士、あるいは漫画家同士のネットワークで話が繋がったのだろう。


 一歩を踏み出した者には、無数のチャンスが擦り寄ってくるものだ。


 オサムは参考までに渡された雑誌に目を通してみたが、正視に耐えるものではなかった。


 妊婦の腹にハンマーを打ち下ろしたり。

 勃起した男性器をミキサーにかけたり。

 幼稚園児をゴミ収集車に投げ入れたり。

 眼球をヤスリで徐々に削り落としたり。


 オサムの志望は時代ものだったので、自然、刀を用いた場面が増える。

 ことチャンバラものにおいて人体切断は、むしろ華といっても良い。

 ゆえに、彼は勉強した。練習した。死体を、肉を、血液を、描いて描いて描きまくった。

 その過程で、オサムは自身の中に眠るサディズムを意識するようになった。

 しかしそのサディズムをもってしても、この雑誌には微塵の愉悦も感じられなかった。

 激しい嫌悪感、という意味で興奮してはいるのだが。

 

 生産者がいるのなら、消費者もいるはずだ。

 これらのグロ漫画を、金を払って読みたがる連中が少なからず存在する。

 雑誌の存在の背後に仄見える現実に、オサムは吐き気をこらえるだけで精一杯だった。


 編集者は説得を続ける。

「これでもウチはそのスジでは売り上げトップなんだ。もちろん人気にもよるけど、君の才能なら漫画一本で生活していけるよ! ある程度連載が進めば単行本も出せるし、君に余力があれば、連載作品とは別にオムニバス形式の本を出してあげることもできる。なんなら、最初の印税が出るまでの生活費を僕が個人的に出してあげてもいい。君にはそのくらいの価値があるんだ」

 グロ描写に対する慧眼があるというのは、編集者としては有能かもしれないが、人間としては最悪だ。下の下だ。


 だが、オサムは揺らいでしまった。

 理由はみっつ。

 ひとつ。「漫画一本で生活していける」環境は、オサムが長年夢見ていたものだから。

 ふたつ。何であろうと連載をすることで、日の当たる雑誌へのステップアップになるかもしれないから。

 みっつ。雑誌のコンセプトは歪んでいたが、編集者の説得には確かな熱を感じられたから。


「少し、考えさせて下さい」

 編集者と連絡先を交換し、その日は帰宅した。



 2



 数日後。

 中学時代からの友人がオサムのアパートに集まり、ささやかな祝勝会が行われた。

 元々入選したのはグロ漫画雑誌ではなかったので、彼の確かな一歩を友人たちが祝ってくれることになったのだ。


 集まった中には、エミリもいた。

「すごいね! おっくんの漫画はいつ頃雑誌に載るの?」

 太陽のような笑顔で、彼女はオサムの顔を覗き込んでくる。


 他の友人連中には申し訳ないと思っていたが、オサムが会いたかったのはエミリだけ。

 この祝勝会は、久しぶりにエミリと会う理由が欲しかったから実行されたのだ。


――俺には、何も無い。


 それがオサムのコンプレックスだった。

 普通に大学へ行き、普通に就職し、普通にOLをやっているエミリ。

 数年会っていない間にも、その噂は耳にしていた。

 一方、大学へ進学せず、アルバイトをしながら漫画を描き続けているオサム。


 夢と恋を秤に掛け、それでも「漫画家になる」という名の夢を選んだオサム。

 だけど、本当は。

 夢だって、恋だって、両方欲しかった。当たり前だ。


――だけど、俺には、何も無い。


 車も無ければ、貯金も無い。月末はカツカツで、水道水とスーパーの試食だけで飢えを凌ぐこともある。


 夢を選んだ道は格好いいと思っていた。

 夢を選んだ道は格好よくなんてなかった。


 エミリと付き合いたい。一緒にいたい。ずっと話し続けていたい。自分に惚れて欲しい。


――好きだ。


 胸の奥で何度も繰り返した言葉は、古臭い六畳一間を目にする度に泡と消える。

 髪を切るのも一大決心、そんな生活で。

 オシャレもできない。デートもできない。ホテルもとれない。


――それでも一緒にいたいのに、俺は漫画を諦められない!


