表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
母の名、子の名、そして菜の花  作者: 劇団だるい
第四章 お届けもの
50/51

帰還

 菜の花は、走った。息が切れる。それでも走った。

 門に、子ノナが、立っていた。


 日焼けした肌。伸びた髪。旅で鍛えられた体つき。

 十七歳になった娘は、すっかり大人になっていた。


 そして、その腕の中に——

 小さな赤ん坊が、抱かれていた。


「ノナ!」


 菜の花が、叫んだ。

 子ノナが、振り返る。そして、にっこり笑った。


「ただいま、母さん」

 その笑顔は、昔と変わらない。

 お届けものを終えた後の、誇らしげな笑顔。

「おかえり……ノナ」


 菜の花は、子ノナを抱きしめた。

 細い体。でも、しっかりとした芯がある。


「その子は……」

 菜の花が、赤ん坊を見た。

 寝ている。小さな顔。墨色の髪。静かに寝息を立てている。


 子ノナが、笑った。

「いやー、魔王にお届けものをしたら、返礼品がさ」

「返礼品って」

「うん。赤ちゃん」


 子ノナは、軽い調子で言っている。でも、その目には、深いものがあった。


「分かった。詳しく聞かせて」

「うん。でも、おばあちゃんにも会いたい」


 リオンが、駆けつけてきた。

「ノナ!」

「父さん、ただいま」


 リオンが、子ノナを抱きしめる。赤ん坊を潰さないように、そっと。

「心配したぞ」

「ごめんね」

「いや、いい。帰ってきてくれて、よかった」


 三人で、母ノナの家に向かった。

 母ノナは、縁側に座っていた。子ノナの姿を見て、ゆっくりと立ち上がる。

 杖をついて、歩いてくる。

「おばあちゃん」

「ノナちゃん」


 子ノナが、母ノナを抱きしめた。

 赤ん坊を片腕で抱えたまま、そっと。

「帰ってきたよ」

「ああ、帰ってきたね」

「待ってたよ。ずっと待ってた」

「うん。ごめんね、遅くなって」

「いいよ。帰ってきてくれたから」


 母ノナが、赤ん坊を見た。


「この子は……」

「うん。お届けものの返礼品」

「返礼品ねえ」

 母ノナが、小さく笑った。

「中に入ろう。話を聞かせておくれ」



 暖炉の前に、四人が座っている。菜の花、リオン、母ノナ、そして子ノナ。

 赤ん坊は、子ノナの腕の中で眠っている。


「何があったか、教えてくれる?」

 菜の花が、静かに聞いた。

 子ノナは、しばらく暖炉の火を見つめていた。

 それから、ゆっくりと語り始めた。


「四つの聖域で、母狼の魂を受け取ったんだ」

「うん」

「最初は、よく分からなかった。何か温かいものが入ってくる感じがしただけ」

「手紙に書いてあったね」

「うん。でも、四つ全部受け取ったとき、分かった」


 子ノナが、自分の胸に手を当てた。

「これは、後悔なんだって」

「……」

「ハノと遊びたかった。一緒に獣を狩って、大きくなるところを見たかった。ハノを守れなかった。その悔しさと、悲しさと、ハノが大好きっていう気持ち」


