夕食
菜の花は家に着いた。
家の庭には薬草が植えられている。夕暮れの光を浴びて、揺れている。ちょっと変わった匂いがする。けれど、好きな匂いだ。
玄関の扉を開ける。
「ただいま!」
包丁がまな板に当たる音が止まった。
「おかえり。夕食を作り始めたところだよ」
「手伝うよ」
菜の花は鞄を置き、手を洗いに行った。
戻ってくると、エプロンをつけて台所に並ぶ。
並んで立つと、菜の花と、もうあまり背が変わらない。
「頼まれた薬草、買ってきたよ」
「ありがとう」
「変な素材ばかりだって、薬草屋のおばあちゃん言ってたよ」
「あははは」
「何に使うんだって」
「そりゃ秘密だよ。依頼の内容は漏らさないのが鉄則さ」
ノナは、火加減を見ながら淡々と言った。
「ふーん」
「菜の花、野菜を切ってくれる?」
「うん」
二人で夕食の支度をする。まな板の上で、包丁が規則正しく音を立てる。
「ねえ、母さん」
「ん?」
「母さんって、前は、ポーターをやってたんでしょ?」
「うん、冒険者の荷運びをやってたこともあったね」
「どうしてポーターになったの?」
「十五歳の成人の儀で、『運搬』の力に目覚めたんだよ」
「そうなんだ」
「運搬の力に目覚めると、収納魔法が使えるようになることが多い」
「へえ」
「魔法の空間に荷物を収めておける。旅には、便利なんだ」
「そうだね」
「だから、冒険者から『旅の荷運びをやってくれ』って頼まれてね」
「ほへー」
「でも私は戦えなかったからね。収納魔法に荷を入れて、必死についていくだけだった」
そういうノナは、どこか楽しそうだ。性に合っていたのかもしれない。
「じゃあ、どうして今は薬師をやってるの?」
「ポーターをやってた頃、薬草に詳しい仲間がいてね。教えてもらったんだ」
「薬師は、楽しい?」
「楽しいよ。収納の魔法も役立ってる」
ノナは、集めた薬草を収納の魔法で保管している。運搬の力は、運ぶだけではなく、暮らしのあちこちで役に立つらしい。
「薬師じゃなくても、収納の魔法って便利でしょ? 預かり屋さんとか。」
「いや、あれは、大変なんだ」
「そう? 預かるだけでしょ」
「預かるからには、なくしちゃいけない。私の身に何かあってもいけない」
「ああ、そうか」
「私も、冒険者から預かっているものが一つあるけど、気が気じゃないよ」
「何を預かってるの?」
「依頼内容は秘密さ。ああ、塩はスプーン一杯ね」
「ああ、うん」
何だろうと思いながら、菜の花はスープに塩を落とした。
「もつれな草を少し入れようか。香りがよくなる」
「ああ、うん」
もつれたまま枯れた、もつれな草。考えれば考えるほど、不思議な素材だ。
「もつれな草って、普通はまっすぐだよね?」
「うん」
「なんで、これはもつれてるの?」
「温度、湿度、天気の条件が揃うと、そうなるんだよ。採れない年もある」
「ふーん」
「普通のもつれな草は、『解放』の効能を持つんだ。もつれた体調が、まっすぐになる。熱さましとか痛み止めに入れる」
「うん」
「じゃ、もつれたままのもつれな草は、どういう効能を持つと思う?」
「ええと、もつれたまま……にする力?」
「うん。だいたいあってる。いくつかの薬草を混ぜた時に、それぞれの効き目を『結束』させる力がある」
「へえ」
「ちなみに、『幻惑』という力もあるね」
「危ない薬作ろうとしてない?」
「言ったろう、秘密だって。まあ、今回は、『結束』で使うけどね」
「ふーん」
「この薬草は味と香りが複雑だから、スープに入れるとおいしい」
ノナは、もつれな草を軽くもみつぶして、スープに散らした。
「幻惑にかからない?」
「さあ、どうだろうね」
「大丈夫なの、これ」
菜の花は、ノナの袖を引っ張った。薬草の世界は奥深い。
「ついでに、新月の夜に採れた満月草も入れておこう」
「それは、どういう力があるの?」
「ひっひっひ」
「母さん?」
ノナは、満月草を手早く刻み、スープに入れた。
「ああ、入れちゃった……」
「さあ、できた、食べようか」
二人で食卓を囲む。
暖炉では、薪がパチパチと音を立てて燃えている。
春とはいえ、夜はまだ冷える。
菜の花は、湯気の立つスープを飲む。
「おいしい」
香りが、いつものスープと全然違う。
菜の花は、もう一さじスープを飲む。
ノナはそれを見てから、スープをひと口すすった。
「……いま、私に毒見させたでしょ」
「ソンナコトナイヨ」
スプーンと鉢が触れる音。パンをちぎる音。暖炉の火の音。
それだけが、静かな部屋に響いている。
「ふんふふーん」
ノナは、ときどき歌っている。
