菜の花の名
その夜。
ノナは、ノートの最後のページを開いた。
そして、日本語で書き出した。日本語は、旅の後から、菜の花に教えてもらっていた。
——ノナから、敬愛する美咲さんへ。
私、菜の花の子のノナは、運搬の力に目覚めました。
そして、ハノを両手に抱いて、帰ってきました。
幼いころ、母と引き離されたハノは、瘴気をまき散らして人々を苦しめました。
けれど今日、ハノは、再生の力に目覚めました。
ハノは、これから世界各地を再生する旅に出ます。
ハノによれば、魔王は一人ではないそうです。
大切な人と引き離され、どうしようもない憎しみと悲しみの中で、瘴気をまき散らしている魔物。それが、魔王ハノでした。
同じように魔王になったものは、世界にたくさんいるということでした。
古池や 蛙飛び込む 水の音
ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん。
カエルは一匹じゃなかった。母さんは、そう言って笑っていました。
ハノは、魔王になるしかなかった者たちを救い、世界を再生させていきたいのだそうです。
ハノの旅は、時につらい旅になるかもしれません。
私は、ハノにはそんなつらいことはさせたくない気持ちもあるのだけれど。
でも、たぶん、止めてもハノはそうするのだと思います。
だから、どうか無事で。いつでも帰っておいで。
美咲さん。
おばあちゃん。
母さん。
あなたたちがつないだ言葉は、私からハノに受け継がれました。
そして今、私は、私たちの物語を紡ぎ終わりました。
この物語は、美咲さんの愛する世界の言葉で紡ぎました。
どうか、あなたに届きますように——
ノナは、ノートを閉じた。
誰が読んでくれるかは分からないが、この物語は書き終えた。
書かなければならない気がしたから、書いた。
風が吹いた。
夜なのに、あたりが明るくなった気がした。
不思議に思って外を見ると、小さく黄色い花が一面に咲いていた。
真ん中に、ハノが立って手を振っていた。
膝から腰くらいの高さ。明るい黄色の花をたくさん咲かせている。
一面、黄色い絨毯のようだ。
ああ、これは、『菜の花』だ。
ノナは、直感的にそう思った。こちらの世界の似ている花ではない。これは、たぶんあちらの世界の、本物の『菜の花』だ。
「きれいでしょ?」
ハノが得意そうに笑う。
「この花、『ノナ』っていう名前にしていい?」
「ええ? それ、本物の『菜の花』だと思うよ? たぶんだけど……」
「うん、なんか、そんな気がするよね!」
「すごいね、ハノ」
「えへへへ」
ハノは、まだ幼いところがある。本当に旅に出て大丈夫なのだろうか。
まあ、大丈夫なのだろう。私も十五歳で旅に出たのだから。
「美咲さんが咲かせた黄色い花は、結局『ノア』になっちゃったでしょ」
美咲が子どもの病気を治すときに咲かせた花(おなら花)は、その後、菜の花が育てて広めた。今では、聖女の花『ノア』として愛されるようになった。
「まあ、確かに……」
「言いにくいからね」
この地方の人には、『菜の花』は発音が難しく、『ノァヌァノ』とつながってしまう。
だから、愛称として「ノア」が定着した。
「だから、この花は、『ノナ』っていう名前にしていい?」
「ええ、恥ずかしいよ」
なんで……と言いかけて、ノナは思い直した。
——この子がそうしたいなら、そうすればいい。
「ま、いっか」
「やった! じゃ、この花の名前は、『ノナ』だね!」
「はいはい」
ふわりと、風が吹いた。
静けさが、あたりを包んだように感じた。
ガタン!
ガタッ、ドタドタドタドタッ、ボテッ。
ダーン!
「母さん?」
ものすごく空気を読めていない感じで、菜の花がドアを開けた。階段で転んだらしい。
「痛てて……」
「大丈夫?」
「ノナ! この花の名前は『ノナ』なのね?」
「え、ああ、うん。そうみたい」
ノナは、ハノを見る。
「見つけたーーーーーー」
菜の花は突然叫んだ。
「え?」
「しかも九文字って! すごい! うわー背筋がぞくぞくする!」
菜の花は、ノナの手を握る。
「絶対、五つ目があると思ってたんだよ! ほら、ナックルダスター!」
「何の話?」
「いや、こうなる可能性も、考えたんだけどね。でも、さすがに、ちょっと意味分かんないなって。いや、こうなったか。これだ。これしかない」
菜の花は、空を見上げた。
「見つけたーーーーーー」
菜の花の母の名はノナ——なのはなのははのなはのな
ノナは母なの——のなはははなの
子の名はノナ。菜の花の子——このなはのな。なのはなのこ
ノナはハノの母なの——のなははののははなの
五つ目の回文が、見つかった。
菜の花は、空を見上げた。回文が行きついた先は、花の名前だった。
——美咲さん、あなたが大好きだった花は、こっちの世界にも咲きました。でも、『菜の花』は、こっちの世界の人にはちょっと言いにくい名前だから、あなたの大切な友だちの名前をください。
だって、菜の花の名は『ノナ』——「なのはなのなはのな」だからね。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
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