成人の儀
それから、三年が過ぎた。
ハノは、十五歳になった。
成人の儀の日の前夜。
ハノではなく、ノナでもなく、菜の花がソワソワしていた。
菜の花は、五十を超えた。
「ねえ、成人の儀、もうやめよう?」
「そういうわけにもいかんだろ」
リオンが、笑いながらなだめる。
数年前のことを思い出す。
シオナは、後継者に菜の花を指名した。
「いやです。私は、日本語の研究がしたいのです」
「ノアしかいないのです。実務は全部マルナがやるから」
「はい、マルナにすべてお任せください」
マルナが微笑む。
「ただ、成人の儀は、ノアが行ってください。マルナにはできないから」
「ええ……成人の儀なんて、もう意味ないんだからやめましょうよ」
成人の儀で若者が得る力は、魔王ハノが与えていたものだ。
だが、十五年ほど前、魔王ハノは『ハノ』として、生まれ変わった。
それ以来、成人の儀で力を与えられる若者はいない。
「そういう訳にはいきません」
「何でですか……」
「ノア、日本の儀式を一つ教えて」
シオナは、突然話題を変えた。
「何ですか、急に」
「いいから」
「ええと、じゃあ、マシマシの儀」
「それは何?」
「日本の麺屋では、『マシマシ』という呪文で何かを増やしていたらしいのです」
「何を?」
「分かりません。おそらく、儀式の一種ではないかと推測されています」
「……別のものを」
シオナは却下した。お気に召さなかったらしい。
「じゃあ、七五三とか……」
「それはどういうもの?」
「七歳、五歳、三歳の時に、子どもの成長をお祝いする儀式です」
「へえ、それはどういう起源なの?」
「乳幼児の死亡率が高かったころ、七歳まで生きることはとても稀なことでした。それを祝い、感謝したものだそうです」
「それは、日本が発展して死亡率が下がった後も、続いているのではないですか?」
「そうです。よく知ってますね、シオナ様」
「知らないですよ、そんなこと」
「え?」
「そうだろうなと思っただけです」
シオナは、微笑んだ。
「それと同じです。成人の儀は、なくなりません」
「あ……」
「皆が、あなたに祝福されるのを楽しみにしているのです。あきらめなさい」
「……はい」
その一年後、シオナは亡くなった。
最後まで穏やかな人だった。
成人の儀の朝。聖堂の大広間。若者たちが集まっていた。家族も大勢見にきている。
今日も力を得るものはいないだろう。でも、お祝いごととして、儀式は続いている。
祭壇に、菜の花が立っている。
聖職者の正装を着ると、凛として見える。
リーネとミラが並んで立っているのが見えた。
菜の花が成人の儀を引き継いでから、毎年冷やかしに来るようになった。やめてと言っているのに。
(あのノアが、まさかこんな立派になるとは)
(あんなにピカピカだったのにね)
(ああ、新年のお飾りみたいだったのにな)
「ぐぬぬ」
リーネとミラが、失礼なことを話している気がしたが、気にしないことにした。
「ようこそ、若者たち」
菜の花の声が、聖堂に響く。
「今日、あなた方は成人となります」
菜の花は、若者たちを見渡した。
「昔——といってもそれほど前ではありませんが、成人の儀は、若者たちに力が与えられる儀式でした。そこで『できること』が明らかになり、多くの人は、与えられた力に見合った仕事を選びました」
これは、菜の花が成人の儀を引き継いでから、ずっと話していることだ。
「近年、成人の儀で力を得る若者はいません。その原因は、まだ分かっていません」
聖域の人々には、『分かっていない』と話している。
まだ伝え方が見つからない。真実はあまりにも過酷だから。
でも、いつか話そうと思う。
「しかし、私は、それでいいと思っています」
菜の花は続けた。
「『できること』は、自分で身につけ、磨けばいいのです」
何をえらそうに、と菜の花は思う。
でも、それが話したいことだった。
「『できること』を磨き、『やりたいこと』や『なすべきこと』に悩みながら、それでも進み続けると決意をする——それが、成人になるということだと、今では思っています」
菜の花は、静かに語りかける。
「でも、これに気づいたのは、数年前でした」
聖堂が笑いに包まれる。
「皆さんも、悩むことがあるでしょう。ちなみに、私は『なすべきこと』に悩みすぎて、サーカスに入団しようとしました」
再び、聖堂が笑いに包まれる。
「しかし、大切な友だちが諭してくれました。私は、高いところが苦手だったのです。そして、象と仲良くなれる自信もありませんでした」
菜の花は、聖堂を見渡す。リーネとミラが笑っている。
見上げると、埃が輝いている。
「周りの人と、たくさん話をなさい。そして——」
菜の花は微笑んだ。
ふわりと、柔らかな空気が流れた。
「気楽になさい」
儀式が始まった。
「一人ずつ、祭壇に進みなさい」
若者の名前が呼ばれ、菜の花の前に立つ。
菜の花は、浄化の力を使い、金ぴかになった。
多少恥ずかしいが、催し事だ。
集まった皆が、めでたい気持ちになるなら構わない。
——みんなを喜ばせることが、私の『なすべきこと』のように思うのです。
菜の花は、かつてシオナに相談したことを思いだした。
結果、サーカスに入団はしなかった。でも、同じようなことをしているのかもしれない。
菜の花は、若者に手をかざし、祝福の言葉を唱える。
淡い金色の光が、若者を包む。
——マルナに成人の儀はできない。
シオナがそう言ったのは、成人の儀で浄化の力を使うからだった。
菜の花は、自分で成人の儀をやってみて分かった。