 つまりは、子供の思考である。

 何かを得るために何かを対価として払う。失う。人間として当然の社会的行為を、オサムは受容できないでいるのだ。

 夢を支払って、恋を買えばいいのに。

 漫画のために机に噛り付いているヒマがあれば、躍起になって就職活動をすればいいのに。

 それは嫌で、漫画もエミリも両方欲しいと願っている。


 しかし、事によっては今日、エミリへの慕情と別れるつもりだった。

 大人の女が、数年も会っていないのだ。結婚・婚約・妊娠・出産。どれも有り得る。

 ましてや、現在恋人がいない可能性など。


「結婚の予定とか、ないの?」

 勇気を出して、それとなく聞いてみた。

「ちょっ、失礼じゃない?! いや、まあ実際相手もいないけどさ」

 はぁ、と顔を覆う彼女の両手には、確かに指輪が見当たらなかった。




 宴もたけなわ、友人たちはぞろぞろとオサムのアパートを後にする。

 最後に出て行こうとしたのがエミリだった。

「じゃね、バイバイ」

 軽く手を振る後姿に、言葉が詰まる。


――帰るなよ。

――ちょっと待てよ。

――また、会いたい。


 口にすれば、ものの二秒で運命が変わるのに。その運命が、今より悪い方向へ変わる可能性が怖くて言えない。

 恋がうまくいかないのは、いつだってそんな理由。

 だからオサムは、今の自分にできる精一杯の言葉を選んだ。


「――また、飲もう。みんなで」

 エミリは数秒きょとんとした顔を浮かべたが、すぐににっこり笑って答える。

「うん。そうだね。じゃ、またね!」

『バイバイ』を『またね』に変えた。それが精一杯。


 散らかった部屋を片付け終えると、オサムは編集者へ電話をかけた。


「僕に、連載をやらせて下さい。お願いします」



 3



――三巻が出せたら、この気持ちを伝えよう。


 新たな決心を胸に、オサムは連載の道を歩み始めた。


 なぜ一巻でなく三巻かというと、平均的な収入が見込めるからだ。

 特にシリーズものの漫画では、二巻以降売り上げが落ちる。二巻を買った者は一巻も買っていることがほとんどだが、一巻を買った者が必ずしも二巻まで買うとは限らない。

 一巻の売り上げが最大となる以上、それと同額の収入を常に期待してはいられない。

 人気が落ちれば、二巻で打ち切りとなる。短命連載の壁を打ち破って初めて辿り着くのが、三巻という数字なのだ。


 エミリへの想いをモチベーションに、オサムは誌面で人を殺し続けた。

 誰よりも、残酷に。誰よりも、陰湿に。


 精神が病みそうな時は、常に一話前を読み返す。

 こんな仕打ちが、エミリの身に降りかかったら。

 絶対に加害者を許さない。たとえそれが、女でもだ。裁判などと悠長なことは言っていられない。

 可能な限り、残酷に、陰湿に、苦しめ抜いて殺してやる。

 そう考えることで、不思議なほど次へのイメージが湧いてくる。


 月に1・2通だが、ファンレターが来るようになった。

 ネット上の匿名掲示板に、オサムの漫画のスレッドができていた。

 特に、切断描写に定評があるらしい。


 歯茎に刀を立て、歯冠ごと切り刻む。

 肛門に刀を入れ、性器に向かって切り刻む。

 

――描ける。俺は描ける。描けるけど、本当はこんな漫画を描きたくない。


 皮肉なことに、編集者の見立て通り彼の作品は人気を博し、売り上げが安定して伸びていった。


――エミリのためなら、いくらでも描いてやる。いくらでも切り刻んでやる。


――エミリ。エミリ。エミリエミリエミリ。ああ。


 そしてついに、当初の目標としていた三巻はあっさりと出版された。

 オサムは携帯を握り締め、エミリの番号へコールする。

 

 今度こそ、この気持ちを伝えないといけない。

 収入も増えている。

 いっぱい、美味しいものを食べよう。

 いっぱい、いろんなところへ行こう。

 もっともっと、面白いものや楽しいものや綺麗なものを、二人で感じ続けていたい。

 そしてその時には君に、いつでも笑っていて欲しい。

 しあわせにしてあげたい。

 俺が、この手で。


 エミリ。

 刻みたいほど、君が好き。

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