 菜の花は、黙って聞いている。


「封魔の森に着いたとき、ここに、魔王がいるんだって思ったら足が震えた」

「……」

「でも、届けなきゃいけないと思った。ハノのお母さんを、届けなきゃって」

 子ノナが、赤ん坊を見つめた。そして、ゆっくり話し始める。


 ——封魔の森の洞窟に入った。暗かった。瘴気はもう全然なかった。

 その一番奥の部屋に、両手で抱えられるくらいの、黒い石があった。

 そこだけ穴が開いているみたいだった。光が吸い込まれているような黒だった。


 その中に、魔王が封印されていた。


「お届けものに来ました」

 私は言った。

「お母さんの魂を、お届けします」


 それから、声がした。

『お届けもの?』って。

 すごく不思議そうな声だった。


「そう。お母さんの魂を、届けに来ました」

『母さん……?』

「はい」


 私は、目を閉じて、母狼の魂を送り出した。

 四つの聖域で受け取った、母狼の魂。

 透明で、きれいな白色だった。


 光が溢れた。眩しくて、目を開けられなかった。

 そのまま、しばらく、時間がたった。

 泣き声が、聞こえてきた気がした。


 光が収まったとき、石が割れていた。ぱかーんって。

 そしたら、今度は、本当に泣き声が聞こえた。



 子ノナが、腕の中の赤ん坊を見つめた。

「この子がいた。小さくて、震えるように泣いてた。私が抱き上げると、泣き止んだ」

 子ノナが、赤ん坊の髪をなでた。

「でも、衰弱してた。ものすごく。だから、おばあちゃんの回復薬を飲ませた」

「えっ」

「どうしたの、母さん」

「あ、いや、なんでもない」


 子ノナが、赤ん坊を抱きしめる。

「回復薬を飲んだら、この子の体から、黒い瘴気が立ち上って、消えていった」

「キクンダ」

「どうしたの、母さん」

「なんでもない」


「その晩、私とマルナは、封魔の森のそばで野営した。そして、夢を見た」



 ——暗い森の中で、小さな狼の魔物が、泣いていた。

 輝くような、雪色のふわふわの毛をした子どもの狼だった。


 その子は、母狼にすがりついて、静かに泣いていた。

 母狼は、深く傷ついていて、血だらけで横たわっていた。


「母さん……母さん……起きて」

 小さな狼は泣いていた。

「泣いてはだめ。ハノ。母さんは、もうだめ。今すぐ逃げなさい」


 周りには、人間の兵士たちがいた。

 剣を持って、大きな狼の魔物を討伐した後だった。

 兵士たちは、その魔物の子どもを見て、言った。


「子どもも殺すか」


 兵士たちは、ごつごつした鎧を着ていた。

 体は影のように真っ黒で、笑っているように見えた。

 三日月のような口が、いくつも浮いている。


 実際は違ったのかもしれない。

 でも、そう見えた。


「まだ子どもだぞ」

「いやでも、魔物は魔物だ」

「放っておけ、二十年後にはまた貴重な素材になる」


 素材。

 母さんを、どうするつもりだ。ハノは、震えた。


 素材。

 素材?

 素材って何?