浄化の力を使って、瘴気の作用を引き出す。それが成人の儀だ。
——瘴気には、二つの作用がある。
一つ目は、魔王の憎しみから生まれたもの。生き物を蝕む作用。もう一つは、自分を殺してほしいという願い。生き物に力を与える作用だ。
人間と魔物で違う効果があるように見えたのは、単なる効き方の差だ。
そもそも、魔物と人間に、たいした違いはない。父と母から生まれ、他の生き物を食べて育ち、また父と母となり、そして殖えていく。
ただ、生き物には、個体差がある。だから、瘴気の効き方が違う。それだけの話だ。
瘴気は、魔物に力を与えた。そして、より『魔物的』な人間にも、強い力を与えた。
瘴気は、人間を蝕んだ。おそらく、より『人間的』な魔物は、魔王の瘴気に蝕まれ、命を落としていたのではないか。
二つの作用は、矛盾しているように見える。
けれど、人間だって矛盾している。ハノから母を奪い、ハノは殺さなかった。だから魔王は生まれた。その瘴気に矛盾があっても。さほど不思議はない。
儀式が進む。今日も、新たな力を与えられる者はいない。
「祝福を。あなたの人生に幸多からんことを」
菜の花は、若者たちに浄化の力を与え、祝福の言葉をかけていく。
祝福の声と拍手が、聖堂に広がる。
「ハノ」
「はい」
ハノの順番になった。
「おめでとう、ハノ」
「ありがとうございます」
ハノは、よそ行きの声で答える。
菜の花が、ハノの額に手をかざす。
光が、ハノを包んだ。菜の花は、はっとした。
聖堂に、どよめきが広がる。
そして——ハノの体から、緑色の光が溢れた。
菜の花が、目を見開く。
「なんで……」
菜の花はそう言いかけて、口をつぐむ。それは今ではない。
光が、聖堂全体を包む。眩しい。でも、温かい。
光が収まったとき、聖堂内は、花畑になっていた。聖堂の床一面に花が咲いている。
会場が、どよめく。
「花が……」
「何が起きたんだ……」
菜の花は、小さい声でハノに尋ねた。
「ハノ、これ、何か分かる?」
ハノは、自分の手を見つめていた。緑色の光が、まだかすかに残っている。
「うーん、たぶん、再生の力だと思う」
菜の花は、息を吞んだ。
再生の力。瘴気の力ではない、再生の力。
再生。生まれ変わり。
菜の花は、落ち着いた声で聖堂に集まった者に告げる。
「十五年ぶりに、力を得たものが現れました」
菜の花は続ける。
「十五年前までは普通のことでした。あまり驚くことではありません。
ただ、久しぶりのことなので調査を行います」
その後、菜の花は何事もなかったかのように、儀式を続けた。
成人の儀の後、菜の花、ハノ、ノナ、リオンは、かつてのシオナの執務室に移動した。
「マルナ。仕事部屋を貸して」
「はい。どうぞご自由に。ノア様の執務室ですから」
シオナの執務室は、今はマルナの仕事部屋(本当は菜の花の執務室)になっている。
花の咲いた廊下を歩く。執務室のドアを開けると、そこも花畑だった。
マルナがドアを閉めて、退出した。
「ハノ……」
ノナが、ハノを抱きしめた。
「すごいね。再生の力だって」
「うん」
ハノは、笑った。
「ママ、ノアおばあちゃん」
「なに」
「ぼく、知ってたんだ」
「何を」
「ぼくが、昔、魔王だったこと」
ノナの体が固まった。
「いつから……」
「分かんない。でも、ずっと前から、何となく」
「……」
「夢で見たから。暗い森で、一人ぼっちで泣いてる夢」
「……そう」
「でも、怖くなかったよ。だって、ママがいたから。みんながいたから」
ハノが、笑った。
「ぼく、もう魔王じゃないよ」
「……うん」
ノナがうなずく。
菜の花は、それを見ていた。
「ハノ、ひとついい?」
「うん」
「その力は……誰からもらったの?」
「他の魔王だよ」
ぽちゃん。水の音が聞こえた気がした。
「魔王は、僕だけじゃない」
「それは……どういう」
「魔王は、僕だけだったよね」
「うん」
「この大陸では」
ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん。水の音が続いて聞こえた気がした。
ああ。そういうことか。菜の花は、目を閉じる。
「でも、僕と同じような理由で、魔王になってしまった魔物は、世界中にいる」
そして、魔王は、生き物に力を与える。助けてほしいと。もういなくなりたいと。
より『魔物的』な人間ほど、強い力を得る。
「でも、ぼくは再生の力をもらった。壊す力じゃなくて、作る力をもらった」
「……うん」
「これから、壊したものを直していくよ。ぼくや、他の魔王が壊したものを、少しずつ」
「ハノ……」
「泣かないで、ママ」
ハノが、子ノナの涙を拭いた。
「ありがとう、ママ」
「何が?」
「ぼくを育ててくれて。家族にしてくれて」
「……」
「ぼくは、幸せだよ。本当に」
ノナは、ハノを抱きしめた。
強く、強く。
「うん、私もだよ」
「うん」
「あなたを連れて帰ってきて、本当によかった」
「うん」
菜の花は、その光景を見ていた。
ハノは、生まれ変わった。
魔王ではなく、再生の子として。
美咲さん。母さん。
そして、シオナ様。
見ていますか。
負の連鎖は、今、断ち切られようとしています。
風が、聖堂の窓から吹き込んできた。
まるで、答えているように、床に咲いた色とりどりの花が、揺れた。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
3/29(日)まで毎日20時に更新予定です。




