塔
久しぶりに見る祈りの塔は、こじんまりとしていた。
塔の入り口に、巫女が立っていた。
「あら、ノア様」
見覚えのある顔だった。菜の花が訓練を受けたとき、浄化の力を教えてくれた巫女だ。
「お久しぶりです。娘のノナです」
子ノナは、菜の花の後ろに隠れた。でも、すぐに顔を出す。
「こんにちは」
「あの、少し中を見せていただけますか」
「何かあったんですか?」
巫女は心配そうな顔をする。
「いえ。何もないことの確認です」
「ああ」
巫女がうなずく。聖女が塔を確認しに来る。それだけで十分な理由になる。
「ちょうど交代の時間だから、上までご案内しますね」
巫女に案内されて、塔の中に入った。
螺旋の階段を上がる。石の壁がひんやりしている。小さな窓から差し込む光が、階段の一段一段を照らしている。香の匂いが、上に行くほど濃くなる。
子ノナが、菜の花の手をぎゅっと握った。
「暗いところ、いや?」
「うん」
握る力が強い。
「もうすぐよ」
巫女が振り返って微笑む。
石碑の部屋は、広くはなかった。
部屋の中央に、人の背丈ほどの石碑が立っている。石碑の前に、神官と巫女が一人ずつ座り、目を閉じて祈りを捧げていた。
静かだった。かすかな祈りの声だけが聞こえる。
「一日を半分に分けて、早朝から昼と、昼から日没までの交代でお祈りをしています」
「毎日ですか」
「はい。祈りが途切れないように。私の母もここで祈っていました。祖母も」
「三世代」
「うちの家業です」
巫女は笑った。軽い口調だった。
「大変ではありませんか」
「大変じゃないと言ったら嘘になります」
巫女は、石碑を見つめた。
「でも、それが、なすべきことなら」
胸が痛んだ。菜の花は窓の外に視線をそらした。
ちりん、ちりん。鈴の音が聞こえる。
交代の巫女と神官が来た。先に祈っていた二人が立ち上がり、会釈をして部屋を出ていく。新しい二人が、同じ場所に座る。祈りが続く。
「……私もお祈り、させていただいてもいいですか」
「もちろん」
菜の花は、石碑の前に立った。手を触れた。
旅のときにも感じた二重構造。内側に脈打つもの。温かい。
「ノア様」
「はい」
「私たちは、祈るだけです。仕組みは、よく分かりません」
「はい」
「でも、毎日向き合っているから分かることがあります」
「……どのようなことですか」
「この石碑の中に納められているものは、生き物に近いと感じます」
巫女は、少し笑った。
「そして、ちょっとわがままです」
「……わがまま」
「変でしょう? でも、そうなのです」
巫女が、石碑を見る。
「ノア様は、象ってご存知ですか?」
「はい」
「しってるよ! パオーンってなくやつ」
子ノナが割り込んできた。
「そうそう。ノナちゃん、象と仲良くなれる?」
「分かんない」
「仲良くなるために、どうする?」
「まいにち、おせわする」
「でも、象さん、機嫌が悪かったら? ごはん食べたくないって」
「なでる」
「うん、それがいいかもね」
「ノア様、神官と巫女の仕事は、そういうものです」
巫女は、菜の花に向き直った。
「つらくあたられる日もある。祈りなんていらないって。もうやめてって。そういう日のお祈りは……痛いです」
巫女が目を伏せる。
「痛い」
「そうです。でも、時に、気持ちが通じます。ありがとうって。祈りがあるから私がいられるって。そういう時には、やっててよかったと感じます」
「言葉をしゃべるんですか?」
「いいえ、全く。そう感じるだけです」
巫女は、窓の外を見た。フィルネの街が、遠くに見える。
「少し、巫女らしからぬことを言うようですが」
「かまいません」
「神官や巫女は、聖域の人々を守るなんていうきれいな理由じゃ続けられません」
「……」
「少なくとも、私はそう感じます」
巫女は、石碑を見つめる。
「私は、この石碑の中に……なんというんでしょう、命を預かっていると感じています。休みはありません。輪番で休みはありますが、一日も気が休まりません」
巫女は、菜の花を見て微笑んだ。
「でも、巫女をやめようと思ったことは一度もありません」
子ノナが、菜の花のそばを離れた。
石碑に、小さな手を触れた。
「あったかい」
子ノナは、しばらく石碑に手を当てていた。動こうとしない。
「ノナ、どうしたの?」
「んー」
子ノナは手を離して、戻ってきた。
塔を出ると、外が眩しかった。
「ピクニック!」
子ノナが走り出す。塔の近くの草原で、弁当を広げた。
「パン、おいしい」
「よかった」
子ノナは花を摘んだり、虫を追いかけたりしている。
菜の花は、塔を見上げた。白い壁。その中で、今も祈りが続いている。
その夜。
子ノナを寝かしつけた後、菜の花はリオンに、今日起きたことを話した。
リオンは、黙って聞いていた。話し終えると、長い沈黙が続いた。
「結界の力は、ハノが俺に与えたものだったのか」
「おそらく」
リオンは、自分の手を見た。
「俺は家族を魔物に殺された。ハノは母を人間に殺された」
「……」
「同じだ。俺も、ハノも。でも、俺には、助けてくれる人がいた」
「……うん」
「ハノにはいなかった。それだけの違いだ。でも、その違いが、魔王を生んだ」
リオンは、窓の外に目をやった。もう、暗くて塔は見えない。
「今日分かったことはたくさんあるけど……手詰まりに見えるな」
「だよねえ」
菜の花は、ため息をついた。
「ハノに攻撃をさせないために、母狼を閉じ込め続けるっていうのは、くそったれなことだ」
「うん」
「でも、結界術の観点からは、少し違う見方もできる」
「え?」
「巫女は言ってたんだろう? 機嫌の悪い日もあるけど、いい日もあるって」
「うん」
「封印の内部は、さほど劣悪な環境ではないかもしれない」
「あ……」
「だとすると、どういう仕組みで、あるいは、どういう気持ちで、この封印を構築したんだろう。俺は、そこが気になる。まあ、お得意の『記録はない』だろうけどな」
リオンが、菜の花の手に自分の手を重ねた。大きくて、温かい手だった。
「俺も、考えるよ」
隣の部屋で、子ノナが寝言を言った。
「……おとどけもの」
二人は顔を見合わせて、少し笑った。
夢の中でも、お届けものをしているらしい。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
3/29(日)まで毎日20時に更新予定です。