 何のために。どうして。


 真っ黒な影の中で、白い三日月が動いた。

 何かしゃべっているのだろうか。

 しかし、その声は耳に入らず、地を這う虫が動いているようにしか見えなかった。


 おぞましい、と感じた。

 魔という言葉が、『害をなすもの』という意味なのであれば、どちらが魔物なのだろう。

 ハノの身の回りにいる獣たちと、魔物。それらは大差がない。

 そして、目の前にいるこの生き物も、大差はない。

 これらは、なぜ自分を特別だと思っているのだろう。


 害とは、人間にとっての害だけをいうのであって、魔物にとっての害は含まれないのか。あなた方は、なぜ、どうして、そんなに……


 えらそうなんだ。


 三日月は、尺取虫のようにくねくねと動いた。

「放っておけ。どうせ生きていけない」

「弱いものを殺すのは気が引ける」

 という音が聞こえた。極めて難解な、理解に苦しむ内容だった。

 内容は分かる。しかし、意味が分からない。別の世界の音のようにしか聞こえなかった。


 強い弱いに関係なく殺すならまだ分かる。

 気が引けるというなら、最初からやらなければいい。

 それとも、それが、彼らなりの正しさなのか。

 理解ができなかった。


 でも、小さな魔物には、彼らを変えることはできない。

 母ですら勝てなかった。自分がどうにかできる相手ではない。

 そう、小さな魔物は思った。


 彼らは、そして、去っていった。


 小さな狼の魔物の子どもは、一人取り残された。

 そして、泣き続けた。何日も、何日も。

 静かに泣いた。

 誰にも見つからないように。

 空腹だった。

 みじめだった。


 泣いているうちに、美しい白の毛は、黒くなった。

 つやがなく、ただ、平坦な黒になった。

 そこに、ぽっかりと、深くて暗い穴が開いたかのようなのっぺりとした黒だった。あるいは、あらゆるものを飲み込み、光すらも飲み込む、完全な黒だった。

 悲しみを飲み込んでほしいという願いが生んだ色だった。


 やがて、黒くなった魔物の体から、瘴気があふれ出した。

 瘴気は、森を腐らせ、水を汚し、周囲の『魔物』を強くした。

 瘴気は、やがて周囲を脅かすようになった。


 瘴気はいつまでも止まらなかった。

 母さんを返せ、母さんを返せ、母さんを返せ。

 いなくなりたい、いなくなりたい、いなくなりたい。


 悲しい、さみしい、悔しい、憎い、悔しい、さみしい、悲しい……。

 ぐるぐる、ぐるぐる。


 瘴気は、そのたびに強くなった。


 その小さな狼の子どもが——


「魔王ハノになった」

 静けさが広がる。


 母ノナは、ハノを優しくなでた。

「ハノは、魔王になりたくてなったわけではなくて、なってしまったんだね」


 子ノナはハノを見つめる。

「うん。ハノは、百三十年の憎しみから解放されて、赤ん坊として生まれた。もう魔王じゃない。ただの赤ん坊だよ」


 長い沈黙。

 母ノナが、静かに口を開いた。

「それで、お前はどうするつもりなんだい」


 子ノナは、母ノナを見た。

「私が育てる」


 はっきりとした声だった。

「この子を、私の子として育てる」

「……」

「だって、私が届けたんだから。届けたものの責任は、届けた人が取らなきゃ」


 子ノナが、笑った。

「お届けものは、届けたら終わりってわけじゃない」


 母ノナが、ゆっくりと立ち上がった。

 杖をつきながら、子ノナの隣に座る。

 そして、赤ん坊の頭を、優しくなでた。


「よく決断したね、ノナちゃん」

「おばあちゃん……」

「私も、同じことをした」


 母ノナが、微笑んだ。

「菜の花を、自分の子として育てた」

「……」

「この子も、家族だよ。私たちの家族」

 菜の花も、子ノナの隣に座った。

「名前は決めたの?」

「うん。ハノ」

「ハノ……」

「魔王ハノ。でも、もう魔王じゃない。ただのハノ」


 菜の花は、赤ん坊を見つめた。穏やかな寝顔。


「一緒に育てよう」

 菜の花が言った。


「私も手伝う。おばあちゃんも。父さんも」

「母さん……」

 リオンが、うなずいた。

「ノナが決めたことだ。俺は支えるよ」

「ありがとう……」


 赤ん坊が、小さく声を上げた。

「あー……」


 目を開けている。黒い瞳。きょろきょろと、周りを見回している。


「起きた」

「お腹空いたのかな」

「ミルク、作らなきゃ」

 母ノナが、立ち上がろうとする。


「私がやるよ、おばあちゃん」

「いいよ、抱っこしてあげな。ミルクは、私にやらせておくれ」

 母ノナが、杖をつきながら台所に向かう。

 子ノナは、赤ん坊を見つめている。


「ハノ」


 小さく呼びかける。


「私が、あなたのお母さんになるよ」


 赤ん坊が、子ノナを見た。そして、笑った。

 小さな、小さな笑顔。

「笑った……」

「ああ、笑ったね」

 菜の花も、微笑んだ。

 この子は、きっと大丈夫だ。


「あー……あー……」

 ハノが本格的に泣き始めた。

 家族は、おろおろと、あわあわと、でも笑いながら、世話を始めた。

読んでいただき、ありがとうございます。

もし気に入っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、とても励みになります。


本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。

3/29(日)まで毎日20時に更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