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母の名、子の名、そして菜の花  作者: 劇団だるい
第一章 菜の花
8/53

なりたいもの

 フィルネの聖堂は、厳かな空気に包まれていた。


 聖堂の扉の前には、成人の儀を受ける若者たちが集まっていた。若者たちは硬い顔で立っている。見届けに来た家族も、心なしか緊張しているようだ。


 ノナは来ていない。「家で待ってる」と言った。

 夕日が石畳を赤く染めている。市場の商人たちの影が長く伸びている。


「今日はここまでだよ! 安くするから持ってって!」

「それでも、高くなったよねえ」

「そうなんだよ……野菜が育たなくなった。瘴気が濃くなっているらしくてね」

「魚も減って、高くなったしねえ」


 威勢のいい声は飛び交っているのに、どこか短く途切れて力がない。


 菜の花は、今日もノナから薬草を頼まれていた。

 人混みをすり抜け、市場の奥の薬草屋へ向かう。薬草屋の店先には、萌黄色、枯草色、若草色——色とりどりの薬草が、夕日を受けて並べられている。


「こんにちは」

 菜の花が声をかけると、店主のおばあさんが顔を上げた。

 以前より、顔色がいい。よかった。


「今日もお使いかい?」

「はい。『その日に最後まで咲いていた朝露草の種』を、ひとつかみください」

 店主は、菜の花を見返す。

「何を作ろうとしているのかねえ」

「秘密だって。でも、最近、調合をずっとしているよ」

「薬屋が忙しいってのは、どうだろうね」

 店主が眉をひそめる。


「この素材は、ちょっと高いよ?」

 店主は、棚の奥をのぞき込みながら言った。

「お金はもらってます」


「朝露草はね、朝に咲いて昼にはしおれるだろ?」

「うん」

「だから、その種には『即効』の効能がある。他の薬草の効果を早める力」

「ふーん」

「頭痛薬なんかは、朝露草の種が調合されていることが多いよ」

 頭痛は、早めに止めたいもんな。菜の花は思う。


「でもね、『その日に最後まで咲いていた朝露草の種』は、効き方が違うんだ」

 店主は、小さな布袋を取り出した。


「効能は、『即効』じゃなくて『持続』に変わる。薬の調合の中にこれを混ぜておくと、他の薬草の効能が持続するんだよ」


 店主は、種を小さな袋に詰める。

「貴重な素材だ。集めるのが大変なんだよ」

「どうするの?」

「昼過ぎに朝露草群生地へ行って、最後まで咲いてた花に糸で印をつける。それを毎日だ」

「毎日……?」


 朝露草は、朝露が多くなる秋の初め頃、小さな花を咲かせる。青い花が一面に咲くのはとても美しい。でも、群生地は聖域から遠く、毎日行くのは大変だろう。


「秋が終わって種ができたら、その印のついた種だけ収穫する。すると、『持続』の効能のある種が集まる」

「それは大変だあ……」

「まあ、私がやる訳じゃないけどね。私は仕入れて売るだけさ」

 店主は、菜の花に袋を渡した。さらさらと音がする。


「どうして効能が変わるんですか?」

「さあ? それは学者の仕事だよ。薬草屋は、効能が分かっていればいい」

 菜の花は、手の中の布袋に目を落とした。


「でも、最後まで咲き続けてやるっていう気概が、そいつにはあったんだろうねえ」

 店主は、からからと笑う。笑うと、目尻の皺が深くなる。


「ちょっとおまけしとくよ」

 店主は、金額を菜の花に伝える。ノナに渡されていた金額より、だいぶ安かった。

「ありがとう。いいんですか?」

「いいよ。最近、薬草がよく売れるからね。儲かってるんだ」

「よかったですね」

「薬草屋が儲かるなんて、ろくでもないことさ。最近、瘴気が濃くなってきてるだろ。薬が必要な人が増えてるんだよ」

「ああ……」

 菜の花は、代金を払い、種を鞄にしまった。


「気をつけて帰りなよ。日が暮れるのが早くなってきたからね。ノナによろしく」

「はい」

 菜の花は、店を出た。

 最後まで咲き続けた花の種。母さんは、これで何を作るんだろう。


 帰り道を急いでいると、市場の片隅で音楽家が演奏していた。