「その歌、よく歌ってるよね」
「昔、ポーターをやってた頃の仲間のくせが移ったんだよ」
「ねえ母さん」
「ん?」
「もし、もう一度仕事を選べるとしたら、何になる?」
「今日は、仕事の話が多いね」
「うん……」
「そうだねえ。いまからもう一度、旅に出ろって言われたら……覚悟がいるね」
「旅は大変?」
「大変さ」
「そうなんだ」
「でも、旅をしなかったら、薬師にもなれなかったし……私は、なんだかんだ言って、根っこはポーターなのかもしれないねえ」
「根っこ?」
「そう、根っこ」
ノナは、スープをすすりながら続ける。
「ポーターってのは、ただ荷物を運ぶだけの仕事じゃないんだよ」
「え?」
「大切なものを、預かって、守って、届ける」
ノナの声は穏やかなままだった。
けれど、そこにほんの少しだけ重みが混じる。
「それが、ポーターの仕事なんだ」
菜の花は、ノナの顔を見た。
ノナの目が、どこか遠くを見ていた。
「今も、何かを運んでいる途中だと感じるときがあるよ」
「何を?」
菜の花が尋ねる。ノナは一瞬だけ、菜の花を見つめ、それから、ふっと笑った。
「さあ? なんだろうね。そう思うだけだよ」
「ふーん」
菜の花は狐色のスープをすすった。野菜の甘みが、舌の上でほどけた。
「母さん」
「なんだい?」
ノナは、いまだに小さい子に話すように、菜の花に話しかけることがある。
「私、日本語がすごく好きみたい」
ノナが少しだけ止まった。それから、からからと笑った。
「あっはっは。難しいだろ?」
「うん……省略しちゃいけない言葉を省略するし……なんであれで伝わるんだろうって」
「私は、『菜の花』の名前をくれた人から、少しだけ教えてもらったことがあるけど、チンプンカンプンだったよ」
「どんな人だったの? その人」
「菜の花が好きで……そうだ。よく、歌っていたよ。菜の花の歌もあったと思う」
「え、どんな歌?」
なんだったかな、とノナは天井を見上げる。
「さーくーらー さーくーらー のやまも さとも……だったかな」
「それ、別の花だよ!!」
「え、そうなの? あはははは」
ノナは、ひとしきり笑う。
「今日のスープ、満月草が入っていただろう?」
ノナは菜の花に話しかける。
「あやしい薬草ね。おいしかったよ」
「だろう?」
ノナが得意げに笑った。
「満月草は、『復旧』の力があるんだ」
ノナはスプーンで円を描きながら説明する。
「へこんでいたものを、まあるく戻す力だね」
「ほへー」
「でも、新月の夜に採れた満月草は、ちょっと違う」
ノナの視線が、窓の外に移る。
月明かりを受けて、祈りの塔が浮かび上がっている。
「新月の暗闇の中で、満月草は光るんだ。まあるく、蛍みたいに柔らかく。きれいだよ」
「へえ、すごい」
「そうして新月の夜に採れた満月草には『発見』の力が宿る」
「発見……」
ノナが、ふっと笑った。
「菜の花も、自分がやりたいと思う仕事が見つかるといいね」
新月の満月草。発見の力。見抜かれていた。
「ところでさ、母さん」
「なんだい?」
「満月草ともつれな草を組み合わせると、どういう効能になるの?」
「さあ片付けだ」
「え、ちょっと」
片付けを済ませた後、菜の花は自分の部屋に戻った。
階段を上る。木が軋む音が響く。自分の部屋の扉を開ける。
ベッドが一つ。小さな机と椅子。
壁には、子どもの頃に描いた絵が飾られている。ノナと、自分の絵。
窓を開ける。少し冷たい夜の空気が、部屋に流れ込んだ。
もう夏の匂いがする。もうすぐ暑くなる。
机に向かい、椅子に座る。鞄から、図書館で借りてきた詩集を取り出した。
ノートを開く。羽根ペンを手に取り、インクを少しつける。
深呼吸をひとつ。それから、ゆっくりと文字を書き始める。
日本語の文字。丸みを帯びた、柔らかい形。
「ふるいけや」
「かはづとびこむ」
「みづのおと」
ぽちゃん。
なんで最初は一匹だと思ったんだろう。本当はどっちだったんだろう。
それから、自分で文章を作ってみた。
「わたしは、なのはなです」
そして、ふと思いつく。
「ははのなは、のなです」
羽根ペンを置いて、二つの文を見比べる。
何か大切なものに触れているような気がした。
——なれるなら、私は、日本語を研究する人になりたいな。
そんなことを、ぼんやりと考えながら、菜の花はノートに視線を戻した。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
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