 弦楽器を抱えた老人が目を閉じて、指を滑らせている。

「すごい……」

 菜の花は、立ち止まった。旋律が自由に流れていく。楽譜は見当たらない。


 演奏が終わり、老人はゆっくり目を開けた。菜の花は、拍手する。

「おや、聴いてくれてたのかい」

「すごいですね。楽譜、ないんですか?」

「そうだね。即興だよ」


「でたらめに弾いているわけじゃないですよね?」

 菜の花は、念のため聞いてみた。

「もちろん」

「どうやってるんですか?」

「うーん、いろんな人がいて……中には、『一分の曲を一分で作曲してる』と感じる人もいる。でも、私はちょっと違う。『見つける』という感覚かな」


 菜の花は老人の弦楽器を見つめた。

「見つけるって、どういうことですか?」


「音には、無限の組み合わせがあるだろ?」

「はい、そう……だと思います」

 菜の花は、音楽には詳しくない。だけど、組み合わせがたくさんあるのは分かる。


「その中に、ごくたまに——美しい組み合わせがあるんだ。砂漠の中のごま粒みたいにね」

「ごま粒」

「そうそう」

 音楽家は、楽器をなでる。


「私は、即興演奏をしながら、それを見つけていく感覚かな」

「見つけられるんですか。そんなの」

「見つかるよ。自分でも驚くような音がね」


 ——しましまの服でエマ消えた。三田駅前で食ふのマシマシ。

 この回文も、菜の花が作ったのではなく、どこかにあったものを、たまたま見つけただけなのかもしれない。


 市場を出て、菜の花は、ぽてぽてと帰り道を歩く。

 空はすっかり茜色から菫色に変わっている。夜が近づいていた。


「夜、よる……るよ」

 ああ、最後は「るよ」だから、話しかけるような言葉になるんだな。

 たぶん、ここにある。


 菜の花には、音楽家の言葉が、思いのほかしっくり来ていた。

 菜の花は、探す。砂漠の中のごま粒を探すように。丁寧に、一音ずつ。


「ああ、あった」

 背筋がぞくりとするような、たまらない感覚。


「夜、血散るよ」——よる、ちちるよ。


「それにしても、我ながら物騒な回文を見つけてしまった……」

 まいっか。笑いながら、菜の花は帰り道を急ぐ。


 ——私は、日本語の研究者になりたいな。

 そんなことを考えながら、菜の花は家の門をくぐった。


「ただいま」

「おかえり」


 夕食を食べながら、菜の花はノナに聞いてみた。


「ねえ、母さん」

「ん?」

「回文って知ってる?」

「回文?」


 スプーンを持つ手が一瞬だけ止まった。


「日本語の言葉遊びなんだよ。すごく面白いんだ」

「へえ、どんなものなの?」

「前から読んでも後ろから読んでも同じになる言葉。丸い輪っかみたいな言葉」

 菜の花は、スプーンでくるくると円を描く。


 菜の花は、その日あったことを話した。「わたし負けましたわ」の回文。三田駅とジロー。神秘の麺とマシマシ。エマとしましまの服。


 ノナは、いつもと変わらない表情で話を聞いている。優しい顔だ。

 ——でも、何か……何だろう。今日は、少しうわの空に見える。


 調合で疲れてるのかな。菜の花は、ふと思った。


 その晩。菜の花は、自分の部屋でぼんやりしていた。

 ノナは薬の調合をすると言っていた。

「ふんふふーん」

 階下から唄が聞こえる。よく聞く唄だ。


「あ」

 菜の花は、急いでノートを開く。


「よくきくよ」——よく聞くよ。

「ようたうたうよ」——夜唄うたうよ。

「とおいおと」——遠い音。


 見つけた。五・七・五の俳句の形をした回文の組み合わせだ。

 この三つは、並べることで複雑な物語になっている気がする。


 なぜ、よく聞こえるのか。

 どんな夜唄なのか。誰が歌っているのか。

 なぜ、遠くに聞こえるのか。


 ——日本語の研究者って、どうやってなるんだろう。なれるかな。


「ふんふふーん」

 菜の花の歌声は、菜の花の部屋に小さく響いた。


「菜の花!」

 リーネとミラが手を振っていた。駆け寄ると、ミラが菜の花の顔をのぞき込む。

「緊張してる?」

 ミラが、にこにこしながら聞いてくる。

「うん」

 菜の花は、正直に答えた。

「私も」

 リーネが、胸に手を当てる。

「心臓がバクバクする」

「リーネでも緊張するんだ」

「当たり前だよ。一生に一度の儀式だよ?」

 リーネの手が、スカートの裾をぎゅっと握っていた。


 三人は、聖堂の入口で、列に並んで立った。

 周りには、同い年の参加者がたくさんいる。知っている顔もあれば、知らない顔もある。みんな、同じように落ち着かない様子だった。


「どんな力に目覚めるのかな?」

 ミラが、小声で聞いてくる。

「私はやっぱり、巫女様になりたいなあ」

「狭き門だよ?」

「分かってるけど、夢は大きく」

 ミラは、聖堂を見上げる。


「リーネは?」

「私も変わらない。火の魔法がいい」

 リーネは、きっぱりと言った。

「山賊をドカーンってやっつけたい。商人の娘だから」


「菜の花は?」

 二人の視線が、菜の花に集まる。

「私は……うーん」

 菜の花は、少し考えた。

 よく分からない。本当のことを言えば、日本語を研究したい。それだけだ。


 ただ、今朝ノナが言った言葉が、ずっと頭に残っている。

「何が起きても、菜の花が感じたとおりにしなさい」


 それが、何を意味するのか。

 今夜、分かるはずだ。


「まあ、すごい力に目覚めなくても、普通に暮らせるしね」

 菜の花は、曖昧に答えた。

「パン屋さんでも、薬師でも」

「菜の花らしいね」

 リーネが、笑った。


 やがて、聖堂の扉がゆっくりと開いた。中から、凛とした空気が流れ出してくる。


「入りなさい」

 扉の向こうに立つ神官が、若者たちを手招きした。

 若者たちは、一列になって中に入る。


「わあ」


 太い柱と長椅子が整然と並び、天井は高い。

 ステンドグラスの光が、床に紅や瑠璃の帯を落としている。その中で埃が輝いている。

「……きれい」

 菜の花は思わずつぶやく。


「きれいだね」

 ミラが上を見ている。

「……埃だけどね」

 リーネが小声で言う。ミラは否定せず、まだ天井を見ている。

「でもさ」

 リーネが続けた。

「いつか成人の儀を思い出すときにさ、『埃がきれいだった』って言いそう」

「なにそれ」


 ——でも、そうかもしれない。菜の花は、光の中の埃をもう一度見上げた。


 最奥の祭壇には、聖職者が立っていた。シオナ。この聖域を取り仕切っている。

 白い法衣をまとった女性。四十後半から五十くらいだろうか。白い髪を後ろでまとめ、背筋がまっすぐ伸びている。


「ようこそ、若者たち」

 シオナの声が、聖堂に響く。低く、落ち着いた声だ。それでいて、隅々まで届く。


「今日、あなた方は成人となり、自分の力が何か知ることになります」

 若者たちは、緊張した面持ちで聞いている。


 シオナは、若者たちを見渡した。


「今日は、各地の聖堂でも成人の儀が行われています。成人の儀でこんなことを言うのは、私くらいなのですが」

 そう前置きをして、シオナは続けた。


「私は、力は、『目覚める』ものではなく、『与えられた』ものだと感じています」

 菜の花は、シオナをじっと見つめる。


「ただ、その力は、『できること』でしかありません。あなた方が『やりたいこと』や『なすべきこと』とは別です」


 シオナは若者たちを見渡した。


「力が役に立つなら使えばいい。役立たないなら、新しい力を身につければいい。今日決まるのは、その程度のことです」


 意外なほど柔らかく、シオナは笑った。

「気楽になさい」


 儀式が、始まった。

「一人ずつ、祭壇に進みなさい」

 最初の若者が歩き出す。足音が、石の床に響く。

 若者が祭壇の前に立つと、シオナが手をかざす。祝福の言葉を唱える。


 淡い金色の光が、若者を包む。

 数秒間、若者の体が輝いて、すっと引いた。


「何の力でしたか」

 シオナが尋ねた。


「はい、『洞察』の力でした」

「良い力です。役立てなさい」

「はい、そうしたいのですが……」

 若者は、残念そうな顔をする。


「その力を使うと、その人の誕生日が分かる、というものでした」

「ふふふ、素晴らしい力ですね。きっと、あなたを助けますよ」

「そうでしょうか」

「はい。相手のことを知ろうとする。それが、この力の本質のように感じます」

「……分かりました」

「祝福を。あなたの人生に幸多からんことを」


 それから何人もが祭壇へ進み、光に包まれて戻ってきた。

 シオナは、一人ひとりに祝福の言葉をかけ、背中を押した。


「次、リーネ」

 やがて、リーネの名前が呼ばれた。

「行ってくる」

 リーネは、菜の花とミラに小さく手を振って、祭壇に向かった。

 背筋を伸ばして、堂々と歩く。さすがリーネだ、と菜の花は思った。緊張しているはずなのに、それを見せない。


 リーネが祭壇の前に立つ。

 シオナが手をかざすと、光がリーネを包む。

 その瞬間——リーネの手に、小さな火が灯った。

「おお」

 会場が、どよめいた。リーネの手のひらの上で、橙色の炎がゆらめいている。

 小さいけれど、それは火だった。

「火の力ですね」

 シオナが、微笑んだ。

 リーネは、驚いた顔で自分の手を見つめている。それから、ぎゅっと拳を握った。

「大きな力です。気をつけて使いなさい。……祝福を」


 リーネは、呆然としながら礼をして、下がった。

 菜の花たちのところに戻ってくると、リーネの手が震えていた。

「火、出た……」

「すごい、リーネ!」

 ミラが、小声で興奮している。

「やったじゃん!」

「うん……」

 リーネは、まだ信じられないという顔をしている。


「次、ミラ」

「行ってくる!」

 ミラは、意気揚々と祭壇に向かった。

 シオナが、手をかざす。


 光がミラを包むと、いくつもの水滴が浮かんだ。

 水滴は一か所に集まり、凍った。そこには、小さな盾が浮かんでいた。


「水の力です。守りに特化したものでしょう」

 シオナが言った。


「……あれえ?」

「別の力が良かったですか?」

「はい、祈りの力をいただきたかった……です」

「巫女になろうとしていたのですね。ありがとう」

「はい……」

「ミラの力は、素晴らしいものですよ」

「それは、あの、そうなのかもしれませんが……その」

「うふふ、巫女の衣装を着たかったの?」

「うっ……はい」

「たまにいるのです。そういう子が」

「すみません」

「貸してあげます。本物ですよ」

「そんな簡単に貸していいんですか?」

「かまいません。ただの服だもの」

 シオナは、いたずらっぽく笑った。


 シオナから、祝福の言葉をもらい、ミラは戻ってきた。

「巫女、なれなかった」

 ミラは、唇をきゅっと結んだ。

「ミラ……」


 菜の花は、どのように声をかけて良いか、分からなかった。

 リーネも、声をかけられないでいる。


「まいっか」

「ええ?」

「よく考えたら、私、巫女の衣装着てみたかっただけだ」

「えええ?」

「衣装は、貸してくれるって言ってたしね。なら、いいや」

「まあ、ミラがいいなら……」

「それに、水……の守り? 何かには役立つでしょ」

 ミラがからからと笑うと、リーネも笑った。


「リーネは火でしょ。たぶん、攻撃が得意だよ。私は水の守りだから、最強だよ」

「うん、最強だ」

「すごい」

 菜の花は、小さく拍手をした。リーネとミラ、二人ともすごい力に目覚めた。


 私は、何だろう。『探求』とか『発見』の力だったら、日本語研究者になれるだろうか。

 拍手をしながら、菜の花の手のひらだけが、冷たかった。

読んでいただき、ありがとうございます。

もし気に入っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、とても励みになります。


本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。

3/29(日)まで毎日20時に更新予定です。

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